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意外とこれ、あると思うぜ。
紙の本だからこそ面白いこともあれば、電子書籍だからこそ面白いことがあると思う。
たとえば、落合陽一は電子書籍で読むと楽しいけど、古市憲寿は紙で読まないと愉しくない。
だからさ、これって本人のキャラクターじゃないかなって思う。
デジタルネイチャーとか紙だと読む気があんた起きないし、紙向けの論者だとか電子書籍向けの論者ってあると思う。
落合陽一は断然、電子書籍で読んだほうが文体の無機質さがスッキリくるし、途中途中に電子アートを入れ込むので、ふわぽへ的想像力に似ていて非なるようなしかし似ているような文体をそこにエクリチュールで感じてしまう。
だからこそ、昔の本は必ず紙で読みたいもんだけど、今の本は電子書籍、深くは場合によっては動画な気がする。
そもそも解像度でいったら動画かもしれないし。
文字の役割はコピーライトや端的に意味を伝えるようになる気がする。
が、古市憲寿のように良くも悪くも既得権益にしがみつきたい場合は、また違う気がする。出版文化に依存している感。
ここに勝機があると思う。
出版は自分でやればいい。
電子でもいい。
紙でもいい。
が、昔のパラダイムではない上で、どうするか?だと思われる。
そういうもんですかねぇ〜?