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要領よく
諦めるべき
だと思うんですよね。
なんたって君は東浩紀でもないし、人工知能の東ロボくんがMARCH、偏差値60の大学に受かるんだから、これだけ才能やテクノロジーに絶望する時代はないだろう。
しかし、だ。逆に考えたら、どうだろ?
よく言うじゃない、カビ臭い時代の哲学者は頭がよかった幻想というか、さ。でも、よく考えてみると、変じゃないか?本も今より少ないしチャート式の参考書すらない状態で彼らが頭が良いってどういうことった!?ってわけ。
簡単なこと、
ワクワクしていたんだ
と思うよ。
逆説的な言い方だけど、感情がうずかないと読書は始まらないわけですよ。もちろんハウツー的に消費する読み方もかなり重要になるけど、
真剣にワクワクしたか?が重要でさ。
真剣に、ね。真剣に。
真剣に読めば、頭が数理的に整理されるわけよ、そーなれば、変に数学コンプレックスも哲学コンプレックスもなくなるわけ。だって同じ人間なんだぜ?本当にやる気になれば、平均はそこそこできるし、仮に苦手でも、
あ、数学の大半は役に立たないな、あ、哲学の大半は役に立たないな、
って判断がつくわけよ。
んで、そんな心の整理ができて始めてキッチリと精読しているし、キッチリと速読できているし、
余裕があったときに、うむ、数学や哲学のすぐ役に立ないところはやってみようとなるわけ。
そういう点で1冊を100回読むのはかなり重要で、たとえば宮台真司なら、
新人類としての宮台真司、オタク評論の宮台真司、政治的な宮台真司、数学的なゲーム理論の宮台真司、母親との宮台真司、skとの宮台真司、様々な限りない宮台真司がいるわけよ。
ってなると宮台真司の1冊を様々な解釈で読み抜くってことが結構大切で、精読=速読は案外当たっていると思う。
ベタな鬱病キャラになっちゃうって変な話なのよね(日夜、つらーいと語る方々の中には悪魔祓い的にあえて言うパターンもあり、それは除外する)。
こんだけ情報だらけなのよ。
もう答えはすでにあるわけよ。
そこにアクセスできないのは、知識量や読み方が浅いという受験勉強的な偏差値45〜50の躓きかもしくは精神的にそこから逃げている可能性がある。
もちろんずっと数学や哲学ばかりに引きこもるのは良くないだろう。
違う理系や文系に触れ合うことで刺激されることもたくさんある。
が、既に道を極めれば、答えはすでにいたというわけでさ、基本的には様々なものに触れた後はどこかに足腰を下ろすことも重要だと思う。
つーわけで、なんでもいいから1つを極め抜くのとあえて主観だからこそ、客観的に捉えるのは両立するわけよ。
両方をぐにゃらぐにゃらとやっていたら、埒が明かない、
というわけ。
えっと5日間で全ての本を読破する方法は、
1冊を全てだと使いこなそうとした上で、随時違うOSを足していくことだと僕は思う。
極めろ。
疑え。
闘争しろ。