評価経済の終わり?総1億ネコ化計画🐱。tictokというアジア・バザール的想像力。

 

 評価経済はいよいよ

終わった

のかもしれない。

 どうしてかと言えば、端的にtictokであまりにテンションの高いクリエイター、自意識のないちゃらんぽらんなクリエイターが多すぎるからだ。

いいねを気にするHIKAKIN的人間よりも

猫やJK、匿名的クリエイターがtiktokではウケているのだ。

 これから身も蓋もない話しをするから、覚悟や注意のない方は読まないでもらいたい(読みづらさも注意、推敲してない状態)。

 しょせんコンテンツ(笑)にしがみつく

「仕事にすぎない芸人なんて

全員がしょうもないよね」

と叫ぶ素人芸の本当の大衆クリエイターたち、HIKAKINや古臭すぎる場合のオタクがどうでもいい

本業を持っていたり学校のリア充たち、子持ち、犬猫、アーティストによる素人芸だらけの勝ち負けを気にしないクリエイターが大量に溢れているからだ。

 なぜなら1つにTikTokの収益化のしづらさもあるし、15秒〜3分、音楽だけ、外国人の乱入というめちゃくちゃな世界が展開されていて、閉じた日本人の伽藍による登録者ゲームや構文というものをぶち壊すようなカオス感がそこにあるからだ。

 人気tictokerと言えば、

猫とJK、ボカロ3.0的曲

だろう(ボカロ3.0問題は今回省く。今回ややvutuberの悪しき面を後継しないのがtictokerと主張しているが、グッバイ宣言やオタク的クリエイターたちを含めて実は今のvutuber的世界観と対立していても、オタクそのものとは対立していないかもしれないし、むしろvtuber以外のオタクの成熟があるかもしれない。今回は詳細省く)。

 tictokerという過剰なプレイヤーだらけの評価経済の行き着く先は、そこらへんの猫の方が人間より優しいという当たり前の事実を教えてくれたし、当たり前すぎるが、徳川家康(18)のようにそこらへんのクラスで可愛いJKの方がひろゆきやHIKAKINよりフツーに可愛いという当たり前の事を僕だちに教えてくれた。

 過剰なYouTubeによる日本による伽藍的想像力は、そこらへんのそこそこ身なりのいい猫やJKが信用できるでしょという恐ろしい事実を露呈させた。

 失礼な話しをするが、「今のパラダイムの」vtuberが評価経済を稼いできたのも、表面の範囲では猫やJKと同じくあまりに理想化されてクリーンだからだ(JKはJKをあえて演じている)。

 だが、vtuberはまだしも猫やJK、そして場合によってはネットの評価を気にしないおじさんtictoker、TVまで見渡せば蛭子能収といったプレイヤーまで見渡すと、評価経済の結論は、

 人畜無害のいじられっ子

 人間は猫同然扱いに自己家畜化されていることが分かる🐱。

 逆に言うと、あまりにtictokは馬鹿馬鹿しいぐらい有名なそこらへんの🐱tictoker、そこらへんの👨tictoker、そこらへんの👩tictokerだらけになり、とにかくふざけなきゃ損、損、

 普通の方々も自主的にコンテンツを作りやすく、ノリが適当なので素人でも気軽に登録者以上の再生回数を稼いだりもする。

 アジア的な近代的な論理に縛られていない想像力が爆発している。

 コミュニケーションは音になり、絵になる。

 音楽やイラストが溢れていて、ダメなvtuberのように本質的に中身がないのにそこに理由づけをせず、どうも!中身ないtictokerですよ!とハッキリ見せつけちゃうテキトーさがそこにある。

 もちろんvtuberにも可能性はあるしTwitterやYouTuberにも可能性はあるだろう。

 が、今tictokはメタメディアとしての機能を果たしている。

 tictokが収益が難しいのはむしろ良いことだと思う。

 お金なんか

いらないよ。

 という表れだと思う。

 評価経済は端的に言えば、感情労働という体育会系や売春系をアイドルやカリスマといった体で偽装したものでもあるだろう。

 正直なところ、お金をただ純粋に稼ごうと思ったら普通に働いたり、もしくは親や経済学的合理性を直感的にも働かせた方が簡単だ。

 そもそもお金が欲しいなら、投資や起業、エリートサラリーマンになったほうがいい。

 もしくは、支出の少ないニートぎみおよびニート、生活保護が一番経済的に合理的だ(©ひろゆき)。

 評価経済のゲームの目的は、政治力や愛情といったものであり、政治や愛情がお金を稼げるんだと貨幣経済へ挑戦するぐらいいいねだと金稼げますよと訴えるものだ。

 感情労働

してまで

お金いりません。

 投資家遠藤や清水はる、古田更一といった往年の不謹慎系YouTuberたちがお金をアートにしたりお金そのものを疑う視座を示している。

 すると、評価経済が貨幣経済を圧倒していたレトリックは剥がれ、

 友達たくさん欲しいでしょ?

 というそれだけになる。

 働くか経済的合理性、投資をしたほうが貨幣そのものは稼げるので、にじさんじのブラック化は避けがたい事実だ。代わりは誰でもいるからだ。

 そして、壊れるアイドルよりも、

壊れない🐱

の方が癒やしという結論になってきた。

 評価経済のしょうもなさは、優しい人間、神様を探したらマズそうなキャットフードを食べる4本足の人間未満の動物こそが人間よりも優しいのだというお笑いすぎる結果を出した。

 当たり前だが、HIKAKINやひろゆきの顔を見るより、猫や犬の方がバカだし信用できる。

 なので、動画時間数が短くていいし、音楽もあるし、後進国も参加しやすいし、中国だからアメリカ的YouTubeと違い良い意味で使用者に信用されていない脱権力なちゃらんぽらんな中華のtictokは、

インフレすぎる🐱🐶おまけにJK、おじさんを大量に出して、アーティストまで排出してしまい、爆発することになった。

 

 今起きているのは見ている世界が人によって違いすぎる小さな物語、自分のゲームの世界だ。

 この現代は誰でも素人芸でクリエイター、総1億批評家になれる一方で、

 誰もがHIKAKINや人気YouTuber、人気vutuberに宗教的に良くも悪くも依存しなければならないし、HIKAKINはダメで人気vtuberの方がマシなわけは、選ぶ世界観のあまりにネガティブな感じ、つまり過剰な大きな物語やあまりに誇大化したアンチ・フェミニズム、学歴競争にハマりすぎると、高学歴弱者的に搾取される側だと勝手に思い込み、自滅することもありうるのだ。

 今の評価経済は不謹慎YouTuberの想像力を更にコミカルにした🐱tictoker、🐶tictoker、JKオヤジアーティストヤンキーたちによって、

 小室圭!

 そうだ!tictokerたちによる小室圭コラブームによってメディアそのものがビックリハウス!ネタ化されるとんでもない価値相対化が起きてしまった。

 この速度を全面的に肯定せよ!

 お金やメディア、評価、ありとあらゆるフィクションをフィクションだと唯物論的🐱たちによってぶち壊すときに、そこに無限のエクリチュールが展開されていく。

 しかし、失禁しても無駄だ。緊張して肩を強く見せても人類イルカ化計画(©落合陽一)、いや人類ネコ化計画(©古田更一)はイルカといういまだ固有名にこだわる曼荼羅的伽藍な落合陽一をぶん殴り、彼の弱さを踏み潰してしまうだろう!陸の匿名的大量なネコちゃんたちが!ダラーズたちが!

 バイバイ👋

 ニャ〜🐱