鬱病はリア充。〜アンチフェミニズムは男の娘である。〜

 アンチフェミニズムは

幸せな男の娘だ。

 私はアンチフェミニズムに中立的な立場だが、アンチフェミニズムは彼らが言うように不幸だから流行るのではなくて、むしろアンチフェミニズムが幸福になりやすい方法だから流行るのではないだろうか?とも思っている。

 まずアンチフェミニズムは女性より男性は不幸だったり、大学では男性は冷遇されているという1つの不幸説、

新たな大変な鬱病だ。

 解決すべき新型の鬱病なので、私も彼らの言う通りに社会を良くしたいため深く関心している。

 だが、アンチフェミニズムという新型鬱病が鬱病なのは鬱病だと思い込む政治性がかえって不幸にしているように見えるのだ。

 まず、複雑な事象を語る割には、単純な図式という矛盾。

 彼らは統計やデータを駆使して複雑な論拠を張るが、不思議なのは、単純な図式、男だから不幸で、女だから幸福、大学におけるフェミニズムはアホと言いながらも大学間だけで話しが進んでいる。

 統計やツイート内容は複雑なのに、

男が不幸で、女は幸福という単純さ

という大矛盾。

 私はこの手の現象を統計ネトウヨと呼んでいるが、初めならあからさまにおかしい主観、あなたの感想にひたすら統計やデータを貼り付けて陰謀論をあたかも現実だと話す術学的なやり口のことだ。

 幼稚園児でも分かる単純なことだが、男か女か、左利きか右利きか、単純な二分法で幸福と不幸が分断するほど世の中は単純じゃないし、大学だけが知性の証でもないのだ

 また、ここでおかしいのは、アンチフェミニズムの先鋭である、青式亜論は京都大学かつ公務員かつインフルエンサー、小山狂はメンヘラたちの介護ができるEQ、共感能力に優れていて、かつ、インフルエンサーという、社会的な弱者どころか、リアルの勝ち組かつ、ネットの勝ち組というとんでもないリア充メンツたちなのである

 つまり、アンチフェミニズムは勝ち組かつ幸福なはずなのだ

 聞いた話だと、アンチフェミニズム界隈には、ナンパ師も多く、実は、馬鹿な連中どころか、モテる連中でもあるのだ。

 しかし、ここで矛盾が発生する。

 前半で話した統計ネトウヨ問題、男だから不幸だ、女だから幸福だ、のような単純な二分法、幼稚園でも分かる極論をなぜ信じてしまうような連中が、頭もよかったり社会的な勝ち組な京都大学や公務員、インフルエンサーに果たしてなれるのだろうか?と。

 

 身も蓋もない話しになるが、アンチフェミニズムは釣りであり、インフルエンサーや上位アンチフェミニズム層は単に情弱を釣り、本人たちは甘い汁を吸っている単なるマーケーターという話しもある。

 もちろん一部はそうだが、ここで問題なのは、

大学や国家そのものが思想や精神的な支柱としては不必要という身も蓋もない話しだ(そもそもメリトクラシー、大学そのものが差別とも言える)。

 身も蓋もない話しをすると、大学は起源として西洋の宗教団体から発生しているし、また法律や憲法の理念も中世の正義哲学や新しくとも近代のドイツから輸入したもので、身も蓋もない話しをすると、そもそもいまだに人間だけの主観で書かれたテキストそのものに客観性が宿っているはずがないのだ

 私は天皇は好きでも嫌いでもないが、そんなに平等を訴えるのなら今から天皇制を廃止するかより天皇制を強くするべきだ。

 日本は不思議な国で、民主主義、1人1人に主権があるはずなのに、なぜかいまだに天皇がいる中世国家という不思議なファンタジーなのである

 つまり、日本は近代化を徹底していないし、近代化の矛盾は、人間は神様でもないので、完全な客観性、平等は無理だよ、という幼稚園でも分かるとこで躓いているのだ。

  ここで思い出されるのは、浅間山山荘事件だ。マルクス過激派の高学歴エリートたち、社会を良くしたいと言っていた京都大学生たちがお互いに仲間同士で殺し合い、愉快なバトルロワイヤルを開始した。

 不思議なのは、世界は悪くなっている!世界を救うんだ!と言っていた連中、むしろ敵対する右翼や国家ではなくて、よりにもよって仲間や友達、同胞を殺しまくったのだ。

  原因は、総括。

 幼稚園児でも分かる話しで、潔癖症

 完全な正義を!完全な親友を!完全な平和を!

