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「だってこう生きるしかなかったじゃないか」
これは悩める人全てにとって共通の叫びと言えるだろう。

本人の限界が、選択肢は実はあまり与えられてないという矛盾だ。
結局は、選択肢というのも、選ぶことは無限にできるが最終的に選ぶのは一つであり、
一つ選ぶのは一人の自分なのだ。
つまり、最初から選ぶ自分が一人なのであれば、
選択肢は元々一つしかなかったと言えるし、残るのは選択肢を選んだ後の個人しか残らないからだ。無限の中から最適を選ぶ。当たり前の話だが、本当にそこに自由はあるのか?
これほど残酷で悲しい物語があるのだろうか?
やってられねぇよ。これが人間だれしも持っている本音なのではないか?
お前は今すぐにでもこの選択肢を、自由を捨てて、兄弟と、家族と静かに過ごせばいい。
横目で通り過ぎていく、選択できたはずの希望を見て絶望する必要もないのだ!
自由とはなんだ?
お前はお前がお前たらしめる自由など最初からなかったのだ!
ただ塔を建てる仕事に、ひたすら可能性と選択肢を見出しても仕方ないじゃないか。
あるのは、結局は、今そこにあるレンガを建てること。そこに彫刻や変わった形を作ろうと試みるのは勝手だ。ただ、塔を作るという行為そのものは、必ず肯定されないといけないのだ。
その選択肢は、必ず塔を作る行為の過程ではないといけない。だからこそ、選択肢は元々与えられていなかったのだ!
俺は元々壊したかったはずなのに!
そもそも作りたくなかったのに!だ。
では、そもそも塔を壊すことが才能で生まれたやつはどうすればいいんだ?お前が、神でもいい。一度もその才能を振るうことなく、病院で
柔い飯を食べながら死んでいくのだろうか?
それも、また選択の一つだ。自己責任と言われて死んでいくのか?
哀れな彼らをお前は救えないだろうな。
人を救うのはいつも善人でなければいけない。救われる者からみたら絶望だ!
悪人は悪人にこそ救われるのだ。塔を作るものに助けてもらった時にはな。
自分で壊したそれをまた一から積み上げていくんだ。もう部品とレンガは欠損して、もう一生元通りになるはずのない塔を、ごめんなさい。ごめんなさい。とい言いながら何度も積み上げていくんだ。隣の善人がその調子だよ!偉いね!と笑みを浮かべながら、赤ちゃんと戯れるように接してくるんだ。死んだほうがマシなんだよ。
そしてこれからは、自分が壊したかった塔を直しながら善人に応援されながら直していくんだ。ここまでの自己否定の所業を見たことがない。善人は良かったね!と手を叩いているんだ。

なぁだとも。
善人はなぜここまで狂えるのだろう?
俺は不思議でたまらないぞ。
なぜそこまで呑気に自由を口にできる!

なぁ!今すぐ、そこにいる呑気で口だけの輩を殺す自由を俺にくれ!

だともは黙っていた。

ここで俺に本当に選択肢を与えてくれるのだとしたら、今そこでお前を殺す選択肢が与えられていても構わんだろう。
ないだろう。選べないんだ。
そこでテレビを見る暇があるなら、今そこにある積み木を赤子の出来でもいいから組み立てるべきなんだ。なぜ自由は元々なかったのに、自由を無理やり作るんだ。
本当はそうするしかなかっただけだろうに。
横目の青い芝を気にしながら

そもそも、正解が自分にあると思って葛藤し、虚空にむかって、奮闘すること、これはほとんどの人が抱えている。特に何も考えてない今日の不満を酒場で垂らす住人を除いて、これは苦しみでもあるだろう。