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いつもダダイズムにある感覚。
どうして心底興味のない誤読者たちの群れにいながら、しかし、それを捨てずに連帯してあげているのかが不思議でならない。
捨てがたい人間性だ。大事にしよう。
とにかく社会がどうやってできているのが。その謎を紐解くことだけに関心があり、他の事は正直どうでもいい。
なのだけども、人は事象現象の紐解きよりも長ったらしいウダウダとした計算式でやっていることが多い。
遅い。
よくある話で計算式は短ければ短いほどうつくしいことがある。
長くしたり解説化する暇はないが、邪魔されるので仕方無しに邪魔する人間にどう邪魔するか、背理、邪魔する人間たちをいかに愛するかは重要だと思う。
一言で一つに言えば、
大衆は愚か
という事なんだろうけど、そんな自分も大衆からおんぎゃーと産声を上げて産まれたと思うと連鎖的に僕も大衆を笑う大衆であり、
虫に対する愛が重要なのか?
と思ってしまう。
簡単に言えば、社会、他者、は、誰しも自分にとって邪魔する事はあるんだけど、
親や大学、仕事、
根幹にある人間性
全てのゲームをクリアし続けるとなると、なかなか自由は難しいと思う。
親と仲良くてしかも大学もいかに寝たり出し抜くかそして仕事をクリアしカネや暇つぶしを得るか。
生きる事にしがみつきすぎなんだろうか?
単純にコミュニケーションやバトルを避けたら、お前じゃねーだろ!仮に負けても、お前らしくぅ!
という事かもしれない。
つまり、美だ。
どんな状況だろうとすべてを統合し100点を出し抜くアウトプットは重要だ。そう思うと肉体は面白く、癌や親、仕事といった課題はある意味どうやって連体し乗り越えるか?という美を傷つけても残るだろう美な気がする。
たとえば、英文読解や英文法は趣味で大好きで1日中熟語を見て、パーツの構造を眺めるだけで幸福だ。
だから、同じことで、いかに英文法の美しさを人間を使ってやるかやらないかという気がしている。
うん。
美を完成させる数式の答だけに集中すれば、後はいい。
だから、個人の徹底性が社会のハックじゃねーか。
ヤバい!
鼻水が出てきた!