不死身より「期待値」か?

 不死身になるのは意外と簡単だ。

 1、脳を機械へ移植したり、心臓や目などを機械で補うようにすればいい。すでにGoogleでこの手の実験は行われており、部分的には成功し年を重ねれれば重ねるほど指数関数的に成功度は上がっていくだろう。

2、死んだ後に普遍的に残る強度ある作品を残したり、100年後を意識して生きる。

 が、割と優先順位が悪い気がする。

 1の問題点は、機械だと解像度が荒いことだ。

 様々なことを複雑に考えて、OSを変えていくとなると、半人間ぐらいにして寿命は1000年くらいでいいかもしれない。10000年も生きるとなると、社会は複雑だから気づきもしない問題が起きるかもしれない(機械はあくまで発達障害や精神病を治す外部機能であり、補完にすぎないという所になりそうで、それはそれで熱い)。

 単純に寝たきり老人で死ぬのなら、ラーメン食って死にたい。

 生きるとは何だろうか?

 急激に仕事をしたり集中すると、時間はあっという間だ。

 そもそも年数は感覚ではないだろうか?

 大事なことは長生きそのものではなくて、

 自分にとってエモいことができるか否かではないだろうか?

 死を避けるのは、あくまでエモいことができないからだ。

 むしろエモく死ねたら本望かもしれないが、残念ながらエモく死ねることはほとんどない。

 が、死を避けても、生きようとするパトスが重要かもしれないし、人によっては安楽死を望むだろう。

 だが、最終的には幸福か幸福じゃないかだと思う。

 東大に入りたいわけじゃないが、あった方がいい。

 が、東大に依存しすぎるのも危険だ。

 生死もそういう第二優先だから、不死身などにさして人類は関心がないのかもしれない。

 まあ凡百のみなさんがこれを読んでも意味がないかもしれませんが。