ブラック革命。岡田斗司夫のホワイト革命は間違えている。

文字数: 1578

 

 岡田斗司夫がここ最近をホワイト革命と歌っているが、むしろ事態は逆だと思う

 そう。

ブラック革命である。

 怖いのは、2022年2月の静けさ、である。

 1月は電光石火が飛来した。

 オープンレター事件や東大無理事件、埼玉無理心中事件に、沖縄300人暴動や宮本一馬事件など。

 明らかに東浩紀の言う通り日本はある意味では悪くなっている。

 岡田斗司夫が狂っているのは、明らかに異様な事件は1月に多発していたのに、および以前から電車テロや火災テロは相次ぎ、コロナ自粛派と反自粛派で意見が錯綜していたのにも関わらず、今の社会を完全に素晴らしいとうたうホワイト革命という気持ち悪さである。

 が、ここで面白いのは、

 ひたすらネタツイだけを繰り返す世間の風潮であるのだ。

 ホワイト革命と言うより、無関心革命と言い直すべきでは、ないか?

 マスクを3年間もひたすらつけたり、東京のよく乗る電車でテロが起きても、まったく微動だにしないし、大学で不正が起きても、カンニングが起きようと微動だにしない、この臆病さだ。

 ここまでくると、もう面倒なことはただ避けたいという保身だけが、ほとんどの人間の感情だと判断できる

 ここで起きている問題のほとんどが、

他人への無関心さと個別的事例だ。

 つまり、

 オープンレター事件は文系大学教授の権威の失墜だし、東大無理は受験業界の失墜だし、埼玉医者無理心中事件は、医療業界の失墜だし、などだ。

 ここで起きていることは、社会の権威はもはや責任を果たすには限界があるよという変化である。

 より精密に言えば、

 社会という公の力が弱くなり、社会信用の失墜が起きながら、同時に社会に対する無関心のネタツイだらけになる。つまり、ブラック革命とホワイト革命は同時並行に起きているのだ。

 もはやブラックなのかホワイトなのか、わるいねなのかいいねなのか、という問いは意味がなくて、今のウィズコロナ社会がもはや社会として機能しておらず、他人に対して誰もが無関心になるぐらい良くも悪くも分断している証だろう。

 もはや、日本人は日本人として機能していないし、紅白が今年最低視聴率を取った通り、adoなどはもはや日本一の歌手を代表していない。メタバースの住民だけに限定され、それでも日本全体がつながっているのだと確かめたいがために持ち上げられた模造の若者芸人だ。もちろん歌自体は悪くないが、あのうっせわが若者全体を代表しているというより、いかにも若者のような雰囲気がシンボルとして機能したのかもしれない。

 

 いいねも意味がないしわるいねも意味がないし、もはや登録者数も意味がない。

 今、改めて自分なりに小さな国を作り上げることが、求められている。

 

 大事なことは、再三言う通り、いいねがわるいねかという文系的な文脈のゲームでは判断がつかないことだ。

 ホワイト革命とうたう行為こそが、ブラック革命の存在をより強固に浮彫にする。

 いいねがわるいねかという二項対立を弁証法すること、そして潔癖すぎる白でも露悪すぎる黒でもない、新たなる未来の想像力、ビジョン、確かな夢を提示しポジションを張り続けることが、重要である。

 追記

 メタバース化している今では、いいねまみれの世界もわるいねだらけの世界もSNS社が用意したシステムで踊らされている貧者のVRにすぎない。

 Vtuberやアート的視野、社会を意識しながらも、社会は完全に無視し、個性経済学を展開するなどといった発想が参考になるだろう。