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こんにちウです。『感傷マゾ』という言葉が一部オタク界隈の中で流行りましよね。私はその一人にTwitterでブロックされてしまったのですが、私は彼等のことが嫌いじゃないんです。私は彼等の気持ちがわかるからです。
そもそも、感傷マゾというのは何か? 感傷マゾの親玉である、「わく」氏の言葉を借りれば、「感傷マゾ」とは「存在しなかった青春への祈り」である、だそうです。
根本的な結論出てしいました。青春というのは存在しないんです。
つまり、君の名は。は当たり前にフィクションで、アニメのような男女の恋愛や、最初から現実に存在しません。当たり前なんですけどね。
しかし、オタクというのはその存在しない青春という虚構を追い続けてしまう病気と言っても良いかもしれません。
何故アニメのキャラクター達はいつまでも、学生で、制服を着ていて、10代で、美少年で、美少女なのでしょうか?
それは私達オタクがその存在しない青春を求めているからだ。
それこそがわく氏の言う”祈り”であるのでしょう。
わく氏だけは、これが存在しないことわかっていると思うのですが、彼等のチルドレンである大学生の感傷マゾ研究会の方達は、コロナを理由に青春が送れなかったことを喜んでいる節があるんですね。勿論、それが存在しないことは心のどこかで自覚していると思いますが、コロナというまるでアニメのような災害、君の名は。でいう所の隕石が本当に現実に追突したわけです。
そこで彼等は物語を作った。コロナのせいでアニメのような青春が送れなかった、と。
本当の現実はこうだ。
コロナがあってもなくても青春は存在しない。自分の事が好きな美少女は存在しないし、物語の主人公にもなれない。
彼等は青春を諦めた。しかし、それこそが青春でもある。
つまりは彼等はいつまでもアニメのような青春を送れなかった事を、オタク達と語り合う事そのものに青春を求めているのである。
これは私もそうだった。私の所属する「つとむ会」というのはそういう集まりなのだ。
Vtuberにもなれない、オタク評論家にもなれない、そして彼等のような偏差値の高い大学生という、社会的な未来が約束された人間でもなく、大半の人間が、無職、フリーター、生活保護なのだ。
私は高校中退の中卒で、田舎暮らしで、無職で、彼等のように頭のいい本さえ読めない。
私は感傷マゾのよう存在しない青春へ、祈りを捧げるべきなんだろうか?
それは違う!
青春は存在する!
それは今の私達世代というのは、オタクが祈りを捧げたアニメである、存在しなかった、失われた青春、そのものを現実だと思ってしまったのだ。
この映像を見て欲しい
彼女達の映像を見て思うことは、彼女達のムービーはアニメそのものだ。
何で彼女たちがこんなムービーをわざわざ編集して作ったんだろうか?
それは、彼女達は今あるアニメやドラマ、映画を見て、自分達のことを、まるで、アニメのキャラクターになったと思っているに違いないのである。
それは、存在しない青春への祈りをわく氏が提唱して、感傷マゾ研究会の人たちが、存在しないはずの青春をコロナがなければあるんじゃないかと勘違いした事と同じだ。
彼女達はいわゆる陽キャかもしれない。陰キャの自分とは違う存在かと思うかもしれない。
しかし、始まりそのものは、おっさんの陰キャたちが、現実にありもしない嘘の青春を作り出したことにあるのだ。
映画「ジョーカー」を本当に実行してしまった殺人犯のように、現実はフィクションの後にあるのだ。
ここで、電波女と青春男の星宮社の言葉を載せる。
「嘘をつく子供、つまりオオカミ少年は信用されず、羊だが山羊は食われてしまうわけだが寓話の説教なんぞどうでもいい! 大事なのはオオカミ少年が嘘を貫いた結果、本当に狼を村へ呼び寄せたという結果にある! それは『偽れない!』」