このダボ!大きな大きなお世話なんだよ!エリートも保守も数オリも俺様のエネルギー源なんだよう!

 基本的に、「主観」「己の意見」は極力出さないようにしている。

 なぜなら、アートは自己が壊れるような破滅行為にこそあると思っているからだ。

 だから、

 仲間うちも美学や主観では問わない。

 俺様がなぜ客観的だったり理論的だったり他者理解が強いかと言えば、一番大事にしている美術やアートに関しては、

誰とも共感不可能性だからこそ美しいと思っているからだ。

 ゆえに、馬鹿馬鹿しい批評それ自体や金稼ぎ、保守そういった類は、自分じゃなくて他の人間にやってもらうべきなのだ。

 エリートも保守も理系も俺様が一番大事にしているアートには勝てない。

 なぜなら、

 アートの衝動は誰にでも邪魔はされたら困るからだ。

 この圧倒的な主観には、誰1人立たせない。

 だからこそ、普段はアートの話をしない。

 コミュニケーション不可能なのだ。

 アートはコミュニケーション不可能な、そして、筆をへし折り、マグマを召喚し、自己を生贄にするような、そんな完璧性にこそ、ドグマは宿る。

 他人には関心が心底ないが、むしろ他人には関心があるが、

 俺様は見たいのだ。他人のアートだけを。

 だからこそ、自己をへし折ることが要求されているのだ。

 だから、

 俺様は絵が巧いかどうかという問いは馬鹿馬鹿しいとさえ思っている。

 なぜなら、これから人工知能が発達したら、絵の美味さは乗っ取られるからだ。

 絵だけじゃない。

 知性もだ。

 じゃあ何が大事なのか?

 絵が上手いだとか、知性が高いだとか、そんな機械ができることじゃない。

 人間らしく生き叫んだかどうかの方が

重要なのだ。

 俺様は、それを

漆黒の意志

と言う。

ヘタウマ上等。

【追記】

 大事なことは、真剣に己の手でキャンバスを抉って抉って、読者視聴者はその魂の痛みにちゃんと見ようと読解する姿勢がそもそもあるかどうかの方が重要なのだ。

 アートは危険だ。

 だからこそ、俺様は普段はアートをやらない。

 理想は危険なのだ。