 を求めすぎた結果、仲間同士で潰し合う感傷マゾな自滅をしたのだ。

 完全な平和や完全な愛情、完全な友達なんてフィクションなのに。

 もちろん口で言うは易く、文脈依存で、フィクションと言い張りまくり、現実はキツいというYouTube視聴者たちも一定数いて、結局のところ、自分に都合が悪いエヴィデンスは誤魔化すのが、人間の本性かもしれない。

 話しを戻すと、

 アンチフェミニズムは勝ち組かつ高学歴だからこそ総括の罠にハマっている、もしくは総括を理由にし、

 高学歴なのにモテない

もしくは

高学歴なのに成功できない

という高学歴弱者のジレンマを理由に、世間を社会を攻撃するようになっている。

 本当の弱者は、ケーキを切れない非行少年よろしくがんばれない人たちよろしく自分たちが不幸であることすら訴えることもできない発達障害者や低学歴層かもしれない

 京都大学に行って中央大学に行って僕たちは不幸なんだ!と暗黒なんだ!と言い張る分には、幸福なのかもしれない。

 

 が、ここで身も蓋もない事実があり、これは今回でまとめきれないかもしれないが、

 アンチフェミニズムも暗黒啓蒙も感傷マゾも

男は都合よく女の子に生まれ変わりたい!

 

 という隠されたテーマが問題だとも分かる。その点で見ると、アンチフェミニズムや暗黒啓蒙はそれを言うのが恥ずかしいから隠して話していて、そこらへんを忖度すると可愛そうだと同情もできるのだ。

 つまり、アンチフェミニズムは怖い男というより女以上にか弱い美少女集団だし暗黒啓蒙も怖いダークウェブというより、か弱い男の娘集団なのだ。

 なぜなら悪ぶる男じみた発言をするわりには女蔑視をするわりには、

青式亜論も木澤佐登志も

なぜか可愛いらしい美少女萌えアイコンなのだ。

 え?

ツイートの文章とか記事のイメージからブレちゃって誤読されちゃうよ。心配になってくる(なお感傷マゾや弱者男性は、むしろ逆の東大おちんちん問題でむしろ女装したふりをした強烈なマッチョ、体育会系だが、彼らは今回説明しない)

 

 だが、彼らが可愛そうかつ、彼らがこの点では弱者なのは正しいのだ

 橘玲『スピリチュアルズ』からも分かる通り、身も蓋もない話しをするが、サイコパス、反社会性パーソナリティは、男性の方が強く、

男性で生まれた時点で可愛くなれない、

つまり、

男性で生まれた時点でサイコパスなのだ

という性別によるメリトクラシー、能力格差があり、身も蓋もない話しをすると、今のインターネットによる評価経済、相互監視の共感社会では、

男性で生まれた時点で一生生きづらいのは当たっているのである。

 つまり、女への嫉妬と男による攻撃というどうしようもない憎悪の塊になっているのだ。

 が、

 ここで強調したいのは、可愛い女の子やEQが高い人間になれなくても、彼らを理屈やマーケティングで支えてあげる選択肢がある。それが男として生まれた自己実現である。

 が、できない。

 なぜなら、

男の娘だからだ。

 女になりたい男のため。

 ただここで厳密に言うと、殆どが偽LGBTだ。

 なぜなら、高学歴の恩恵を得たり、ナンパ師になったり、インフルエンサーになるマーケティングをやったりと、

 明らかに男性であるメリットを得ているからだ。

 そう、彼らがモテないのは彼らが弱者だからではなく、

 単に勝ち組なのに、勝ち組や努力できるところを直視せず、自分たちの負けている部分を拡大解釈し、さらなるメリットを得たいという高学歴強者特有のメリトクラシーの結論なのだ。

