潤羽るしあとまふまふが同棲出来た理由

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ホロライブ所属の人気Vtuber、潤羽るしあが炎上した。理由は人気歌い手である”まふまふ”との同棲を匂わす画像が流出したからである。

そもそも、ホロライブ自体がモテないオタク男子を騙して夢を売り金を毟り取る、売人集団なのは明白な事実だ。当然ながら、るしあもその一人だ。

潤羽るしあのファンの特徴は、スパチャ金額が他のVtuberよりも多く、潤羽るしあのことが大好きで、彼女の幸せのためならお金の投資は惜しまない、いわゆる”ガチ恋勢”というものを多く集める事で人気を博していた。

今までのVtuberの炎上と違うのは、私達が普段冷笑するVtuberとそのファン像、その典型例であること。ホロライブ1,2の人気を争う大物Vtuberであることだ。

今回の事件で怒り、泣き叫び、狂ったファンも多いと思う。

私の今回の記事は、そういったファンも、Vtuberそのものも馬鹿にするつもりは全くない事を先に記しておく。

そもそもの話、Vtuberという存在、潤羽るしあは幸せなのだろうか?

彼女はVtuber最大の大手事務所であるホロライブで人気1位2位を争うほどの、普通の人では考えられないほどの才能を持った大天才だ。

正直言って、Vtuberを冷笑する人ほど、Vtuberのことを舐めているが、今ホロライブに所属するということは、東大に入ることよりも難しく、Googleに入社するくらいの難易度と思ってもらいたい。

理由は簡単で、受験勉強と違い、まず新しい業界のために訓練のノウハウがない。その上でVtuberになる前から配信者として経験や人多く集めたという実績がいるのだ。黎明期は、実績がなく配信歴がなくても、工夫次第でも入社出来たが、今の規模が大きくなった市場では、そのようなことは殆どない。

今や学歴や社会的ステータスよりも、いいね集めとフォロワー数集めの評価競争と価値観は逆転し、学歴よりもyoutuberでの人気やツイッターでの人気を欲する時代となったのは、東大生、学者、芸能人、漫画家までもがyoutuberを志すことから明白でしょう。

そんな超難易度の試験を突破し、そのエリートだらけの同僚達の中でもトップに君臨した潤羽るしあは、大大大天才Vtuberだ。

潤羽るしあ

しかし熾烈な競争を抜けた先にあるものはなんだろうか? 

Twitterで一言呟くだけで、1万を超えるいいねという承認。くしゃみをするだけで飛び交うスーパーチャット。自分のこと全肯定してくれるファン。100万フォロワー。100万人のyoutubeチャンネル。美少女アニメキャラクターという完璧な肉体。数え切れないほどのファンアート。会話1つできらら系日常漫画のようなイラストで再現されるチャンネル。有名作曲家、作詞家、演出家、による自分自身のオリジナルのテーマソング。そして、身体の喪失。

個人的な見解だが、Vtuberは規模が大きくなればなるほど、もはや自分自身の現実の肉体と、Vtuberの演者としての肉体に区別がつかなくなっていると思われる。

彼女は、自分の愛猫が重病なことを、涙ながらに語り体調不良を訴え一時活動を休止していた。この話を信じるならば、彼女の現実の身体性を担保するもの、日常的に接するであろう自身のペットが居なくなる事というのは、Vtuberと現実が曖昧となった、自身の身体性を喪失することに近い。彼女が体調を崩したのはペットの病気というよりも、現実とバーチャルの曖昧さによる精神不安定もある。

これに似た現象は、ホロライブ所属の赤井はあとこと”はあちゃま”にもあって、はあちゃまという、Vtuber上でのハイテンションなキャラクターを演じる代わりに、自身の肉体、そして人格までもが乖離してしまい、しばし活動を休止したり再開したりを繰り返すようになっている。この現象は、Vtuberのキャラクターが、現実離れしたVtuberほど陥ってるように思われる。

はあちゃま

やはりVtuberというのはマヤカシで、ただの「絵」なんだろうか?Vtuberをしばし「絵畜生」と冷笑しがちな人間が好きなのが、おそらく日本トップの配信者である加藤純一だ。

加藤純一自身は配信者としてのライバル意識から、Vtuberを絵畜生と呼び、度々配信内でも馬鹿にするために、彼の信者でありながら、Vtuberのアンチという人間は多い。

元々彼は、自分よりも人気がある人物噛みつき、何者にもなれない、Vtuberにもハマれない層の共感を得て、自身も人気物になった人物であり、彼自身が批判したものは今彼自身がなっているということが、古いファンなら誰もが知っている。

加藤純一のファンはしばし、加藤純一本人の凄さと自身の凄さを同一視しがちで、加藤純一のファンを名乗ることに誇りを持っており、それを正当化してインターネットを荒らしたりと露悪的なのだが、Vtuberを盲信して信仰するVtuberファンとはコインの裏表のようなものだ。

そんな彼らの露悪的欲望を逆手に取った企画が、東雲キメラというVtuberを制作する企画で、不細工な視聴者のパーツを集めて文字通りキメラのように組み合わせた企画で、現実とVtuberのギャップを露悪的に表現し、彼等の自身が人気者になりたいが競争社会では勝てない不満を満たした。

東雲キメラ

確かにVtuberは現実に絵をかぶせただけの存在かもしれない。私達はVtuberにハマる人たちはバカだと冷笑すべきなんだろうか?

まふまふは紅白にも所属した歌い手であり、歌手である、まふまふは、男の声と女の声を持った新人類だ。

紅白に出場した際は、命に嫌われているという歌で出場したが、まふまふの選出はともかく、本当にNHKが今の時代の若者代表として、彼を選出したならば「女の子になりたい」を選ばない時点で、彼もしくは彼女の本質を見れていない。

聴けばわかるが、まふまふの声はもう女の子の声と区別が全くつかないほどの萌えボイスだ。

『上目遣いで太陽が登って ウインクひとつで喧嘩が収まる』

太宰治が女性の視点で書いた”女生徒”で『女は、自分の運命を決するのに、微笑一つでたくさんなのだ』と書いたのと同じで、まふまふが描く女の子像は思わず笑ってしまうほどの理想的美少女だ。

そんな女の子は言うまでもなく存在しない。当然のことだ。

潤羽るしあはその想像しなかった美少女を演じたのだ。

そして、まふまふもそれを自身が女の子の声で歌うことで、実現したのだ。

はっきり言って、彼があの声を手に入れたのは 才能 としか言いようがない。

まふまふは運命的にも才能を手に入れた。

潤羽るしあも才能を手に入れた。

そして2人とも、「上目遣いで太陽が登って ウインクひとつで喧嘩が収まる」アイドルになった。

まふまふにあって潤羽るしあにないものは、まふまふは性別を超えまふまふそのものであるという身体性があるが、潤羽るしあには身体性がない。

潤羽るしあを理解し得るのは、女なのか男のなのかもわからないような、まふまふ意外ではありえない。