不謹慎リベラルズはなぜ(優しい)のか?。なぜリベラルは不謹慎系だと橘玲さんと古市憲寿さん、ひろゆきさんは誤解されているのか?

 役に立つから、橘玲評論を読むのではない。彼の厳しい倫理、フェアネスを直視したいから、山のようにたくさん読んでしまうのだ。

 カオスフォレストは橘玲さんの幸福の資本論、人生は攻略できるに書かれている通りに実行したものだ。

 淡々としか感謝はしていないが、橘玲さんの評論がなければ、総合言論サイト、カオスフォレストはマジに存在しないと言った方がいい。

 カオスフォレストの私情を入れれば、東浩紀に匹敵する生みの親なのである(なお感情的な感謝はない。感情的な感謝こそ不謹慎リベラルズの総長 橘玲さんへ迷惑だからだ)。

 橘玲評論は、研ぎすまれた読者しか面白さが分からない玄人向けの批評家だが(批評チャンネルで何度も凄さや面白さを繰り返し強調しているのに、その割には魅力が伝わらず苦心する批評家だ。なお古市憲寿さんも意外とそうなのだ)、だからこそ、本当に頭の良くない人にだけ役に立つあらゆる言説の本質を突いた作家だと思う

 ひろゆきさんも優秀だが、一見露悪的で冷笑的で似ているひろゆきさんと比べていると、実のところ、あらゆる意味でひろゆきさんとは対極にいる面白さが発見できる。

 実は、ひろゆきさんは良い意味でセラピーで努力や倫理を一斉要求せず、橘玲さんと古市憲寿さんは良い意味で努力や倫理をかなり要求しているのだ。意外かもしれないが、事実だ。

 確かにひろゆきさんも橘玲さんも古市憲寿さんも身も蓋もない。見たくもない現実を提示しちゃう。

 が、ひろゆきさんは古文漢文の教師は役に立たないと言いながら大学へ行けと言いながらも、同じようにどうしようもない大学の名前だけが欲しくてダラダラしたい大学生自体の怠慢、視聴者の怠慢は一切批判しない。そもそもひろゆきさんの視聴者たちが本当に古文漢文がなくなってほしいとは思わない。が、惰性で古文漢文の教師を批判したい。そう

役に立たない古文漢文を欲しているのは、ひろゆき視聴者たちなのだ。

 だから、大学の勉強は役に立たないけど、大学には行けよというありきたりの正解しかひろゆきさんは教えてくれない。ただ別にそれでいいのだ。なぜなら、ひろゆきさんは居酒屋の与田だと初めから自己矛盾的だが、予防線を張ってある。ひろゆきさんは頭が良い頭悪いキャラというご都合主義的なキャラクター、でも、みんなもこんな俺に憧れるでしょ?という芸風でここまで論壇でブランディングしてきた。

 そう。ひろゆきさんは本質的に役に立たないが、見ていると元気をくれる。

 だから、ひろゆきさんは優しいが故に合理的には役に立たないのだ。内田樹さんも私は好きだが、内田樹や宗教にハマるのは恥ずかしいという一般大衆にとって素晴らしいアイドルと言えるだろう。

 そして、橘玲さんの評論は一見役に立つけど、自身の倫理や哲学を鋭く要求される。

 言ってはいけない。

 遺伝的に大学教育やリベラルこそが差別主義者という身も蓋もない現実をエヴィデンスデータで紹介するが、

 橘玲の言っている内容を本当に扱えるのは、真のリベラルだけだ。大半の偽リベラルは橘玲さんの言っている言ってはいけない倫理や哲学を認めることができず、使いこなすことはできない。だから、橘玲さんの評論は役に立ちすぎるが故に、倫理や哲学間のないそこそこ成功している一般大衆は役に立ちすぎて、自分の愚かさを直視しないといけないため、役に立つことを放棄するのだ。

 そして、そういった人間たちは、呪詛のように偽鬱病キャラや高学歴なのに弱者、高学歴弱者として振る舞い、存在もしない社会悪を仮想し妄想するほかはない。

 じゃあ橘玲は役に立たないのだろうか?

 とんでもない!

 橘玲の評論は本当に地べたを這いつくばった人間や地べたを舐めたくない研ぎすまれた読者のために必ずなる

 なぜなら、難しい哲学用語も使わず、統計でここまで証明し、たった1人で社会正義を証明しているからである。

 今はなき岡田斗司夫との対談で、内田樹より橘さんは役に立つが優しくないと言われていたが、とんでもない。素朴すぎるが、耳が痛い事が結局のところ、優しいこともある。というより、荒療治や核心まで治そうと思ったら、それしかない。優しさとは、状況によって変わるのだ。

 古市憲寿さんも実は東浩紀や中野剛志よりも厳しすぎるが故に家長主義的に、いや古市憲寿イクメン主義的に自己の身を投げた優しい男だ。

 え?古市憲寿がマッチョ?東浩紀や中野剛志よりもマッチョ?

