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彼?彼女?の知識は
マジックハンドだ!
社交ぬきに身震いと戦慄から34000円もする宅八郎本、いわゆるふわぽへ1.0を私は購入し、戦慄する勢いで読んでいる。


そこに書かれていたのは、古田更一、私だった。
東浩紀から宮台真司、きょんくま、マナル隊、そして連日続いている私のひろゆき動画炎上を含めて私は批評系YouTuberとして数多くの論者の面の顔を剥がし、価値相対化というメディアに洗脳された事への復讐執行人をしてきた。
私は半ば怒りにかられて、連日炎上していて、今も炎上していて、質の低いコメントや悪い意味での複垢という卑怯者たちから日夜攻撃されているが、なるほど!遠藤チャンネルや安藤チャンネル、坂口章、よりひと、立花孝志、そして古田更一、我々、不謹慎系YouTuberや迷惑系YouTuberの起源は宅八郎にあるのか!と驚くべきことに気づき、単なる頭が悪そうな宅八郎、いわゆるふわぽぺ1.0がこんなにクレバーな人物だったとは驚きを隠せないでいる。
大天才がこんなところに眠っていたなんて!
宅八郎2.0、もとい宮崎指導者ふわぽぺ氏は、メディア史に総合的に長けた橘玲的な黒幕だ。
かわいい橘玲。

Twitterからブログ、インスタ、画像、ありとあらゆるメディアそのものを理論的にアーカイヴし言説するメディア版橘玲的パラノなのだ。
批評の強度やエグさ、本質度、他者成長を含めて、元宝島30編集長、橘玲という地味に見えた怪物の存在は外せない。
そして、宮崎指導者ふわぽぺは、間違いなく20年代カルチャー、少なくともつとむ会の思想的中心と言っても言い過ぎではないだろう。
良い話でも悪い話でもないので突っ込まないようにしとくが、太宰治2.0、魔法少女さやかちゃん的終末ちゃん氏にふわぽぺ氏は寡黙なのにコミュニケーション能力が異常に高いのか?という指摘をされたが、とんでもない。いや、むしろ素晴らしい驚きの指摘で、自分でもそう言ってしまって驚いた自分に驚いたんだよね。
宮台真司や古市憲寿、箕輪厚介がTwitterでフォローしても頑なにフォローを返さず、あくまで理論的強度で対話する橘玲こそが、圧倒的なコミュニケーション強者だ。
コミュニケーションは表面的に話しているだけでは、コミュニケーションとして成立しない。
島宇宙と島宇宙を突破するには、英語的な理論的な強度が必要だ。
よく昔のオタクは知識があるかないかで、そいつが優秀か優秀じゃないかを判断する。『僕たちの洗脳社会』岡田斗司夫がそう言っていた。
だとしたら、宅八郎、ふわぽぺ指導者こそが名の通りにつとむ会の底上げをしたと言っても言い過ぎではないだろう。つとむ会の理念やwikiのシェア的平等思想は彼が作り上げたらしいのだから。
コミュニケーションの本質を表すという意味で、良くも悪くもな東浩紀の対極に君臨するおたくだ。
東浩紀は優秀な一方でたくさんの若者潰しをしてきたことで有名だが、彼は資本主義礼賛、彼は良くも悪くも右翼だから仕方がない。
が、ふわぽへ、宅八郎2.0は、圧倒的にメディアそのものを疑うという視座が凄まじい。古田更一やだいきを明らかに凌駕する圧倒的な情報収集能力の凄まじさ、パラノは、真実、森羅万象を証明しようとする以上に正常に狂っている、理性的に狂っている、様が感じられる。
ここでふわぽぺを持ち上げすぎだと言われるかもしれない。
が、愚かなり!
私は持ち下げている!
今、この私の文章に不快を覚えた方々は100点中0点だ!復讐執行!
なぜなら、ふわぽぺ氏は
まともに狂っているからだ。
笑っているのか泣いているのか分からないぐらいの圧倒的なパラノ的ドライヴは、過剰がゆえにヘルメスのような笑いを誘うスキゾ的ネタツイートへ加速する。
地獄であり、天国であるー。
少年であり、少女であるー。
キモすで最悪なおたくを演出する時計じかけのオレンジな宅八郎と
小林よしのりや田中康夫、出版社、テレビ局まで論破する復讐執行人な宅八郎。
かっこかわいい。
2つの両輪を両手に持ち、宮崎勤的な思想、いやアーキテクチャを構成しているのだ。
ある種のキテレツに見えて、ある意味ではオーソドックスになるかもしれない、古田やウ、メテオ、終末ちゃんとは違うのは、彼?彼女には、ある種の鬱病や躁鬱病が存在しないことだ。いや存在するからこそ、大変かもしれないが。
浅田彰の再来。
いや、
中沢新一の再来。
いや、
プリキュアの
再来〜?!

