東大はYouTuberよりFランというSNS地獄。〜「人工知能に負けてしまった受験勉強」とそれでもまだ使えると考える古田更一。〜

今後、確実に

大学入試のパラダイムは

変わっていく。

ということは、だ。

 これからの若者の思想、発想は、今までとは

180度逆の人間へと

進化及び退化することになるのだ。

 どういうことか。こういうことだ。

 東ロボくんという東大合格を目指すAIが近年、偏差値60のマーチに合格した。

 ここで重要なのは、AI脅威論でもAI最強論でもない。

 個人のやる気が本当になくなってしまうということだ。

 なるほど、よくある哲学を勉強して何になるのか、古典や数学の勉強をして何になるのか。大学の授業は役に立つのか。

 本当にコスパだけでは

役に立たなくなっている。

 もちろんここで、大事なことは、能力主義ではない。高学歴弱者問題だから、社会人になった場合にバイト並みの単純作業や社交辞令をちゃんとできるのかが大事になってくるのであって、能力主義だけが大事ではないと。だから、大学は社会人と同じ社会体験のコミュ力を上げようと。

もはや

社畜は大学から始まっている。

 東大に入っても、社畜になるための勉強をさせられるハメになるのだ。これでは何のために学歴を手に入れたか分からないだろう。知識啓蒙を受けて、社畜にならないためにも勉強するのが常でもあったのにこれでは学歴を上げれば上げるほど馬鹿馬鹿しい事になる。

 が、AIの問題よりも、SNSの問題でもある。

 技術自体がそもそもコスパだけなら今後良くしていていって、wikiですら革命的だったのに、教養系YouTuberたちがたくさん現れてもはや

「本当に」「大学には」「役に立つ情報がない」「コスパが悪い」

という状況になってしまったのだ。

 もちろん専門的な認知科学や理系、美術系、専門学校、専門的な文献調査としてはいまだに大学の価値はある。

 が、殆どの人は遊びたいし周りが行っているし、安定のために入っているのだ。

 これでは本当にそう開き直らざるおえない。

 が、むしろ、大学受験の価値は高まっている。

 もはや、理屈や情報処理自体では差がつかなくなったと言っても、最低限の理屈や情報処理は役に立つ。単純に車の発明と同じで、車が走っていても、ウォーキングはするし、身体は鍛えた方がいいに決まっている。なので、それの情報処理版、知識社会版としてAIが今度代用品として出てきても、むしろA Iを操る側になるためにも、最低限の理屈や情報処理は役に立つだろう。

 が、ここで大事なことは、AIを操る側、AI、SNSに踊らされない側になるための新たなるリベラルアーツだ。

 つまり、漠然と丸暗記することは確かに大切だ。単語暗記な。

 が、倫理だとか正義だとかそんなものを本気で丸暗記しちゃう奴らは今後、高学歴弱者の文系として苦しむ事になるのだ。

 それだけが唯一の古びた受験勉強の弱点なのだ。

 要は、数学や現代文、物理、小論文、英語という思想を問わない方による最低限の理性的啓蒙の方がむしろ、AIの奴隷にならない。なぜなら、倫理だとか正義だとかは確かに大事なことだけど、

受験勉強に書かれている、大学側が言っていることをマジで捉える奴は、

AIやSNSの為政者にとって都合のいい人間、要は典型的な情報リテラシーのない人間だからである。

 だから、現役合格、高学歴すぎるのはかえって危険だ。

 仮に就活で成功しても高橋祭さんのように電通の玩具として利用されちゃう自業自得になるのである。電通も悪いかもしれないが、電通の思想として週7日労働やセクハラは当たり前であって、それを乗り越えることを良しとするノリが件の風習だったのである。

 むしろ、思想や哲学、倫理を客観的に疑う、理論的に整理する能力はかなり重要なのだ。

 政治が得意な人間の方がもちろん出世はするだろう。だから、過去問研究をして、大学のことを好きなって入ることは確かに重要だ。確かに重要だ。

 が、だ。

 本当に大事なことは、AIがマーチ以上という通り、大学がもはや政治闘争の場という通り、

 間違えても稚拙でもいいから自分の頭でポジションをリスクを取ったかどうかの方が大事なことなのだ。

 AIやSNSのコンピュータに唯一ないのは、責任や感情だ。

 つまり、物語がない。単なる道具、自動機械ということ。

 だったら、たとえ浪人でもたとえ退学でもたとえ中退でも

たとえ不合格でも、大事なことは、

貴方が貴方なりにどうしましたか?

 という物語を自分なりに考えて選択したり流されたかが重要なのだ。そういう過程を経れば、貴方だけの大学受験という物語があって、その時点で差別化、勝利は決まっている。

 受かるはずがないが、毎年、東大生や早稲田生はポコポコと生まれている。

 AIはマーチ未満を駆逐した。

 だとすると、自分なりにどう闘ったの方が重要になって、そういう意味では落ちてもいいから勉強することは、役に立たなくても役に立たないなりにどうハックするかという目線はかなり重要になっている。

 そういう意味では、専門学校や理系よりも、文系で高学歴を狙った方がいいだろう。

 「人間」らしく失敗しろ。

 「人間」らしく不合格しろ。

 「人間」らしく中退しろ。

 結局のところ、やりがいなのだ。

 よく大学は生きるために行くべきだというが、もちろん東大には入りたいが、早稲田や慶應を目指すのは生きるためだけなら、オーバーキャパだろう。

 むしろ、やりがいのためにやっているのである。

 となると、大事なことは、直接役に立ってたた生きているだけではないのだ。心臓や肺が動いていることだけが、生きているではない。

 AIの能力主義が加速すればするほど、自分なりのポジションをちゃんと張っているヤツかどうかが重要になってくる。

 私の批評は、確実にAIの影響を受けている。

 ポートフォリオ的に様々な論者の本を片っ端から暗記して組み合わせているのが古田更一の批評スタイルだ。

 え?個性がない?え?あまりに頭が悪いただの暗記?

