てゆーか、ふわぽへって何?

皆様はじめまして、ふわふわぽへへです。チャンネル登録者1000人を記念して客員教授に就任致しましたので以後お見知り置きを。

誰も関心ないでしょうけど、今回はカオスフォレスト初登場ということで、軽く自己紹介でもしていこうかと思います。

ただ自己紹介自体好きじゃないと言うか、学校でも名前や誕生日といった基本的な情報以外話しませんでしたし、好きな食べ物すら言いたくなかった。

なんだろうな、具体的な情報を開示するのって苦手で、本当に一番好きなもの、人格形成の根幹に関わるものはやっぱり隠しておきたいし、こう言うこと自体が白状してるようなものだけど、ものすごくアタマが悪い人間ってバレたくない。

臆病であることに臆病なんですね。

そこを回避するにしても、イメージってものがありますから、記号の操作、やっぱりどう見られるかは意識せざるを得ないわけで、そうなるとどうしても嘘書いちゃうかもしれませんけど。 

『さようなら、ギャングたち』も名前の話から始まりますし、じゃあまずはこの意味不明な名前を説明した方がいいですかね。といっても僕が考えたわけではないので知らないんですけど(笑)。

フォロワーの方が僕のことを表現したワードを拝借しただけなんで分かんないです。すみません。たぶん意味とかないと思います。意味がないことに意味があるとも言えますけど。

空洞です。

ペンネームって本名と違って自分で命名できる唯一の名前ですけど、それすら借り物なのは自分の本質を表している気がしていて、つまり僕って徹頭徹尾が作りもの、からっぽなんですよね。

借り物の知識や文化といったブランド物のファッションで着飾って中身があるように見せてるけど、実際は何の面白味もない当たり前のことしか言ってないし。

でもそれってすごくいいことだと思っていて、からっぽであるがゆえに、運が舞い込んでくる余地があるし、そこにすっぽりとハマっていける。

そもそもダラダラツイートしてるだけのナマケモノがカオスフォレストに見つけて貰って今ここに書いてることが運だし。

かつてのビックリハウスや工作舎に集まってきた人たちもこんな感じだったんじゃないかな。とんねるずや香山リカと同じノリ。彼らの名前も貰いものだしね。

もちろん遊ぶからには本気で遊びますけど、本質的には愉しさ以外なーんも考えてない。

浅田彰や山賀博之、千鳥のノブもそうですけど、ゼロを自覚しているがゆえの平凡なだけの天才=天災だからこそ世界をフラットな目で見ることができて、人生をスキゾドライヴで軽やかに楽しめる。彼らって偶然に偶然を重ねて成功した人間でしょ。

なんか世の中には半径〇メートルがセカイの全てだと思い込んで苦しむ不幸な人が多いみたいですけど、幸福な僕としては、生まれたままのガキに戻って不服従のダンスを踊りましょうよと言いたいですね。

あいぽんとかビッグニートとか客観的に見れば終わってるクズニートかもしれませんけど、毎日充実してそうだし、なにより見てて元気もらえるじゃないですか。東浩紀や宮台真司、HIKAKINやひろゆきとは違って。彼らってすごく大変そうだし、あれになりたい人の気持ちが分からないですよ。

だってくだらない二項対立に縛られて頭抱えてるなんて自分をすり減らすだけでしかない。その不幸自体がそもそもフィクションなんだから。

メディアを捨てよ、街へ出よう。

シンプルに外へ出てみろって話ですよ。自転車旅行主義でも路上観察学でもいいですけど、街のノイズに脳を浸すことで思わぬシナプスの爆発が起こるかもしれないし、オモシロい街のヘンを拾い上げることで感覚が研ぎ澄まされる。

部屋の中だけじゃアイデアは生まれない。

よりひとと月曜から夜ふかし、TikTokとInstagramの想像力、本やネットじゃ見つからない、都市という絶対に収集できない野生の博物館を練り歩くことでしか身につかない

生きた知!血!地!

3時間睡眠で仕事に行くのも、逆に10時間以上寝て一日潰すのも、後でお腹を壊すのを分かっていながらヒーヒー言って激辛料理を食べるのも同じ、死と再生、エロスとタナトス、スクラップアンドビルドによる身体性の回復からしか森羅万象の探究は始まらない。全部ぶっ壊してからっぽにならないと。

一日中自由に時間が使えるニートのときよりバイト始めてからの方が本読めるのもそういうこと。働くのってプレイヤーの自分とキャラクターの自分を切り離して、離人症的にメタ視点から操作する役割ゲームだから、心身ともに自分を殺すことができて、限りなくゼロに近づける。やりたくないことをやることで、やりたいことをするための容量を確保できるという逆説があるんです。

吾妻ひでおや高橋源一郎は行き詰まって肉体労働に従事してましたけど、あれもゼロから始めるための一種の修行だったんじゃないかなと。

全てに絶望しているからこそ、世界が希望に満ちている。みんな大キライだからこそみんな大スキ!森羅万象をどうでもいいと思っているからこそ、森羅万象を知り尽くしたい

I’m fucking loser。

才能がない負け犬だからこそ、まだ見ぬ才能を発掘して繋ぎ合わせるキュレーターや編集者になりたい。偶然で生きてきたからっぽの器だからこそ、もっと才能ある人たちの間で偶然のネットワークが形成されるところを見てみたい。

有吉弘行のように。

蛭子能収が有吉のいじりには愛があるから不快じゃないと言っていた通り、彼のイジりには対象を突き放す意地の悪さと人のダメさまで包み込む優しさが同居していて、つまり彼の本質は人間をバカにしているからこそ人間を愛しているところにあるんです。

有吉はよく「強運だっただけ」と自嘲しますけど、これ半分ぐらい本気で言っていると思っていて、本人の努力も十分あるにはあるんですが、猿岩石が電波少年のヒッチハイクに選ばれるところから、『内村プロデュース』の猫男爵、『アメトーーク!』の毒舌あだ名芸人まで、偶然が重なって再ブレイクに繋がっているのもまた事実で、彼は誰かに拾い上げられることで救われてきた面があるんですね。

有吉はまたいじられる側をやりたいとよく言ってますけど、多分彼は司会の立場にまで登り詰めた今でも自分のことを才能あるとは思っていなくて、それよりも内Pイズムを引き継いだ『有吉の壁』のような場で若手芸人の魅力を発掘して、ブレイクのきっかけになることが楽しいんじゃないかなと思うんです。

話が若干ループしますけど、僕も『有吉の壁』のように、面白い、才能ある、かわいい、美味しい、楽しい、気持ちいい、自分が直感的にスキだと思うものを集めてきて、雑誌のように一つの誌上の上でバラバラのまま繋ぎ合わせたい。 まじめな軽チャー、まじめに軽チャーなお祭り騒ぎが見たい。

遊やビックリハウスや宝島や広告批評や写真時代のように!まさにカオスフォレスト、カオティックに森羅万象の中で輝く、鬱くるしくも虚くるおしい、ただ美しいだけじゃない「美」を探究したい。

長々と回り道しましたけど、端的に自己紹介するなら僕を表すものはそう「美」の一文字だけなんです。