バカをどれだけ扇動するのか? 〜成田悠輔22世紀の民主主義と千葉雅也炎上の無意味さについて.〜

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バカをどれだけ扇動するのか?

この問いは意外と難しい.

千葉雅也という哲学者が炎上したが超どうでもいい.

ハマっている方も薄々千葉雅也が偽物だということは分かっていて,わざわざ死人を蹴ることになるからだ.

早慶の大学院生が早慶に行きながらカジュアルに新興宗教に入信しているあまりの矛盾ぶりからもそうで,もう反知性的な態度を開き直る人間が後から痛い目にあうパターンが急増している.

 Twitter村が終わっていく中,では政治家はネコやゴキブリになると話す成田悠輔は果たして正しいのだろうか?

 千葉雅也の炎上と成田悠輔のニヒリズムに共通するのは,大多数の凡人に期待しすぎなことだと思う.

 そもそも民主主義は手段なので,そこに承認を得ちゃう両方の動きがあまりにナイーブすぎる.

 大多数派が偉いという発想はここSNSが発展したころの話だ.

 別に前から政治で世の中が変わるという話は別段なかったはずだ.

 なので,民主主義というカルトを信仰せずとも,他人と社会を作っているんだと思えばいい.何回も言う通り,民主主義は承認でなく,手段に過ぎないのだから.

そこに民主主義だとかドゥールズがどうとかFランだとか高学歴だとか難しい言葉で煙に巻いてしまっていると感じる.

 単純に生産性のある話をやるかやらないかという

それだけのワンイシューにすぎない.

身も蓋もないが,世の中には努力もしたくないし一生に渡って生活保護でいたい人もいる.

そこに共感しようというのは無理なんで,民主主義が妥協という話すらも

メタバース化した現代の可視化されるSNSにおいては嘘だろう.

データ民主主義が仮に実現したら,というよりもすでに起きていると思うが,

民主主義の終わり,Youtuerで延命された政治家2.0,国家という概念が単なる産業インフラになるというそれだけの話だろう.

 物語から自由になり,やっと人類は物語から自由になったという次のSFじみた物語を享受するのである.