自分が20代で最高峰の知性たちと話しているのが面白い。

  普段は、面白おかしく話しているが、私はもっと難しい文献を大量に読んで、それらを頭の中で論理的に組み立てて話しているわけで、良い意味で確率論で物事を判断している。

 そういう意味では、ある意味で、もう20代のうちに自分と同格以上の知性たちに出会えたのではないかとかなり満足しているし、しかも、もう知性だけを極めても、割りに合わない気もしてきた。

 具体的に端的に要点整理すれば、

1、成功するかどうかと本人の能力には比例関係はない。

2、自分と会ってくれるし自分が会いたいし会いやすいにも20代のため、自然とまだ能力に見合った成功に適していない方々と出会う。→なお理数系のシタリ顔の友人たちは基本的に会いすぎていて、そいつらよりも、良い意味で自虐バイアスにかかっている人文系のインテリ人たちとたくさん出会ったことはかなり勉強にさせていただいた。自分だけで社会構造を見抜くアイデアを思いつくのは不可能だ(人文系は非成功バイアス、理数系は成功しすぎてニヒリズム・バイアスになりやすい)。

3、身も蓋もないが、私は金稼ぎのうまい人間たちにも出会ったことがあるが、そういう人間は悪い意味で田端信太郎や堀江貴文ほどの知性しかなくて、いやいい人々だし、今後は彼らとも関わらないとカオスフォレストはもっと大きくならない気もするが、20代から鬱病になったり社会の最適化を諦めて、勉強しまくるインテリ、芸術家こそが、精神には支障をきたし、9割強は生き残れないが、コンテンツとしては最強なのだ。身も蓋もないが、殆どの人文系の成功は、まぐれかつ精神に支障をきたすまで努力した人間だけが真実に到達できるという面白いけど割りに合わない世界なのだ。

 というわけで、もう人生の到達は基本的には満足だ。

  

 後は、人生150年時代なので複雑系でどれだけ祭りを起こせるかなって気がする。後は、時代の変化を楽しみながら、そこでまた不謹慎系YouTuberのようなバブルにまた出会えるかである。

 金稼ぎや社会地名度の人間たちに出会っても変化を起こせるが、次にここがまた難しく、彼ら彼女らは確実に実力があって成功しているのではなくて、複雑系的に短期的な宝くじを引いて成功しているってことがあるのだ。

 だから、私は基本的に人材の良いところ悪いところを含めて、逐一かなり細かくチェックする癖をつけている。

 本人の勝手な自虐はともかく、どれだけ潜在的市場価値やニッチ度があるかを良い意味で経済的に計算しているのだ。

 が、これは何も冷たい話をしているのではなくて、熱い話だ。

 

 世の中ではなぜか合理的な話をすると、そんな身も蓋もないことを…と言われてしまう。

 が、世の中の仕組みは案外と身も蓋もないことで構成されているのだったら、ちゃんと身も蓋もにないことを逐一チェックして、自分なりに人生設計をしていくことは当然のことである。

 年上であることは自明だが、メテオ氏やだいきの講談、radio 通信のような自分と似たことを現代で考えている若者に出会えるのはかなり面白いことで、自分は当然のこと、天才だと思うが、あくまで、そこそこの成功とは関係がなくて、根源的には知性のおいては、自分とこと、人文系だけに限ったら、似たこと、場合によってはそれ以上を思いついている同業者がいることが分かったことは面白いことだ(自分の専門に重なる実力勝負の批評だけに絞っていて、芸術系を含めたら、多岐に渡る)。ちなみにだいきの講談が一番上に見えるが、それはありえない。ちゃんとラカンやジジェクを読めていたら、テキストレベルの強度においてはメテオ氏の方がだいき氏よりも上な面もかなりあるだろう。表面的な成功と社会的知名度は比例せず、だからこそ、本人たちがどう思うかはともかく、数理的にはどちらにも多少の違うチャンスが必ず舞い込んでくる(まあクリエイティブなので、僕も含めて全員自滅する最悪プランもあるが…)。

 当然のことながら、20代はまだ人生の出発地点だ。

 が、当然のことながら、未来は明るくもないし、暗くもない。

 数理的な事象の正規分布と、スケールフリーなべき乗分布が同時に起きる奇妙な入子構造を僕たちは生きているのだ。

 だとしたら、変に悲観的になるのも本人の生存戦略だし、変に楽観的になるのも本人の生存戦略だ。

 私は学校で、核兵器を無くすべきか、保有するべきか、という試験で、当然のことながら、後者を選択して答えた。

 そもそも極左教員のバイアス、あなたの感想で決まるゲームなのだがら、初めから核兵器をなくしましょうと言ってくれて洗脳をわかりやすい形にして欲しいのだが、彼らも罪悪感を感じたくないのだろう。だから、こういった彼らの責任逃れや罪悪逃れのロジックによるバイアスに満ちたテストになる。

 もちろん、私は天邪鬼なので、どっちでも良かったが、後者を選択して、最悪の点数を獲得した。

 だが、世の中はうまくできていて、合理的な私が偉いわけでも、彼らが偉いわけでもない。

 安定型かギャンブラー型かというだけなのだ。

 高学歴弱者問題でも軽く記載したことだが、毎度、教員の言っていることに条件反射で対応しまくると、短期的には人生設計は成功するが、長期的にはそういった既存のシステムに依存しないと生きていけなくなる。しかも同じことを考える人間たちはたくさんいるため、ギャンブル的に成功する人と失敗する人に分かれるし、

 昨今の統計ネトウヨや高学歴弱者のキャンセルカルチャーやアンチフェミニズム、フェミニズムといった運動は全てじゃないにしろ、システムに依存したツケで日夜イライラするハメになるのだ。もちろんマトモな人々もいるけど、全員が能力が異常に高いわけじゃないので、病んでいく。

 そうやって、人生を失敗する人間たちを私はたくさん見てきた。

 結局のところ、合理的に生きてもメリットもあるし、デミリットもあるよ、だけど、そこら辺をしっかりと考えたほうが失敗しないよ、あと失敗した時もどうやってか楽しもうよっていうまた身も蓋もない話になってしまうが。 

 

 私に親友はいない。

 親友の作り方や私がモテるだろうかという質問が意外にも相次いでいるが、そういった方々こそ、利害関係を抜きにした綺麗な関係をと言いながら、運否天賦で成功した失敗したで人間関係をきっと清算しながらも、こんなことになるはずはなかったんだと言い張るのだろう。

 私は初めからそういった馬鹿げた事態は避けたいため、多少は人間観察をして、リスクをヘッジしている。が、私も愚かな人間なので、全部を全部、リスクヘッジできているわけではないのだ。

 

 こう考えると、世の中の成功法則通りに人生設計プランを考え続けてきた私だったが、20代なので運否天賦に左右されてきたし、批評だったり今の人間関係だったりは正に偶然の連続が重なって舞い込んだ面もあるだろう。

 人生は絶望するには面白いし、希望するには味気ない。

 今日も頭の回転速度を早くできるアクションを愉しみにしている。