箕輪厚介未満のカッコいいひろゆきと三橋貴明の露悪と偽善さはなぜ噛み合わないのか?

 細かい点ではやるべきだけど、国の批判をしていても仕方ないのはあると思っている。

 例えば、MMTと言い続けるのは大事だけど、そんな事を呟いている暇があるなら、資格でも取った方が早いと思う。あくまでマクロはマクロなので、長期戦として言うべきであって、直には効果がないので、そんな事を言っていても埒が明かない。本当に困っている人は、マクロ経済を話しても無駄だ。

 だけど、一方で、あまりにマクロの視点を無視するのも問題だ。

 少子高齢化や人口動態的的に若者で生まれている時点で経済的に不利は事実。だからこそこういった現状認識においてはマクロ視点は使えるのだ。就活で最適化しようにもマクロ視点的には徹底戦であって、自分の親よりも上に行くのは難しい面はあるかもしれないのだ。もちろん若者が大企業に入れば勝つのだという価値観自体が変わっている気もするし。統計調査でもそうだったが、まあどこまで本当か分からないから貼るのは辞めとく。

 単純にマクロもミクロも三橋貴明もひろゆきも流行るのには、ワケがある。という事はどちらも使える点があるのである。

 三橋貴明が勝ったのか、ひろゆきが勝ったのか、そんな事が言っている人々はきっと幸せだ。だって、本当に経済的に困っている人はそんな勝ち負けよりも本当に役に立つ情報が欲しいし、それ以前に消費者金融に手を出しているかもしれないからだ。

 マクロもミクロもどっちも使えるところは使えばいいし、使えないところは使わなければいい。

 MMT自体は言っているだけで終わって何も社会を変えないと思うけど、いいじゃないか。だって、そんな事を言っている人々は幸せだ。だって、本当の意味で経済的に困っていないから。

 おじいちゃんがよく三浦瑠麗の出る政治経済番組を見ている。ただ雰囲気が難しくて面白いからだとのこと。いいじゃないか。

 趣味でいいじゃん。

経済なんて人を助けなくていい。

哲学なんて人を助けなくていい。

文学なんて人を助けなくていい。

 みんな、全部、ソシャゲと一緒だ。

 でも、いいじゃないか。それだけ日本が平和という事なのだ。

 なんて中身のないマクロ経済やミクロ哲学って素晴らしいんだろうって思う。だって、学歴と一緒で見栄と虚栄心ぐらいで満足できるんだから、それだけ幸せな事なのだ。

 もちろん僕も幸せだけど、生憎、そんな見栄で頭の良いふりをしている暇があるなら、彼らは東大にでも行って学歴でも得ればいいのにと思うけど、まあ時間の無駄なので関わらないようにしている。

 あまりに偏った三橋貴明信者には、国のせいにしている暇があるのなら、自分で動けば?ネットでいくら大衆たちからフォローされても毎日呟く労力と現実の影響力を考えると、東大受験でもしたら?

 あまりに偏ったひろゆき信者には、短期的に自分の利益だけを考えるさもしさよりも、マクロ派のように偽善かもしれないが、周りを助けようと思う事が長期的に役に立つよっていう視点を持ったら?それは人権派とかそういったくだらない意味じゃなくて。就活をどうするか?とか大学へ行け!とかそんな凡庸な事を言って努力もしない戦後民主主義者にひろゆきは媚びないで、ちゃんと大極的なマクロの統計データをちゃんと見てひろゆきやその視聴者のリスク回避思考は主権性もないので、自業自得だとちゃんと反省したら?

 結局、偽善と露悪の対立に過ぎないのだ。

 Twitterを呟けるだけ、毎日が幸福の証拠かもしれない。

 本が読めるだけ、毎日が幸福の証拠かもしれない。

 「本当の意味では」

誰も経済的に困っていない。

 論争を見ている幸せな暇があるなら、

自分で動けば?

 ホリエモンのように行動しないでいいのは楽チンで幸せな証拠なのだ。

 行動しなくていい。だって行動しない自称弱者は論争というエンタメを愉しめる余裕があるくらいには凄ぶる強者だからだ。

僕は

自称弱者に

優しい。