超AR時代とはどういう意味か?②.

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  まずアメリカを

理解しないとならない.

アメリカである.

スマホの発明もアメリカのものだし,SNSというグローバル主義の発想もアメリカだ.

超ARを抑えるには夢の国ディズニーランドというカルトをこさえたアメリカを理解するべきなのだ.

もちろんより強度の高い話がある.

今の超AR社会はアメリカ哲学,プラグマティズムで建設されているのではないか?という1つの大胆な仮説だ.

たとえば,自民党と統一教会で揉めたり,Vtuberという客観的なカルトに若者たちがハマるのも,プラグマティズムの世界観的にはなんら矛盾しない.

 おおざっぱにプラグマティズムのジェイムズを解説すると,彼は宗教も合理的なんだ信じようとする意志が本当にあるならば!と唱えた.こういったジェイムズを代表的にアメリカという国はできている.当然グロバーリズムは宗教やファンタジーを前提にしたものへとなっていくのだ.

つまり信仰心が世界を動かすという呪いのようなものがアメリカを不動のものへと進化させていった.

狭義のプラグマティズムは役に立てばそれでいいという功利主義を訴えているが,厳密に言うのならば,宗教観を持ちながら現実の問題を解くという矛盾があれど気持ちよかったり終わりよければ良しという話なのである.

正義よりも快楽を優先する今の時代,陰謀論やVtuberが流行る時代において,もはやなんでもいいのである.

 そして、ここに厄介だが,シンギュラティ,システムの罠が潜んでいる.

  シンギュラティとは技術的飽和の時代のことであり,2045年に社会はSFじみた世界になるだろうという予測だ.しかし,予測されてしまった段階ですでに起こっているということになる.なぜなら2045年にいきなり変わるというよりも2045年に変わるまでの前段階の変化が確実にあるからだ.コロナもその一例だろう.つまり見えないシンギュラティの変化こそが、この超AR時代というAIが見えないけどAI的に動く世界のことである.

正義よりも快楽を優先する時代には,TwitterやYoutubeの統計やアルゴリズム,デザインといったものが法律のような役割をする.レッシグはアーキテクチャと呼ぶ.

人間一人一人が快楽を優先する時代には人間一人一人の意志コストは下がり,大学や哲学,文学はいらない.

皮肉なことにSNSでSNSの批判をする理系の場で理系を批判するという矛盾した行いを大学人や哲学者,文学者は犯してしまう.そして薄々とそれを感じながらおバカなメンヘラのフォロワーたちは彼や彼女に追従し,メンヘラ・アピールでひたすらいいねを稼ぐというどうしようもないメタバースを展開してしまっている.

 超AR時代には文系やインテリこそ演者にすぎないので,理系であると判断される.

 20世紀の近代的な役職はもうすでに亡くなっているということだ.

 極端に言ってしまうと野球や音楽,将棋は古すぎる.

遺伝子改造とAIを平気で今のトップ・アスリートたちは行っているが、果たしてそれは野球と呼べるのか?音楽と呼べるのか?将棋と呼べるのか?状態になりつつある.

 1,アメリカの功利主義的かつファンタジー的な夢想が現代のSNS後世期には機能している

2,テクノロジーの高速な発展によって,従来の人間全体の価値は機械より落ちている

 こうした点から人間が機械に勝る点を探ると,アートしかなくなるのだ.

 つまり受験勉強は答えを突き詰める作業だが.アートは答えを無理やり作り出す作業だからだ.

 ダジャレじゃないが,だから超AR時代はARTが必要な時代に求められた必然だろう.

 虚構でもあり現実的でもあるという繊細なかつ複雑性の高い問題をクリアするには

アートが重要になってくる.

 しかし,アートが難しく見えるのは誤解で,おおざっぱに言ってしまえば楽しくやっていきましょうっていうそれだけのことでもある.新しかったり未知のセカイだから怖いのは当たり前のこと.

 しかし,AI未満になって苦しんだり,AIの扱いが上手いアスリートやVtuberを人間だと誤認して苦しんだり,陰謀論に騙されるよりは,

 AIを理解するより簡単なARを理解するという作業をやった方が適任だ.