【閲覧注意】純白啓蒙、daigo、ホームレス。〜個性経済学VSひろゆきの怒り〜

 今、若者の間で似た空気が徐々に流行っている。

 気楽なのに馬鹿そうなのに賢そうなあの風が❗

 分かりやすく言えば、安藤チャンネルやまつたけ大王という話になるんだろうけど、分かりづらく言えば、えっとなんだろうか?

 というわけで、純白啓蒙、いや純白啓蒙と名付けた自分ですら今起きていることを把握しきれていないので、ここに記載していこうと思う。

 格好つけるためにも「」をつけて大胆に分析させていただく!できる限り、スマートに!早く!スマートに!

1、マルクス構造主義のダイヤモンド

 これである。今回は真面目な内容なので先に理論的に強度性が高いところから攻めていきたいと思う。

 純白啓蒙は今の20〜30代あたりの思想運動だが、理論の中核を担うのは、意外にもメテオ氏や古田更一、本人は無自覚だが、だいきの講談だろう。

 メテオ氏は百合ラカン主義者で百合的な崇高さを掲げながらも、そのストイックさで美少女的なノリなのに攻撃性と体育会系顔負けのコミュ力と天才性をかな備えた奇妙な御仁だ。

 次に古田更一、私、批評系YouTuberは不謹慎系YouTuberのように見えるが、中核にあるのはやはり浅田彰的な新人類、宇野常寛的なゼロ年代組で、過剰にマーケティングを話せながらマーケティングと逆をやるのも、ドゥールズ的なマルクス構造主義を感じさせる。

 そして、だいきの講談は好みは人文系だと思うが、攻撃性においては現場的アナーキズム、だめ連的想像力を有していそうで、外山恒一的な反権力を理論と実践で志向している。

 まず、この3者に共通しているのは、躁鬱病気質、スキゾ型であることだ。

 まずメテオ氏は自称障害者を謳っていて実際に大変そうだが、本当に単なる馬鹿ならジジェクも読めないしジジェクを中核に置きながらもたくさんの人材をリクルートしたつとむ会という組織を作れるとは思えない。失礼かもしれないが、私はジョジョ6部のラスボス、ディアボロと気が弱い少年ドッピオ的な恐怖を感じていて、元ホームレスなのに力もありdaigoを論破するプロ奢られヤーに近い薄気味悪さ、知能指数の高さをホラーに感じるのだ。ラカンを極めた人間の睡眠薬飲んだだとかapexやっただとかは、本人としては天然かもしれないが、ラカン的にどこまで本気で言っているのかが分からないほど実力を隠している気がする。そうえば、中沢新一をかなりつとむ会は推している印象だったが、百合を推す姿が結果的にシラケた理系的宗教、チベットのモーツァルトに近いものを感じる。

 そもそもジジェクというヒゲの威厳のあるオジサンと美少女アイコン的想像力はあまりに乖離しすぎていて、メテオという名前からしてテンションが高いが、このノリが浅田彰の逃走論や中沢新一のチベットのモーツァルトを全く違うジジェクと百合で新しい批評言語、物の見方を作ってしまったことが、メテオエピゴーネンを作ってしまった背景にあるかもしれない。

 厳密に言えば、メテオ的想像力は、ニコニコカルチャーと哲学をつなぎ合わせることでヒカキンに対抗しようとしたニコニコカルチャー組の闘った証と言っていいかもしれない。

 古田更一のテンションの高さは言うまでもないし、だいきの講談のアナーキズムも言うまでもない。そもそも二人はYouTuberなので、スキゾに動画投稿を続けるところがある。

 彼らは真剣すぎる鬱病キャラか過剰にシラケている躁鬱キャラかというところがある。

 そう見ると、文体やエクリチュールがメテオとだいきは正反対だが、鬱と躁の極端な二面性において、古田も含めて、3者とも悪意なく素で二面性が強すぎることが分かるディアボロなのだ。

 ここにまつたけ大王やラビット通信も入れたらより分かるが、純白啓蒙的香りがする思想家たちは、悪気なくマーケティングなしに2つの矛盾が分裂しながらもそれを押し通すというところに特徴を感じる。

 2、不謹慎系YouTuberというポスト構造主義

 ただ拡散性だけに置いて、現時点で最も純白啓蒙のスターと言えば、遠藤チャンネルという初代不謹慎系YouTuberだろう。

 とにかく空虚なセカイをなんとなく倒すためには、一回りしてバカであれ!ということがあるかもしれない。

 が!

 遠藤チャンネルが本当に一番だろうか?

