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真面目に戦争は面白いから起きたし、戦争の時も楽しいことはたくさんあったと思う(じゃなければ皆apexとかでわざわざ戦争をしたいと思わないはずだ)。
たとえば、コロナ禍が大変だ大変だと皆騒ぐけど、ちょっとしたお祭り騒ぎだなぁって皆興奮しているようにも見える。
なぜかと言えば、コロナ禍のおかげて私は連日、不謹慎に炎上して論壇?デビューできたからだ。
具体的に言えば、東浩紀や宮台真司、ひろゆき、マナル、ぴよぴーよなどがコロナ禍で右往左往して役に立たないという当たり前の指摘から批評をしたら、ファンからもアンチからも大受けした。
逆に言えば、コロナ禍は裸の王様を裸にしてしまったこともあると思う。
一方で、コロナ禍で本当にコロナで死んだ数よりも鬱病やパニック障害で苦しんでいる方が世論的にも感じて、
第二次世界大戦も戦争で直接死んだ数よりも栄養不足や鬱病系で死んだ方が多かったらしい。
となると、NHKやドラマ的な戦争映画や戦争ドラマはある種の現実をまったく写していないだろう。
本当に戦争やコロナが嫌な人がいるとは思えない。
同様に正義にかられた人もいると思えない。
なぜなら、皆、比喩的に言えばYouTubeを毎日投稿しないからだ。
努力したくない気持ちはわかるが、努力をこうまで全然せず、世界の問題をギャーギャー騒ぐのは、単なる誤読、都合がよいし、戦争やコロナを雑に怖がっているだけで、真剣に怖がってはいないし、戦争やコロナより雑な人間の暴走のほうが恐ろしい。
たとえば、原子力は爆発したが、皆もう忘れている。
コロナコロナと騒ぐのは、単にその時代の悪い意味での適応過剰にすぎない。
もちろん馬鹿騒ぎも面白いから、戦争も楽しいはある。
他人事ではない。
実際、第一次世界大戦の頃はこくみんみんなが喜んだ話はある。
そもそも国家そのものが宗教団体、団体活動そのものに根拠がないことをみんな、忘れている。
そうえば、鈴木祐の無MU曰く、不安事の97%は拡大解釈、誤読らしく、批評能力がないという科学的根拠が分かったらしい。
だから、申し訳ないけど、Twitterや世論で漠然と不幸、不幸、不幸と語る方々を見つけると、
不幸というキャラクタで気持ちよくなりたい芸人だと良くも悪くも割り切る。
が、悲しいのはキャラを演じているつもりが、キャラそのものになることだ。
悲観も楽観も根拠がないなら、Twitterの不幸ぶる皆さんより更にかわいくSMプレイとして悲観的に、そして楽勝にかっこよく楽観的でいたいと思うなぁ。