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よく仕事否定論や働きたくないでござるとおっしゃる方々はネットにたくさんいて対立しているつもりはないが、え?むしろ仕事の方が恋愛や評論家業、Twitterより楽じゃね?と思ってしまう。
ネットで大人気なYouTuberや漫画家をやってみればいい。
吐くほど大変なのだ。
YouTuberならネタ作りにサムネ画像作り、頭の悪いフリをロジカルに考えるクリエイティブティー、毎日投稿、無料、中傷、ストーカー、劣等感…etc…。
漫画家ならネタ作りに頭ですぐ思いつくようなことをわざわざ細かい図解で説明するメンドクサ(絵は私は描けるが、だからこそデッサンより非合理性が強く私が漫画家になれない理由だ)、無料、劣等感…etc…。
私はコロナ禍になって馬鹿どもが騒ぎ始めて誤情報ばかり流すから、東浩紀や宮台真司、宇野常寛、古市憲寿、落合陽一の影響力が申し訳ないが劣勢になったのでYouTuberをはじめたわけで、私自身にYouTuberで成功したいだとかチヤホヤされたいだとかいう欲望がない。東浩紀さんにはあるかもしれないが、私にはないのだ。つまり、才能がないのでしょう。
なので、
仕事で自己実現を目指した方が楽だ。
私はライターでフリーランスにメシを食べているが、確かに場合によっては首になれば道はないかもしれない不安定業だ。実力があるから、ライターでメシを食えているのだろう。
が、実力さえあれば仕事では成功する。
身も蓋もないが、YouTuberや漫画家は実力があってもメシは食えないし注目されない可能性があるのだ。
え?古田更一はたまたま才能があるから、そうなったんだって?確かにそうかもしれないが、少し疑問がある。
それは、
高学歴弱者
たちの存在だ。
Twitterで呪詛のように社会を恨む2次元アイコンはたくさんいるが、身も蓋もないが、
え?私より頭良くね?優秀じゃね?
と尊敬しちゃう。
毎日ツイートできるし、ネタツイは思い尽くし、愚鈍な多数のカスどもとコミュニケーションを合わせるコミュ力もあるし、理屈や統計にはかなり詳しくし、実際、高学歴もちらほらいる。
彼らは能力が低いから社会適応できないのではなくて、知識社会に短期的に適応しすぎていて、長期的に加速する社会の変化にただ適応できてないだけなのだ。
しかし、ここで問題なのは、彼らは
やりたいこと と
できること
に非対称性があるのだ。
高学歴弱者の正体は、リベラルに理論的なのではなくて、戦後民主主義的、簡単に言えば、
社会で褒められたいから勉強をしてるコミュ障の陰キャというやりたいこととできることに非対称性があるということだ。
身も蓋もないが、社会で褒められたいなら、社会が要請するものは毎回、年齢や立場で変わるので、その都度OSを変えなければいけない。しかし彼らは統計ネトウヨもそうだが、社会が求めていない場面でも統計や哲学、学歴を提示してコミュニケーションが解決すると思っている。
身も蓋もないが、学歴の価値は相対的には下がるに決まっている。
受験勉強自体は役に立つから少しでもやれば費用対効果は絶大だが、政治空間の学歴は違う。
なぜなら、毎年、東大生や早稲田生はポコポコ量産されるからだ。それに自分のことしか考えていないフリーライダー的なコミュ障高学歴弱者は同じようなことを考えて、年下に席を譲ろうとは思わない。しかし、彼ら年上の高学歴強者を責めないでほしい。君だって立場が逆だったら、気持ち悪い高学歴弱者をわざわざ助けないだろ?
つまり、高学歴強者とは高学歴弱者でもあるし、お互いがお互いを救済したくないプライドの高さ、肥大した権力欲がジレンマを産んでいたのだ。もちろん年上の高学歴強者は高学歴で努力したんだから当たり前と考え、年下の高学歴弱者は高学歴で努力したのにどうして!?とあれこれ考えを散らすようになる。
大事なことは、2つある。
1つは私のように専門性の実力で勝負すること。
何も東浩紀になれやadoさんになれじゃない。
文章を過剰に量産したりプログラムがいじれたり英語を話せたり、工事や看護師資格を手に入れたり。
何かの専門性があれば、コミュ力に振り回されないし、不動の地位を得ることは可能だ。それこそ才能はいらない。というよりも高学歴や哲学、イラストより簡単だろう。
だが、ここで問題なのは高学歴弱者たちは恋愛好きなのである。政治好きなのである。
孤独にやりたいこともないし、人と触れ合うことが自分のキャラだよ!と叫んでいる。
なら、女の子にモテるしかないし、高学歴強者というオジサンにモテるしかないのだ。
なにも偽善者になれとは言っていない。むしろ露悪者になれと言っている。露悪のススメだ。
そんなにプライドをこじらせて自分が正しいとお思いから、普段からそれを生かして仕事に望めばいい。
ペコペコ謝ったふりをしたり、テキトーに挨拶したり。
ぶっちゃけ
楽だ。
なぜなら、理論性がないからである。
だとしたら、仕事はヌルゲーと開き直り、たまに起きる友情空間、恋愛空間では、普段の僕を見てよ!という高学歴弱者キャラを発散すればいい。そうすると余裕があるから、高学歴弱者キャラをやりながらも適度に抑えたり、バランスよく市場と合わせた方に変えれるはずだ。
高学歴は単なる道具だ。
市場に合わなくなったら、相対評価は落ちて必然だ。
だとしたら、何が自分の目的なのか?をリストアップし、つぶさに合わせばいいのである。
ネタツイやツイート、統計、理屈、学歴、こんなに才能に恵まれている君たちはこの現代における先進国の一部にしかいないのだから。
昔、ニュージランドへホームステイ(低所得かもしれないからホームステイが流行る)したときに僕へ高学歴弱者たちがTwitterアイコンにしそうなニュージランド人の低学歴美人な金髪碧眼お姉ちゃんが小さかった僕へこう微笑んだ。真夏日和に。
「I’m going to be a soldier!Because I can get a lot of money!
I can get a lot of money!」

【追記】
艦これやアズルレーンより私はガルパンや咲の方が好きですね。どうでもいいですけど。