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ひろゆきは正当なるオウム真理教の後継者、日本思想の現像だ。
まず、外見から言ってそうだ。
髭!
論破!
正義感がないと言いながらも、正義感があるかのようなはぐらかし。
彼は嫌いか好きかはともかくして、現代日本の宗教、オウム真理教の後継者なのだ。
日本の戦後宗教こそが、論破というブームを広めたからである。
そう。
ああ言えば上祐だ。
ここで、麻原と上祐がマシなのは、まだ彼らは素直だったし、宗教人であることの良くも悪くも死ぬまで充実だった。
が、ひろゆきは底が抜けている。
常識人だよと言いながら非常識的なことを抜かし、ダラダラしていればいいと言いながらも日本一のYouTuberに名実なりつつある。
彼をエンタメだ、と言い訳する信者から猛攻撃を今私の炎上動画でされているが、とんでもない。
エンタメなのに、知的ぶるのはおかしいからである。
彼は、悪い意味での相対主義者の権化なのだ。
オウム真理教を発展された天才なのである。
その点、元宗教学者の中沢新一はまだ良かった。
ビートたけし&とんねるず&テレビは反省しろ。
当時、たくさんのメディアが麻原、オウム真理教を持ち上げた。
後に可能性と限界をしっかりと述べた中沢新一は悪くない。
なぜなら、中沢新一はちゃんと可能性の点もプラグマティズムに言いのけりつつ、限界もどっちも良い意味での相対論で反省したからだ。
中沢新一は悪いかもしれないが、まだマシという点ではこのことを忘れているメディアよりはマシなのだ。
ちなみに、ひろゆきも可能性はある。
ここでつとむ会という現代日本思想を探究する、いやエンタメを探究する集団の設立理念が面白い。
つとむというのは、宮崎勤という犯罪者である。
つまり、自分たちオタクは気持ち悪いよっていう良くも悪くも自己反省を抱えている予め負けを予告されたが故の現実主義的なオタク批判のオタクなのだ。ここに優れたクリティーク、批評性が宿っている。
ひろゆきには、「ひろゆき」という批評がない。
それは問題だ。
ひろゆき自体はバカではないのだが、ゆえに、危険もあるのだ。
近年、理系からホリエモン、立花孝志、宮沢教授などありとあらゆる論者とひろゆきは対立している。これはひろゆきが悪いというよりも評判社会で、あまりに過大評価すぎるのが問題なのだ。だから、ひろゆきがいいこともあるよっていうのはより悪質な話なのだ。ひろゆきのいいねこそが危険なのだ。
彼は、ヒカキン2.0でもあるのだから。
毒にも薬にもならないヒカキンから、毒にも薬にもなるひろゆきになった。
私が思うに、彼の狙いは、毒にも薬にもなる知識社会の破壊である。彼が異常に受験勉強を馬鹿にしすぎて、理系からも怒られたり、経済学者から論破されても頑なに自分の持説を曲げないのが、彼のいいところ、彼のわるいところ、彼の危うい魅力であって、宗教性、既存の東大を赤羽より格下にしたいのが、彼の狙いだと私は推測している。
彼の体臭のする大衆人気と、彼の魅力あり危うさは、この彼の実存に由来していると思っている。あんなに非合理に受験や経済に首を突っ込みながらも、教科書でマクロ経済を勉強しないのは、それだけ馬鹿にしているということだろう。たとえ論破されても、だ。
ひろゆきは面白いが故に、限界がちらつくが、当然、良いところと悪いところがある。
彼の自由さと限界の次に出てくるものが何なのかをぼくはまだ分かっていない。