 ここが純白啓蒙の不思議な感じだが、個性経済学、一人一人のキャラが強烈すぎて、もはや比べて、あいつが勝ち、あいつが負け、ということにはならないのだ。

 たとえば、最も復讐執行人したのは、

坂口章や古田更一、ウの可能性は高い。

 ウ氏が読んであまりに過度に攻撃性が上がったら困るので冷静な目線だとあくまで話すが、

 まず遠藤チャンネル&安藤チャンネルはネタにされやすいのだ。

 特に遠藤チャンネルは今落ち目になっているし、つとむwikiに書かれているとおりに、投資家キャラに移り変わり、YouTubeでさながらdaigoやひろゆきのようにアンフェミ界隈系から裁かれるように社会的粛清をされて、伝説になった。それは凄いが、持続性がないため、日夜表れるインフルエンサーや生権力に対抗できないし、良くも悪くも足りない部分がある。

 なお、持続性がなくても、不愉快なのが、坂口章。本当に単なる不愉快をひたすらやり、垢バンされてもひたすらやりまくるキチガイぶりは、古田のブチギレ感に似ていて、彼は社会的粛清をされたが、復讐執行人としては坂口章が瞬発ではトップクラスだったかもしれない。

 このように、何を言いたいかと言えば、不謹慎系YouTuberはどっちが上か下かという登録者集め的優劣を3者とも実は全く興味がないのが面白いのだ。私はこれを、個性経済学と呼んでいる。

 評論家安藤はバランス型で知識がないし、二人に比べてオタクな感じはするけど、だから故に持続性を持つし、自分がネタにされていることを更にネタにするようなya!のような外国人のフリで自分より痛い匿名電話に参加するというYouTubeコメントたちへの静かな復讐執行人をしているという点で、マーケティングは好きでも、故にコメント欄の中傷を上から眺めているのだ。あれ、体育会系は短期型で続かないのかな?

 古田更一の場合は自分のゲーム(©落合陽一)で東大王からきょんくま、宮台真司、東浩紀、ひろゆき、daigo、文学YouTuber、ぴよぴーよ速報、中田敦彦のYouTuber大学を恐ろしさ(©ウ)、早口と圧のある言い回し、豊富な知識とひろゆきと上祐に匹敵する論破力で大量コメントで中傷されながらもコメントすら論破し、インテリ不謹慎系YouTuberという謎のポジションを獲得している。

 ウは美少女アイコン的な優しさと鬱的な空気感によってTwitter版安藤チャンネルのようなバランス感を獲得している。文学者、小説家2.0、ライターなのだ。ネタにされる安藤のクッションの代わりは、可愛いというクッションで、これまた独自のポジションを獲得している。まあ不謹慎系ツイッタラーとあまりに言い過ぎると、責任が取れないため、あくまで今起きている事象で話している。不謹慎系はやはりYouTuberの方が強く、Twitterで不謹慎をアンフェミとは違うサブカルにやるのは、ある種、特異なポジションを獲得している。

 不愉快かもしれないが、ひろゆきやへライザーをたまに見る静氏は良くも悪くもミーハー系不謹慎系YouTuberファンのため、坂口章や安藤チャンネルは面白いらしいが、遠藤チャンネルがちょうどいいらしい。

 まだたくさん不謹慎系YouTuberはたくさんいるが、もはや個体レベルでキャラが皆、ウるさいほど立ちすぎていてウっとうしいレベルでキャラが凄まじくて、個性経済学、自分のゲームとしか言いようがない。

 自分なりにどう自分の刃を尖らせたか?かが重要なのだろう。

 なので、安藤は収益と少し哲学だし、坂口章や古田更一は自分のやりたいことを好き勝手にやってるだけだ。

 積み込め式のパラノな理系文系というより、彼らはシラケつつノり、ノりつつシラケる芸術系なのだ。

 不謹慎系YouTuberの代名詞を獲得したのは遠藤チャンネルや坂口章、ナイス達也だが、遠藤とナイスは攻撃性が低すぎてだったら普通にインフルエンサーになればよくて、だから遠藤は失速したし、坂口章はあまりに攻撃性だけが強すぎて、単なる暴力だと誤認された。

 彼らは、シラケることに神経症すぎたのだ。

 そういう意味では、

 持続性が高い根暗(ネタです笑)な安藤チャンネルや古田更一、ウが長期的には不謹慎エピゴーネンをたくさん育てる可能性もある。もちろん不謹慎はあくまで総評であり、安藤はアニメばかり、ウは日々のエッセイ、古田は単なる自分が読んでる本の感想やYouTubeライブで視聴者説教批評だったり、あくまで日常における永久革命のため、終わりある日常という生死をかけた闘いのため、だからゆえに、個性をマーケティングせずとも、勝手に生きてるだけでネタが量産されていくのだ。

