反文学のすゝめ(宇佐見りんは偽善者?)

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皆さん初めまして。純白です。

この度、カオスフォレストに記事を寄稿させていただけることになりました。

自分は文学も哲学も大嫌いです。正確に言えば文学や哲学のような「言ったもの勝ち」の学問や教養を高尚な娯楽だと勘違いしている勘違い馬鹿に虫唾が走ります。

はっきり言って文学には社会を変える力がありません。

「飢えた子供たちを前にして文学は何ができるか」

これはフランスの哲学者ジャンポールサルトルのもっとも有名な言葉であり問いです。

明治の文豪は思想家であり、明治維新後日本に思想を作りました。自分の大好きな夏目漱石は小説家の前に思想家でした。現代使われている日本語の基盤を作った功績は言うまでもないことですが、いち早く海外に留学し一神教的な概念を自身の作品に落とし込むなど、これから近代化する日本がヨーロッパを理解する足掛かりを作り日本に本当の意味で貢献しました。

勿論、現役の作家にも力はあると思っています。例に出すならば、日本的セカイ系文学の生みの親である村上春樹や分人主義という文学を作り出した平野啓一郎などは日本という終わった土壌に咲いた最後の希望であるといえるでしょう。

しかし日本文学の劣化は深刻であるといえます。

去年の芥川賞受賞作は宇佐見りんの「推し、燃ゆ」で、彼女は受賞当時22歳という若さでした。年齢で文学を判断するのは論外ですが、メディアはこの若くて可愛い女の子が芥川賞を受賞したことを頻りに喧伝していました。世界一受けたい授業という教育系バラエティー番組でも「推し」という概念を若者の新たな思想の流れのように説明しており自分の頭には「?」の文字が浮びました。

TikTokでダンス動画を見ている今の10代や20代前半に共感されることを目的として書かれた小説なのでしょうが、ならば自身も彼女たちの側に立つのが道理ではないでしょうか。Twitterで「私はモノを考えていて偉いですよ」という態度をとっている場合ではなく、ダンス動画の一本でもアップしたらどうなのでしょうか。

アイドルを推すことにしか自分の生きる意味を見出せない若者の閉塞感。そういうものを前にして「文学は何ができるのか」というサルトルの問いを思い出していただきたい。スラムに貧乏な人がいっぱいいて大変ですねとスラムの状況をYoutubeで発信するお騒がせ系Youtuberジョーブ●グと何も変わらない気がします。

他にも冷笑主義社会学者の古市憲寿や一冊しか本を出さずTwitterで語りまくりの自称哲学者千葉雅也など、いろいろな人が日本文学の権威である芥川賞の候補作になっています。本当にこれでいいのでしょうか。文学が好きな人ほど反文学を掲げて戦うべきだと思います。文学Youtuberベルとその愉快な仲間たちは権威に与えられた文学を有難がって紹介するのではなく、たまには批判批評動画でもあげたらいかがですか。

ここまで読んでいただきありがとうございました。