才能も努力も存在しない。 不謹慎系YouTuberという特異なポジションを手段にするのは美味しい。 安藤ー坂口章ー古田

 感情に関心がない。

 これはまったく伝わるとは思わないし、伝える気もないのだが、物事ができるかできないかに、感情はある意味で必要ないと思う。

 もちろん物事をやり遂げるにはモチベーション、感情、つまり、パッション必要だ。

 が、現状分析をするときに、勝ったか負けたか、キモいかキモくないか、男か女か、そういったことは単なる人間の主観であって、それよりも、物事の本質は不動で、その上に、勝ったか負けたかが付随するだけで本質ではないとさえ思う。

 例えば、数理的に美しいのは、不謹慎系YouTuber安藤や坂口章の人脈の作り方だ。

 遠藤やよりひと、へずまりゅうは面白いしよくコンテンツを見るが、不謹慎系YouTuberそのものに命をかけているから、僕とは違うなぁって思う。

 不謹慎系YouTuberそのものをただ漠然とやるのは、正直、嫌われることも含めて、当たり前だけど、旨味はない。

 基本的に交友関係、登録者を10000人以上多くするとなると、ほとんどが申し訳ないが、雑魚ばかりだ。

 性格が悪いから、雑魚なのではない。

 能力が低いから、雑魚なのだ。

 酷い言い方かもしれないが、とんでもない。

 9000人以上も雑魚に時間を取られると想像してみてほしい。

 マジで割に合わない。愛情か感情労働ができないと、登録者10000人以上は向かない。

 僕はヒカキンのようにマーケティングを隠す気はないので、多少は旨みがありすぎるからやっていると話しておく。

 だから、不謹慎系YouTuberを手段として使うというプレイヤーは、単純に、自己の最適化として使えるというマーケティング要素も強い。

 図々しい話だが、資質があったり、相性がよかったりする人間をマッチングするシステムだとYouTuberは割り切った方がいい。もしくは、初めから仲良くなる気はないよって。

 安藤チャンネルと坂口章は完全に仲良くなる気がないと割り切っている。その点で、彼らの人生がストレスフリーなのは言うまでも無い。僕もそうだが、認知度の方が重要で、能力も低いし性格も悪い金も払わない登録者はブロックして当然、が、認知度としては使えるので、

 不謹慎系YouTuberは登録者よりも、アイツはムカつくよね、とか、有名人にブロックされたとか、そっちの方が本当の潜在登録者なのだ。いかにアンチやコメントで悪口を書かれるか悪いねを押されるかが意外と重要で、もしくは、いかに仲の良い人々を発見できるかも重要になってくる。

  僕はかなりがめつい性格をしているため、どんなに使えなさそうに見える登録者でも使えるだけ搾り取ろうと思っている。だから、かなり不謹慎系YouTuberはレバレッジが効いて美味しいのだ(もちろん、ここまでマーケティング的に考えていないし、勝った負けたは運のため、すでに資質を使い果たした東浩紀や堀江貴文に会おうだとかは馬鹿にすぎない)。

 が、ここで真面目に話すと、基本的には、才能や努力は存在しない(過程において差はあまりない)。

 身も蓋もない話をすれば、今の時代がたまたま評価経済社会のために、ヒカキンか坂口章、井上漠かという話になるだけで、勝ったか負けたかは、文脈依存の面も多い。

 単純に言えば、人に愛される人は、ゆえに人間関係で苦しむし、大企業に入ると、大企業のシステムに時間リソースが取られて、新しい投資をしている暇がなくなる。

 よく安定の大企業や家族を取らないと〜っていうよくあるステレオタイプの話があってネタならいいし僕もそれはそれでいいかなと思うが、

 めちゃくちゃ、大企業や家族、そんなものは全く信用できないのに、どうして皆そんなことにしがみつくのか疑問だと思う。

 リスクを計算すれば、大企業に入ったからと言って、安定が保証されている話はない。

 あまりに抽象的すぎる。

 それに、大企業に入ると、時間をたくさん奪われるし、いかに損切りをするかっていう点で落合陽一のように起業をしたり、他の人間関係で損切りをしとかないと、かなりまずい。

 安定こそが、かなり時間と人間関係が社交だけになり、そこに依存すればするほど、しがみつけばつくほど、リスク度が高まっていく。

 なので、就活がどうだとか、高橋祭が死んだとか、まるでどうでもいい。

 頭の悪い人間が死ぬのは当たり前だ。

 これは、厳しいことを言っているのではなくて、どうして東大文学部という競争を選択した人間にわざわざ弱者的に同情しないといけないかが僕にはよくわからない。

 能力の戦いを選んだ以上、最低限は、馬鹿は駆逐されて、当然だ。

 それを了承して戦うのが、戦場というものだろう。

 血も涙もないと言うかもしれないけど、初めからそういったパスポートをぶら下げる場所でどうして負けたら負けたで逆ギレするのかがちょっとよく分からないのだ。

 なので、

 話は戻るが、努力や才能はあくまで結果であって、使い方次第だと思う。

 よく努力ができないだとか、才能がないだとかは、こういった世間の常識に振り回されているような気がしている。もちろんこんなにうまくはいかないが、

 発想としては、努力はしなくていいと思っている。

 身も蓋もないが、動画投稿は楽しいので、努力がどうとか周りの評価とか考えていない。

 だから、投稿することができる。

 逆に言えば、動画投稿ができる分、それ以外の努力を失っているかもしれない。

 そう、全てはトレードオフであって、結局のところ、遺伝子的な長所でレバレッジをかけまく理、遺伝子的な短所は短所と割り切って敗戦処理的に割り切るという目線が必要な気がする。