 そして、個性経済学と言う通り、上下はあまりない。

 たとえば、つとむ会wikiという集合知、浅田彰の構造と力のように、このチャートを読めば誰でも純白啓蒙のようにスキゾ・ドライヴできるのだ。

 鬼畜文化や宝島カルチャーをたどると、死んだ危ない薬の人は坂口章のようだし、編集者橘玲を中心とした町山智浩や鶴見済といった90年代サブカル組の露悪感と不謹慎系YouTuberはアナログとデジタルの違いはあれど、似ている。

 橘玲という早稲田大学文学部卒業人間が理系でもないのに過剰に遺伝学と経済学を駆使してひたすら文系的学問を不謹慎にひたすら冷笑するのも、橘玲さん自体がシラケつつノり、ノりつつシラケる証拠ではないか?彼の革命的な極論的正論の恐ろしさは正に純白啓蒙の理論的期限は彼にある気もする(不謹慎系YouTuberというプレイヤーは宅八郎だろう)。

3、純白啓蒙は、「希望」だ!

 純白啓蒙はあくまで「純白啓蒙」、格好つけるものでないといけない。つまり、一見気楽に見えるけど、あくまでアイロニーが入っている、ヤケクソのオプティマニズム(©浅田彰)なのだ。笑っているのか泣いているのかよく分からない破壊性。なお、メテオ氏の疲れや宅八郎や坂口章の狂気性を見ていれば分かる話だろう。

 が、ここで、ひろゆきやdaigoは反省がないつとむくんなのではないかという気がしてきた。

 なぜなら、ネット論客の成功者は殆どが身も蓋もないが、躁鬱かつサイコパス度が高そうに感じるからだ。いや、印象論でいい。想像力の話をしているからだ。

 なぜなら、ここで、じゃあ共同体や学校、仕事、就活が本当に素晴らしいか?と言えば違うだろう。

 結局、小田急殺傷事件が起きたり相模原障害者事件が起きる無理ゲー社会(©橘玲)に苦しむ高学歴弱者&孤独な発達障害者(©古田更一)&アンフェミがいる一方でひろゆきやdaigoのようにマーケティングやコンピューターに詳しく運に恵まれた軽度の発達障害気質、批評のないスキゾ、反省ゲームのない健常者だと思い込むスキゾが成功し続けている。

 ただdaigoやひろゆきの強烈な動機は、実は強烈な劣等感や復讐心や自分勝手な任侠で自己正当化しているのが、実に厄介だ。

 東浩紀はJリベラルと評したが、橘玲の劣化コピー、自己反省性の謙虚さもなく、理屈やエヴィデンスだけで素朴にあまりに素朴に社会全体を語ろうとするところがある。

 ひろゆきとdaigoに共通するのは、反保守、反大学や反既得権益だ。

 百田尚樹や橋下徹は感情論かつ政治家だから、まだ共同体のゲームのメタプレイヤーであり、まだ自己反省や批評があった。

 が、ひろゆきやdaigoは素朴な意味で中途半端な認知科学と中途半端な戦後民主主義、中途半端な正義哲学を理屈だと隠蔽する危なさがある。そもそも単なるつとむなYouTuberなのに。

 彼らが宮崎勤な証拠は彼らは悪意があって暴走しているのではなくて、善意があって暴走しているからだ。

 強烈に大衆に認めてほしい馬鹿にされたくない復讐心がそこにある。学校にいた頃はまだ軽度な躁鬱キャラは単なるイタイヤツだったりイジメられてしまう。そういった復讐心の鬼に二人は良くも悪くもなっていて、皆が密かに思っていた感情の代弁者として、東大や大企業への復讐執行人として、特にひろゆきは狂気的に機能しているのは、幼少期のひろゆきや2ch時代のひろゆきを麻原上祐みたいなイタイヤツと世間が馬鹿にした怒りがそこにあるだろう。恐るべし赤羽の復讐執行人。彼は日本の新たな論破という名の宗教、もしくは日本のジョブスになりたいのだ。

 予見はハズレるかもしれないが、ひろゆきの病は、ひろゆきが近年ひたすら論破するのが、古文や漢文、感情論のホリエモンたちオンラインサロン系、英語、マクロ経済学といったコスパの悪いアナログ的近代的思想の産物だ。彼はデジタルという名の意匠、反宗教すぎる神経症に日本そのものを皮肉にもフランスから無責任に、かつて2chから変えたように変えたいのだ。