 全然違う。

 私のやり方は、繊細で複雑に難しい入試現代文に出せないレベルの教養レベル、AIが読み解けない批評家という才能の知性、それらを扱うことでAIに差別化をし、しかしながら、橘玲や宮台真司、東浩紀、落合陽一、まつたけ大王といった自分の資質で闘う「人間」らしい彼ら彼女らには「AI」的な量のビックデータで彼らの論点の穴を補強したり組み合わせることで優位に立っているのだ。

 東浩紀は古田更一を倒せない。

なぜなら、俺を倒すということは、批評という歴史そのもの、シビュラとしての神と闘うことであって、俺を倒せるのは、自らの意志で「人間」をやめた者にしか俺を倒すことは不可能だ。が、倒したところでが、残る。だって人間を捨てたら、勝ちも負けももうないのだから。

 AI以後のパラダイムでは橘玲の言う通りに、善悪の価値観も荒すぎる二項対立や曖昧な相対主義の逃げではなくて、

ハイパーデジタル的なアナログの人間的感性とデジタルの機械的感性が融合した、

直感的に%で証明された、かつ、ゲーム理論的に戦いを良い意味で避ける、

超人類の時代になって、

「近代」的人間の価値観は終わりを告げる。

 文系否定論ではない。むしろ徹底だ。

 戦後民主主義が良くないのは、大学受験勉強がよくないのは、漠然とありきたりの出来もしないのに詭弁で正義を言いのけることだ。

 AI以後の新しく修正されたパラダイムの教養人は違う。

 鬱病にはならず、階級に怯えず、それでいて、%には弱点に気づき、自分らしく死に、自分らしく敗北したり敗北を避けたりするリゾーム的なフラクタル図形的な「新たなやりがい」の時代なのだ。

 カオスフォレスト動でも書いたが、

YouTuberの視聴者数を指摘する匿名アイコンの大半は病んでいると思う。

 だって、YouTuberで成功するのって

東大より難しいからだ。

 それなのに毎日、煌めくYouTuberたちの活躍を毎日投稿で見なければいけない。君たちは優しさによってむしろ傷つけられているのだ。

 テレビも含めちゃうが、古市憲寿、ヒカキン、まつたけ大王、どれも頭の悪いふりをしているが、とんでもない。SNSに提供するコンテンツ力、倫理、現代文的読解能力の点では、

彼らに殆どの東大生は勝らないのである。

 もちろん東大に入るなとか相関性があるのではない。ただ東大よりも確率的には難しいゲームがYouTuberであって、君たちは日夜スマホによってコンプをくすぐられながら、それで毒にも薬にもならない偽善を日常でやったり、闇堕ちして露悪や冷笑キャラになってしまうのだ。

 本当は、彼らのような

優しくて没個性的な、だけどキャラがある奴らになりたい。

 無理です。

 無理です。

これが、東大受験よりも理屈的な知識社会すぎるSNS,AIという今の高度知識社会の正体である。

 東大受験よりも、本当の倫理だとか本当のキャラだとかは難しいに決まっている。美大生に皆がなれるか?漫画家に皆がなれるか?そういうことである。

 それに大体、ヒカキンも古市憲寿もまつたけ大王も没個性的な個性というスーパーエリートをやっている(厳密には古市、まつたけには他の個性があるにはあるが、今回は省略させていただく)。

 そう、だからこそ、

「人間」らしく自分の物語をしっかりと見つけて、素晴らしく勝ち、素晴らしく「負ける」方がカッコいいのだ。

 これから先は、たかだか東大や慶應、早稲田ではやりがいの点では幸福にはなれない。受験戦争後は起業をしたり毎日投稿をしたりして、クイズクノックや落合陽一のように一生、24時間社畜のように働かないと、勝ち続けないと、やりがいを他人から優しいねと認めてくれない(今のお勉強系YouTuberブームは高度知識社会の受験戦争より難しい競争ということなのだ)。

 が、自分らしく具体的に発見していく方は、AIやSNSに踊らされない人間だけが持つ、いや、あまりに人間らしい生得性である。

 これからは、「お前は何なのさ?」と言われて、

「東大出て起業して、真面目だけどYouTuberであそびも分かる優等生バカです!!!!!!!!!

僕は馬鹿!僕は馬鹿!僕は優しい!褒めて!褒めて!」

か、

「俺は、俺だ。それ以上でもない。ただ敗北も糧にして反省したり色々とやってやるぜ!」

というAIやSNSの奴隷エリートという(やさしい子供たち)か

人間らしく厳しいがいつでも不動であるという教養をあえて選択した大人たちがやりがいになってくる。

 もちろんどっちもバランスよくやればいいし、ここまで単純化は不可能だろう。

 だって、決める主人公は僕じゃない。

 今これを読んでいる

君自身なのだから。

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