 ただ彼らは悪くないかも知れない。

 HIKAKINよろしく不倫80人した岡田斗司夫や借金50億円ある西村博之のようにサイコパス傾向が高い人間ほど現代だと良い人ぶりいいねを稼ぎ富を稼いでいる。

 実のところ、サイバー・リバタリアンの派生と見ると、統計ネトウヨもアンチフェミニズムも暗黒啓蒙も同じ問題であり、逆に言うと、

 弱者のふり、いい人のふり、

 つまり、エリート日本男児は

女のふりをすることで共感性のメリットも持つというキメイラになろうとしているのである(共感性マーケティング)。

 身も蓋もない話しだが、メリトクラシー、能力主義、リベラルの総括的完璧主義、幼稚園でも分かる潔癖すぎる競争主義の結論は、

男のできることもできて、女のできることもできるようになろうよ

という幼稚園でも分かる身も蓋もない話しだったのだ。

 だから、いかにチンコを切り裂き、いかに可愛くなり弱者ぶりいい人ぶり女装するかは、今の男性エリートの勝利の法則なのである。

 が、

 女装をしない

男性たち。

 しかし、女装をしない男性たちだって世の中にはいるはずだ。それはむしろふつーのLGBTや普通に可愛い者たちを支えたい店主関白、もしくは

科学者たち

である。

 身も蓋もない話しをすると、

そもそも結婚や恋愛、承認が完全な勝利はおかしいし、彼らの不幸も相対的な不幸であり、

 国家や社会の中における相対的な不幸なのだ。

 彼らに足りないのは、実はより徹底した総括、反省かもしれない。

 国家は本当に必要なの?

天皇は本当に必要なの?

大学は本当に必要なの?

 国家も天皇も大学もあくまで手段だ。

社会は本当に必要なの?

 社会はあくまで手段だ。

 またそもそも抽象で煙に巻くのはやめてほしい。

 そもそも「会ったこともない1億の人間たちと君たちはセックスがしたいのだろうか?愛し合いのだろうか?」

 つまり、国家の役割とは、認知限界を超えた1億規模とイチャイチャしたいという抽象的すぎる数学的すぎるフィクション、

嘘にすぎなかったのだ

 ただし、国家は必要で、あくまで国家は皆が楽しく効率よく暮らすための道具にすぎない。

 つまり、天文学的な不可能性にイチャイチャに使うツールではなく、単なる功利的なシステムにほかならない。大学もそうであり、YouTuberやGAFAやインテリ集団のテクノロジー研究所がいれば究極的にはいらないだろう。

 そうだ。

  世界を救うために、世界中の移民を入れてみたらどうだろう?

 貧しい白人や黒人、アジア人をたくさんいれたら、きっとリベラルの言う美しい日本人という究極的なユートピアが実現するはずだ。そのときにはきっと味噌汁も呑めないし治安も悪くなりレイプや性犯罪がたくさん置きて、また高学歴エリートの男性たちが大活躍できる愉しい戦争のある近代にサバイヴできる。

 身も蓋もない話しをすると、天才と言われる人間の大半は近代の戦争で生まれたので、戦争が置きて人がたくさん死ねば、素晴らしいアインシュタインやゲーデルのような人間がよりもっと自己実現できるかもしれないのだ。良かった。高学歴男性はやっぱり素晴らしい。

 もちろんアンチフェミニズムの言う通り、大学が無能なのは自明だし、偽善的リベラリズムも男になりたい女という非モテ、また感傷マゾ的弱者コンテンツにハマりながらもマーケティングをしていきたいよりマッチョな体育会系にすぎない。

 結局、何が結論かと言えば、幼稚園児でも分かる話で、

 人文知の未来を守ろう!

というフィクション、自傷行為はやっぱりアニメや漫画だとあったら面白いし自分もたまにはそれしたくなります、という

不幸は幸福だ。

という話しだったのである。