シラケつつノり、ノりつつシラケる。
はぐらかしはぐらかし、いや強くはぐらかし、いや弱く緊張している。
まさにラビット通信、可愛い怪物なのだ。この矛盾を矛盾のまま、肯定しなければ、宅八郎がなぜいじられながらも恐ろしい怪物なのかが分からないだろう。
東浩紀も優秀だが、彼はオタクに緊張している。故に、自分以外のオタクを認められない。
が、なんとなく、クリスタル。格好つける「」外し。間違いなく西尾維新の影響を受けていると推測されるであろう、
「おたく」という最もオーソドックスな、いや最も批評に忠実すぎる態度を見せているのだ。
もしかすると、高度情報社会において、男という記号そのものはいなくなったかもしれない。
不気味にキモスなおたく、美少女アイコンを緊張を持ちやることが、批評なのかもしれない。
ご注文はうさぎですか?ウサギの耳に惑わされてふわぽぺの牙を舐めてはならない。よく見ろ。美少女アイコンにヒゲが生えているではないか!マトモに理論的に狂っていて、トリガーをもはや押している。
彼の目の前では、全てが脱構築されていく。理論的に理論が脱構築されていく。なぜなら、あり方そのものが宅八郎2.0、メディアだからだ。
もしかすると、私は消えていった小林秀雄や吉本隆明、そういった正統派の人間、肉体は死んだが魂は死んでいない人間たちを読者に誤配的な手紙を今ここで書いているのかもしれない。
橘玲に似ているのは、彼は成功も失敗も躁鬱も鬱も極度まで理論的に証明し尽くし、ハイパーにどっちも食べちゃう、日常の延長線しかそこに存在しないからだ。

リーダーらしからぬリーダー。理論家らしからぬ理論家。
いや、もはや、この文章を書いているのは、ふわぽぺかもしれないし、奇しくも死んだ宅八郎かもしれないし、今これを読む読者そのものが私を書かせたかもしれない。ふわぽぺはアーキテクチャそのものだ。固有名に意味がないからこそ、意味がある。それこそ、ふわぽぺ、という名からそうだろう。歴史に名を刻まなかった無数のおたくたちを背負いながらも、名を刻むような化物語。刀物語。猫物語。
パラドックスのパラドックス。
ファッションならぬファッショ。
しかし、仏教的にステディにダメよね…しょせん…とパラドックスの嵐で止まらないよ。東浩紀のようにメディアに支配はされないよ。
もしかすると、鏡の国のアリスが、ウサギと話していたのは現実だったかもしれないのだ。
ボードリヤールならぬシミュラークル。
ハイテンションならぬバイテンション。
高度情報社会において、人格の束は1つでは、ない。圧倒的なスケールにおける思想という多重人格。lainとレイン。
大二病と言うなかれ。
「大二病」なのだ。
なんとなくクリスタルでは、ない。
なんとなく、クリスタル、なのだ。
きゃははははウフフと笑ったときに、もう姿形はそこに存在しない。
座敷わらしとは、
宮崎指導者のことである。
中沢新一と浅田彰の私生児ながらニコニコカルチャーを現代版までアップグレードさせて自分すら踏み潰すポスト東浩紀的な疾走感!
かわいいはきっと
暴走する。