 ひろゆきが東浩紀に近年、噛み付いたり、ホリエモンの感情論を茶化すのも、大衆が偉いんだという反知性主義、そして、日本社会に適応できずに赤羽と2chでしか適応できず日本社会で阻害された男の純粋な怒り、2chスレの仲間たちのための義憤という危うさを感じる。ひろゆきはおそらく壊れる可能性があるかもしれないが、それは知識社会から疎外されすぎて成功した一方で、自分は一歩間違えたらコメント欄のつとむだ…という復讐心、未だに社会から疎外されている人間たちを助けたいがために、怒りに駆られている可能性も少しはある。彼は危ないが故に、厄介だし、大衆だよ、無努力だよと良くも悪くも強いつとむ、自己反省ゲームから疎外されて勝ちすぎた男のねじまきカギューの衿沙的なネジレがあるかもしれない。東浩紀に古市憲寿に勝ったなと比べられながら皮肉られたときは、比べられる事自体が不愉快らしく、ホリエモンと自分は同じだと反論していた。古市憲寿は知識社会の適応者で、反権力から始まりすぎたインターネット黎明期の私生児たち、ホリエモンや東浩紀を含む怪物たちは良くも悪くも知識社会の非適応者なのだ。

 ひたすら論破されようがマクロ経済学者や大学のあまり約にも立たない数3とかやっている理系的な物理や数学に突っかかるのも、完全に今後、時代はデジタルになると高を良くも悪くもくくっているからだろう。

 daigoはひろゆきにすらなれない人間なので放っておく。

 まあ彼は一方で大学へは行ったほうがいいともありきたりな約にも立たないことを言っていて、やはりYouTuberはデジタル時代の政治家だと再認識する方が良いかもしれない。 

 純白啓蒙の裏には、自己反省ゲームの有無、匿名的な橘玲/非匿名なひろゆきという国民国家の影、これこそ本当の暗黒啓蒙が宿っている。橘玲が書籍かつ鬱病気質な文体なのに嗤える一方で、ひろゆきはYouTuberかつ躁鬱なのに嗤えない神経症的な良くも悪くも狂気的な熱さがそこにある。ひろゆきがヒカキンとかを論破せず、むしろ絡むかは、YouTuberによって大学、ひいては知識社会そのものを無くしたい悪夢がある。

 橘玲の抑鬱な残酷すぎる真実とひろゆきの躁鬱すぎる論破芸は、日本社会では無視されてきた西洋近代主義に対する怒りでは共通しているのだ。

 ああ!本当の暗黒啓蒙の話をさせてほしい!

 暗黒啓蒙には絶望が足りなくて、つとむ会が50万人のうちのつとむに過ぎないと自虐する一方で、僕は、今回は書けなかったが、うごくちゃん、自殺したあの人気YouTuberとひろゆきが自分のシャドウのように感じることがある。

 大学の教授の大半が馬鹿は自明だが、そこにコンプレックスを感じる大衆の現像がぴよぴーよ速報やひろゆきに自分をピタリと重ねる。それがオンラインサロン批判神経症、ゆたぼん批判神経症、シラス(ゲンロン登録者17000人弱)という病が生まれる。

 もちろん病が個性だし、病が人生だろう。だって、「人生には目的なんかないし、意味なんかないんだから(©球磨川禊)」。生きていることそのものが、病なのですから(©中沢新一。チベットのモーツァルト)。逃走せよ!(©浅田彰)

 純白啓蒙はある意味、暗黒啓蒙を乗り越える絶望と故の希望的終わりある日常とネタ的ななのに攻撃性が高いという不可思議な現象を実は半場、つとむ会がつとむと馬鹿にしたように自称するように名付けた。

 暗黒啓蒙にはメタ視点がないし、落合陽一もマルクスガブリエルも賢いが、メタやアイロニーが存在しない。

 ちなみに皆、面白いところあるけど、暗黒啓蒙やマルクスガブリエルより先を行くのは落合陽一で彼は根っからの芸術肌なのに利口ぶるつまり、理工ぶるアイロニー、マーケティングぶるアイロニーがあるひろゆきの自己反省化をした500万人のうちのつとむであるだろう。

【追記】

ここで言いたいことは、daigoのホームレス死ね

生活保護死ね発言と相模原障害者殺害事件の植松、宮崎勤、加藤智大、ひろゆき、上祐、麻原彰晃、青葉容疑者、これらは躁鬱に成功したか失敗したか、という点で日本社会の現像なのである。

 彼らをただ糾弾するだけでは済まないし、私たちそのものなのだ。だから、切り離して高に浸るものではない。