あざとくて何が悪いの?山下美月はひろゆきを超えた。レンマ的知性はアザトカワイイ。

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橋本治はオウム真理教を批判する際に、教義云々以前に麻原彰晃のような小汚いオッサンを信仰する美意識がありえないと憤慨していたが、アイドルになりたくてなれなかった、小林よしのりや黒瀬深までマーケティングに利用する東浩紀、ナンパテクやモテ自慢を頻りに語る宮台真司の必死さ、かわいい論破おじさんとして若者の神扱いなひろゆきブームの異様さから距離を取るためにも、アザトカワイイ本物のアイドル山下美月の知性に触れて、今一度冷静になるべきかもしれない。

山下美月は『あざとくて何が悪いの?』内の連ドラ企画であざと女子大生を演じたことが注目を浴び、かつてのフジ月9枠になりつつあるTBS火曜10時の『着飾る恋には理由があって』にも出演、『じゃない方の彼女』では天然魔性系女子大生役を務めるなど女優として精力的に活動し、乃木坂ファンの外部にも認知度を広げた今年度のブレイクタレントの一人だ。

彼女は世間的に「あざとい」「隙がない」といったイメージを持たれているが、鶏が先か卵が先か、本人がそう振る舞うからそう見られるのか、周りがそう見るからそう振る舞うのか。

『BRODY』2018年10月号に掲載された2万字インタビューでも語っている通り、彼女は学生の頃から美人ゆえに近寄り難く冷たいイメージを持たれており、内向的な性格もあってか、周りの目を気にして「普通の人」であろうと努めてきた。

アイドルになってからも「完成されている」というイメージを持たれることが多かったそうで、そうした周りの視線と劣等感を抱える本当の自分とのギャップに悩む中で、自身の目指すアイドル像を模索してきた。

その結果が『おしゃれクリップ』で紹介されたような、100求められたら120で返そうとするプロフェッショナルな姿であり、完璧じゃないという自覚があるからこそ、自分の枠を超えて完璧を目指そうとする「スーパーキラキラアイドル」としての山下美月がいるのだ。

山下のセンター曲「僕は僕を好きになる」のMVは、アイドルであること自体をメタにした上で、そんな「スーパーキラキラアイドル」へと生成変化していく彼女の姿を描いているが、その詳細に立ち入る前に、これまでの乃木坂においてアイドルであることのメタ表現を担ってきた先達、西野七瀬に触れておきたい。

アイドル・西野七瀬と看護師になっていたかもしれないフィクションの西野七瀬が左右二分割で描かれる「ごめんね…ずっと」、高校生の西野七瀬がバスに乗れる/乗れないを分岐点に美術部とアイドル別々の人生を歩むことになる「帰り道は遠回りをしたくなる」、アイドルと一般人である自分の境界線がオーバーラップするこれらのMVは、もう一つの世界線を提示した上で、今選んだ道を肯定して欲しいという願望が投影されており、乃木坂において、こうした感傷を喚起するメタ表現は儚さの中に芯のある西野の専売特許であった。

二次元の存在が現実に干渉するそれ自体メタ・アイドル的なドラマ版『電影少女』の天野アイ役が、西野七瀬から山下美月へと継承される流れと同様に、これまで西野が担ってきたメタ表現は、彼女とは真逆に、完璧に見えて内向性を抱えた山下が引き受けることになる。

そのことが顕著に表れているのが、先に挙げた「僕は僕を好きになる」で、このMVでは「家族と食卓を囲む」「メンバーとショッピングに出かける」といったプライベートが描かれるのだが、次の場面ですぐさまそのように演じる仕事だったのだと明かされる。

搭乗したタクシーで出くわした幽霊に驚く山下から幽霊ドッキリにはめられて驚く自分を他メンバーと共に見る山下へと移り変わるときに感じる、トゥルーマン・ショー的な薄気味悪さが顕著に示すように、このMVはあらゆるメディアによって、仕事とプライベート、アイドルと一般人の境界線が融解した、アイドルとそれを取り巻くメディア環境が生む居心地の悪さをメタに見ている。

それだけだと単なるアイロニーで終わってしまうが、アイドルに居場所を見つけた山下が「僕は僕を好きになる」と歌うことで、居心地の悪さと同居する形ではあるが「スーパーキラキラアイドル」としてのあり方が希望として肯定される。

全てが見る/見られるに還元されるメディア環境の中での「スーパーキラキラアイドル」という構図は、人の目を気にして生きてきた山下が、「完璧」を求める視線との葛藤の果てに「スーパーキラキラアイドル」になろうと決意する姿に重なる。

それこそが「僕は僕を好きになる」ということであり、ごく自然に「あざとさ」と戯れる彼女のアイドル的知性であると言えるだろう。