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武田塾も素晴らしいが、受験参考書や予備校講師は面白い。
なぜ予備校浪人、宅浪浪人もギリギリ含めていいが、なぜ彼らは最終的に幸福かと言えば、
結果的に教養に触れてしまい、
偏差値を超えた万人がリア充になれちゃう勉強法をマクロに教えてもらえるからだ。
予備校講師や予備校参考書、受験系YouTuberは面白い。無味乾燥な学校教科書とは違って、ハイテンションかつ教養が溢れている。
できれば過去の参考書や予備校講師の方が受験系YouTuberよりオススメだが、その美学や教養はしっかり森鉄やヨビノリ、武田塾には受け継がれている。
そもそも勉強は強制されてやるものではない。
だから、勝ちも負けも本来はない。
学歴と勉強の面白さ、役に立つことは本来切り分けるものなのだ。
だから、駿台や河合塾は面白かった。
まずハウツー的に理屈でいかに楽して読むかを教えてくれるし、しかも、教養も教えてくれて大学へ入った後に何を読めばいいかも分かる。また、社会からのハグレモノばかりが予備校講師になるので、当然、社会の常識に踊らされなくなる。
天才哲学者
東浩紀には才能がない。
コレは何もレトリック抜きに分かっていて当然の話だ。いや、彼は天才だが、天才にわざわざルサンチマンを感じたりイライラしたりするのは、単に君自身が間違えた勉強をしてるからだ。
つまり、教養がないのである。
哲学も現代文も数学も何もかも歴史がある。基本的な面白さやシステムは
受験勉強のハウツー→教養的読書
これだけである。
オリジナリティというのもそんなにない。大体がカントやデカルトの二番煎じだし、東浩紀は新しい哲学だと思うが、いくら新しくても彼もカントやヘーゲルを引用し発展させている。落合陽一ですら昔の科学者を引用しまくるし、橘玲も昔の認知科学者ばかり出す。オリジナリティとはそんなになく、どこに偏っているかになるのだ。
教養があれば、カントやデカルトレベルなら、ある意味誰でも簡単になれちゃう。
が、高学歴弱者は、現役で合格したり学歴に固執して政治空間が大好きで勉強自体には何ら関心がないので、統計ネトウヨやナショナリズムの方へ行く。
もちろんそれはそれで賢いし否定しないけど、
東大を目指すのではなく、
生涯教育として受験参考書やそれに連なる教養、古典は役に立つ。
別に暗記でいいのだ。
統計ネトウヨがなぜダメかは、そこに体験に裏とれた哲学がないからである。
受験参考書や教養は違う。
どこまでも客観的だ。
市場と歴史に保証された生きた成功法則がある。
もちろんどうして役に立つのか?学歴とは何が違うのか?そこをまず予備校の教師だったり大学の教授に昔だったら教えてもらったはずだったんだけど(英語はあくまで日本語力を鍛えるためという本当の受験の役割の話は、小林俊昭は何者か?をお読みください)。
実力に才能というありもしない現象を出すのは少しおかしい。もちろん彼らは自分に都合のよい統計データを出すが、じゃあどうするか?のプラグマティックな統計データが足りない。そんなに統計データを駆使するほど賢いはずなら、そこまで統計データを限界まで張るべきだ。
つまり、哲学や物語操作、体験知が圧倒的に不足している。
この状態でいくら本を読もうにも根幹が足りていないから、一生都合のいい統計データに振り回される。これが高学歴弱者の弱点だ。なぜ大学に入ったか?という歴史感覚が欠如しているのだ。
が、あくまで受験勉強や教養に触れなくても、1人の批評家や1人の予備校講師にハマるだけでも自然と解決することがある。
静くんは古田や橘玲でそれを知ったのだ。
実は古田や橘玲、落合は普段はハウツー的なことや理系知識を話すけど、裏にある歴史的連続性を分かった上で自然と話している。だから、話に実感が出るのである。
というわけで、
教養系YouTuberブームやクイズ番組のブームも大学受験ブームも高学歴弱者もビジネス本ブームも
みんな勉強が大好きな証拠なのだ。
が、その勉強自体がなぜ快感なのか?という原理法則を知らないから、嫌いになる。
本当に嫌いだったら、そもそもコンプレックスもかかえないし、そもそも嫌味も言わない。
だから、本当の目的は東大に漠然と入ることではない。
そもそもなぜ現代文を勉強するのか?を徹底的に考えぬかければ、動機づけにはならない。
それが分かったら、もう一生勉強できて、
努力を努力だと勝ち負けを勝ち負けだと思わなくなるのだ。
なぜ君は
浪人した?
