ババァがベンツに乗る理由。〜リベラルでいっぱいな社会〜

文字数: 1602

 生きている時に、

思う存分

楽しまないと!

 ボクのオバアチャンの言葉です。

 ボクのオバアチャンは高齢ながら元気ランランで日夜遊びに行きます。元気でいいですね。

 そんなオバアチャンが私の父親にベンツを買ってもらいました。

 オバアチャンは大喜びです。

 どデカいベンツに乗っている姿はまるで赤ん坊がレゴのオモチャをブンブン振り回しているようでした。

 オバアチャンはやっぱりこう言いました。

 生きている間に、思う存分楽しまないと!

 一見良い話ですが、ただこの名言には続きがありました。

 だから、ベンツを買ってもらってよかった!死ぬときには一銭も残さないようにしているの!だから優先順位的にベンツは後回しになっていた!だけど、買ってもらってよかった!

 つまり、私や父親に一銭もカネを残さないし日本のこれからの政治経済コロナ禍は老人たちにとって若者たちはどうでもいいよってことなのです。

 私は幸せでしょうか?

 ここにリバタリアン、いえ、リベラル、偽善主義の左翼の罠があります。老人の欲望を優先するということは、未来には一銭も残さなくていいんだよってことだからです。

 だから、私はオバアチャンに言い返してあげました。

 マスクはつけないし外出もオレはするし、若者はだから外出するよって。

 オバアチャンは軽く慌てましたが、一瞬狼狽えたあとに、笑顔で頷きました。

 そうね!若者にも自由はあるよね!

 私はマスクをつけなかったりコロナにかかる自由をオバアチャンに文句言われない権利を貰えたのです。二人ニコニコ、オバアチャンはベンツ、ボクはマスクをつけない自由、お互いに得したのでした。

 個人の自由を優先すると、当然、他は切り捨てることになります

 しかし、自由を犠牲にすると、オバアチャンもベンツに乗れなくなり、つまり、若者にカネを渡すと、オバアチャンの人生がつまらなくなるのです。

 だから、若者の自由を認めてもらう代わりに、オバアチャンからはオカネをいただかないことにしました。

 自由を捨てる人間たちにしか平等はありません。平等は自由を捨てることを意味するからです

 よって、都合が良い福祉は存在しません

 むしろ、偽善なリベラル社会によって、他者を犠牲にすることは合法的であるのです。福祉的な発想は最低限度を保証しても、自己実現は不可能という基礎的な話はあり、自由主義のおかげで、偽善な人権擁護を叫ばせていただいている皮肉は気づいたほうがよいでしょう。スベッてるデモするときに警察官に許可をもらうように。

 平等や福祉を切り捨てると、自分のワガママや自分の周りを助けない無責任な自由を取れます。それはリスクがある代わりに、愉しいことなのでありました

 逆に言えば、福祉や平等は上部構造、自己実現には寄与しなく、当然リベラリズムと相反する極右ということになりますね。

 余談。

 ウキウキと小さい身体で大きいハンドルをブンブン回すババァを尻目に、ベンツをババァに買ってあげた父親に尋ねました。

 すごいね。よくオバアチャンに買ってあげたね。だってもう老い先が短くて、あまり運転しないよ。贅沢すぎるよ。

 私の父親はハハハと笑いながら、こう言いました。

 人生はポートフォリオだよ。バアチャンが亡くなった後に、お前も乗れるだろ。オレも乗りたいからさ。オバアチャンもきっと了承するさ。

 車の中でモゾモゾ蠢くオバアチャンも、外で電子タバコを吸う父親も、ソシャゲに気を取られた顔で相手を見ずに話をする私も、

みんな自由で幸せです。

よかった。平等な社会なんかなくて。