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女性嫌いインフルエンサーが女性アイコンで、自称弱者男性たちがなぜマーケティングができたり高学歴なのか、言動の180度真逆性に、私は以前から不思議だったのだ。
アンチフェミニズム
感傷マゾ。
このアンチとフェミニズム、感傷とマゾ、奇妙なダブルネーミングで創作されたフィクション、両方ともTwitter界ではよく炎上する炎上商法を結果的によくやる御仁たちで両方ともフォローし高く尊敬しているが、
世間的なイメージとは
大きく違うと思っている。
私が判断するに
女々しいのは、アンチフェミニズムで、
陰湿で男らしいのは、感傷マゾの方なのだ。
まずアンチフェミニズムは私が言う統計ネトウヨ現象で、Twitterにいたネトウヨにハマりやすい層が政治運動やルサンチマンのために統計といった数理を利用するという、ネトウヨより過度な政治運動家たちのことだ。
話し合いになるはずがなく、なぜなら初めから非合理すぎる政治運動なルサンチマンを合理的な数理的な問題だと露骨に隠蔽しているからだ。
が、彼らが社会的弱者は明らかだし、ルサンチマンになる事実は本当に可愛そうだ。
また、ネットで言っても現実のアカデミック、リベラルでは無視されるだけなので、
彼らは男というより、いたいけな美少女なのである。
むしろ男という性で生まれて弱者かつやり方が姑息な点で女らしい女といえる。
本当にアンチフェミニズムが女性蔑視の思想なら、Twitterでせいしきあろんや白饅頭が萌え美少女アイコンや可愛い画像にするのは謎だ。
むしろ女性的なメンタリティ、メンヘラであり、メンヘラだから身勝手な発言は許してよというシラケ神経症を込めて、アンチフェミニズムという過激な発言の逃げ道として燃えない萌えアイコンを使っているのだ。
感傷マゾはより年下の現象だが、感傷マゾはむしろ巨根である。
マッチョなのだ。
一見、ひ弱ぶっているが、炎上しても対話をせずに開き直り、その割にはマーケティングを続ける様は、弱い雰囲気を傘にきた元気な男性性の現れであり、宇野常寛がゼロ年代の想像力で看破した通り、弱めの肉食恐竜、いたいけな女の子を安全に性消費したいというより強固な男性性の表れにすぎない。本当に弱かったら、Twitterで注目されたことを嫌がるはずがむしろ積極的に説教されに行きたがる様は、むしろ体育会系的メンタリティだ。近年のポリコレ的マッチョなリベラルから生まれた巨根的な発想であり、アンチフェミニズムとは対極にある思想だろう。
どちらも政治運動かつ性欲望の身勝手な開き直りだが、世間的なイメージとはなぜか乖離しやすい。
なぜなら抑圧された自分の現像を直視したくないアイデンティティが両方とも共通しており、社会に自己を置きたいからだ。
逆に言うと、
アンチフェミニズムと感傷マゾ、露悪的ポピュリズムと偽善的リアリズムはどちらも日本の不毛な現像なのだ。
どちらも片方の身勝手が生み出した現象かもしれないし、どちらも片方の主観性に依存し共存しているのかもしれない。