 そうだ。古市憲寿は優しすぎるが故に、マッチョなのだ。

 古市憲寿はあまりに自分の欲望を隠さない。チョコばかり食べるし、炎上ばかりするし、女々しくナヨナヨだ。

 が、批評になるとキレにキレている。

 あまりに精密にエヴィデンスを並びたてる。統計的に日本の将来は最悪だけど、学問的には社会は最悪だけど、最悪なんかから目を反らしていたい若者たちは学問なんか無くても幸福だよと。

 戦慄したー。

 つまり、古市憲寿は一見するとマーケティングが好きに見えるが、あまりに過剰に身を投げた非合理すぎる行動をしているのだ。東浩紀さんの古市憲寿は偽善だというのは、誤解している。古市憲寿こそがリベラルなのである。

 学者だけど、学者の自分なんて社会的にいらないやつだよねと身を投げているのだから。

 自ら統計データでエヴィデンスに自分はそこらへんにいる若者と同じだと自ら白状したのだ。

 だから、古市憲寿も橘玲も実はマーケティングや自己啓発に役に立つように見えて、文学センスの方が冴えに冴えている。

 文体を見給え!古市憲寿の文献はほぼ全て持っているが、様々なメディアで、文体には気を使うと意識的に言っている。それだけ皮肉コメントや比喩表現に、あのダラダラした男が、頭をうんうん言わせながら、チョコを食べて、日夜ウンウンと考えているらしい。

 橘玲さんの評論は実は村上春樹にソックリだ。私はアメリカ文学も好きだが、本当にソックリ。ハードボイルドの文体だからこそ、あの簡素な表現は響くものがある。そう、橘玲の評論は殆ど山のように私たちは買っているが、役に立つからでは、ない。彼の文体というエクリチュール、文体や観察眼を楽しみたいからなのだ。

 だから、橘玲さんは動画向きでは、ない。あのクールに厳しい文体が必要であり、タクシードライバーやGANTZ、テクノライズに世界観はソックリだ。仮に橘玲さんがYouTubeに出ても、ハードボイルドなので、笑いもしないしボケもしない。きっと1時間以上も真顔でいるだけだろう。

 もちろん下げておいて、ひろゆきさんにも良いとこはある。実はひろゆきさんこそヒカキンなのだ。

 ひろゆきさんは冷笑に見せかけた純愛者なのである。

 だけど、ヒカキンは恥ずかしいし、橘玲さんや古市憲寿さんはあまりに厳しすぎる。

 東浩紀さんがひろゆきは古市憲寿に勝ったとほざいていたが、少し違う。ひろゆきさんに勝つのは、不可能だ。ヒカキンと同じだからである。

 役に立つかどうかよりも、良い意味でパーフォーマティブに冷笑したり論破したい。勝ちたい。楽したい。そんな彼ら彼女らに寄り添う優しさがそこにある。

 そもそも犯罪者スレスレだけど、吉本隆明の言う大衆の現像の通り、法より法外。ひろゆきさんは表面的な法よりも、本当に人を愛せるのか?を追求している恋愛至上主義者なのだ。

 このように不謹慎リベラルズは誰もが魅力的な作家だが、特に対極なのは、ひろゆきと古市憲寿だろう。どちらも優しいが、優しさの種類が逆なのだ。どちらかと言えば、古市憲寿は橘玲の方に近い可能性もある。

 もちろんこのようではない考察もあるだろう。

 が、不謹慎リベラルズをただ冷笑家だと思ったり、役に立つと思ったり、馬鹿だと思うのは、早計だ。

 冷笑家だと言われたときに目がハートになりいいねに喜ぶのがひろゆきであり、馬鹿な若者じゃね?と嗤われて、ニッと不気味に微笑む強さとソレ故の腕力を持つ優しさを持つのが古市憲寿で、ベンヤミンに勝るぐらいアウラの消失、悲劇こそが喜劇なんだ、と訴えるかの如し、実は浅田彰と橘玲は役に立つ芸術家という極めて怪物的なポジションを手に至るに至ったのだ。

 優しさとは何か?冷笑とか何か?役に立つとは何か?

 彼らは言葉にはしないけれど、心の奥底では表面な言葉の解釈に興味がないし、飛び越えているだろう。

 (優しさ)って

何だろう…?