人間より機械に関心がある。

 人間そのものに興味がない。

 人間は意外と成長していなくて、むしろ幼少期の原体験の方が重要であることが多く、この人格形成が中々伝わらないことが多いみたいだ。

 まず、ロボットの方が明晰でより面白いので、ただロボットは常にスマホや書籍、様々なテクノロジーで日夜喋っているため、文学も含む技術と融合した人間、テクノ・ヒューマンという機械の弱点を補ったものに関心があるからあくまで話していて面白いだけだ。

 この性格が理解されていなくて、中々に今の愛情という妄想に囚われた人間たちから様々に誤読されているんだと思う。

 たとえば、いいねを押されても、本当にレトリック抜きに嬉しくない(一部例外もあるけど、恥ずかしい!)。

 感情が全然動かないし、親も周りも何も興味がないので、単なる道具としか思っていない。

 ただ人間である以上、他の人間よりは関係性が深いので愛情は湧くが、

 単純に実験の最中に話しかけられるとストレスが溜まってしまう。

 仕事がある意味で楽なのは、人間関係が薄いからで、人間そのものに何も敵意も好意もないから、情報処理としてこなすことができることがある。

 最近、気づいてしまったが、僕が必要以上に僕の趣旨を踏み越えてイチャイチャしてくる信者にガチギレしてしまうのは(僕を大事にしたいと思うのなら、僕の性格を察ししてイチャイチャしてほしい。終生いいねが僕には攻撃にしか見えない)、

 頭に甘い感覚がきて、蟻や虫と変わらない馬鹿になるため、脳のストレス上昇が異常に異常に高まってしまい、1日中、フル回転していた論理や思考データに支障をきたしてしまい、普段の仕事や実生活、そして、自分の人格そのものに支障がきたし、というか催眠とか不可能で、脳髄に刻まれた癖がそうなのだから、普段のYouTube投稿にも仕事にも支障をきたすぐらい、危ないことなのだ。

 営業妨害、いや、人生妨害なのだと思う。

 俺の信者ほど、安易なイチャイチャは悪意や嫌がらせだとしか思えない(例外もあるが)。

 例えば、1日に1回は本を読むかソシャゲをいじり、ゲーム理論をやったり思考しないと、頭が急激に鬱病になる。

 母親から褒められても誰からも褒められても、気持ちよくなれない。むしろ時間の無駄なので、ストレス度が急激に上がる。

 母も父もイノベーションにつながるところもあるが、まだ死なないので(生きていてほしいが、感情労働を多く払っている。ここら辺と会社で限界)、2人と話すだけでも愉しいが、日夜は無理なので、そもそもYouTuberにも関心がないし、人と話すことに元々は関心がない。

 だが、最近は単純に鬱病やメンヘラと同じで、脳が苦手なことだと分かってきて、人と無意味な愛情的なトークすることで頭痛や鬱病傾向が高まることが分かって以来、これはバイアスなのだ、と逆計算することで耐える能力が少し生まれてきた。

 身も蓋もないが、生きている人間よりも死んでいる機械や書籍の方に関心があるから、努力できる。

 才能は、生まれついたものだと思う。

 だからこそ、よく妄想するのだけど、俺を根源的に殺すのは無理だと思う。

 仮に俺を催眠調教って仮にできたらとよく思うんだけど、

それはもう別人であって、思考はしてないと思う。

 大事なことは、友達や家族、恋人と話すときに、自分の理性を失わない状態のままでイチャイチャできるかだ。

 だから、ほとんどそういう人間はいないし、仮にイチャイチャするとしても、イチャイチャしている時間を批評の時間に割きたいため、才能のある人間たちとしか極力話したくない。これは批評家だけかではなくて、仮にニートでも資質があれば話す気はあるが、無駄なコミュニケーションを一才したくないということだ。文脈病なのではない、原理病だ。

 

 逆に言うと、理想主義的でポエマーなのかもしれない。

 ガチ恋な恋愛至上主義なのかもしれない。

 愉しいことにしか興味がないので、人間と話して面白いと思うのは、久しぶりの事かも。

 それでもどんなに面白いと思っても、やっぱりロジックを切り離せない。

 思うに、孤立、自分との対話が大切で、自我を成立するためには、自分1人になって本を読んだり考える時間が自分を作るのだ。

 

 やはり自分の才能を誰よりも俺が知っているからこそ、イチャイチャしてられない。