 だから、YouTuberは超多くて5000人、最低、1000人を目指して、あとは、他のプチインフルエンサー、実力者たちとネットワーキングを広げるという違う旨みで差別化した方が、不謹慎系YouTuberは美味しい。

 こんなに合理的に鋭利的に考えていないが、YouTuberをやる以上、最低限、自分の人生をしっかりと考えるのは、大前提だ。

 人生の設計として、初めからヒカキンだとかひろゆきだとかは諦めた方がいい。

 それは、はじめの努力の段階で大体分かる。

 そうじゃなくて、自分のできないところ、できるところ、そこに共通するコアを数理的にどう一言で要約し、長所も短所も同じものだと気づき、生かせるようにするのか。

 ここが重要で、哲学に詳しいだとか、詳しくないだとかは、そういった量はあまり意味がない。

 たとえば、東浩紀やヒカキンが成功したのは実力は絡んでいると思うが、宇野常寛や藤田直哉、黒瀬陽平、きょんくま、まで来ると、かなり運もあったという気がしてならない。

 また、過去成功した人間が今のパラダイムで凄いとは僕は思わない。なので、東浩紀は衰退するか、歴史的遺物として生涯を終えるだろうと思う。

 よく不謹慎系YouTuberを世間ではクズというのだけど、本質は、自分の利益にめざといクレバーな人間たちだとしか思わない。

 遠藤やへずまりゅう、よりひとは確かにクレバーかつクズかもしれないが、彼らはある意味ではヒカキンに近いあまりに素朴すぎるマーケティングしかない。

 が、安藤チャンネルと坂口章のやり方は、めちゃくちゃ美味しい。

 一番、ストレス度なく、頭を使わず、ほしいものを手に入れる点で、

安藤はお金を、坂口章は自由を、俺は人脈(なお、自由もある。有名人に会いすぎるのは割に合わない。専門職や統計調査を取れるたくさんの母数を手に入れることだ。一番自由なのが、あくまで坂口章なのだ)をという、

そんなに卑しいわけじゃないのだが、結果的に自分の利益を計算できているため、結果、不謹慎系YouTuberという自由のカードは強力に使える。

 もちろん誰もが登録者に利益を渡していることは有益だ。

 が、ヒカキンだとかになろうというのは皆が考えている。大企業で成功しようだとかは皆が考えている。

 本当に成功するということは、自分で新しい仕事やキャラを作ることだと思う。

 登録者稼ぎをやめろとは言わない。そうじゃなくて、メリットの裏にあるデミリットまで計算すると、

だから、大半はヒカキンになれないことに気づく。

 もちろんヒカキンの天才性もそこにあるけど、ヒカキンに心底なりたい人間はそんなにいないと思う。

徹底的にヒカキン評論まで言語化していないから、ヒカキン的なところで絡みとられる。

そうじゃなくて、登録者とは何か?不謹慎系とは何なのか?まで細かく見ていくと、

人生の抜け穴や意外とよく見つかっていく。

もちろんこんなにうまくいくことではないだろうけど、僕は感情労働をしたくないため、B対Bの仕事をしているし、いつでも首になっていいとさえ思っている。仕事などいかに楽して金をもらえるか、もちろん苦痛に耐えるのも大事だが、そうやって割り切っている。みんなが欲しいのは、ヒカキンの自由さやお金であって、それなら、穴場の仕事を見つけた方がかなり美味しいこともある。もちろんこんなにメリットデミりっとを計算することは不可能で、結果的に、マーケティングが見えるだけという面が大きい。

 ただ人は自分がなりたい者にしかなれない。

 そういう点で根源レベルまで考察したり、悩んだり、立ち止まったり。

 そういった機会は、むしろ、長い目で見たら、チャンスだ。

たとえば、スピノザあたりとかは親の年金で食っている今でいう引きこもりだ。

ショウペンハウワーも冴えない非常勤講師のようであったともいう。

凄いか凄くないかは、見る人の判断に過ぎなくて、生前の評価と没後の評価は実はつながっている。

なので、勝ったか負けたかは表層に過ぎない。

哲学はマーケティングと同じだと思う。

(もちろん坂口章や安藤がここまで考えていないと同様、僕もここまで計算していない。が、結果的になぜ坂口章や安藤チャンネルがストレスフリーに見えるのか?あんなに嫌われているのに、という目線は、彼らが異常に天才、もしくは合理性が高いことの証明なのだ)。