障害と鬱病を誰も内心助けたいとは思っていない。

 いや、存在はする。存在はするけれど、障害だから〜だとか鬱病だとか〜とか言っていても

埒が明かない気がするのだ。

 たとえば、TwitterやYouTuberでは鬱病は可哀想だよねだとか弱者に優しくだとかがよくインフルエンサーが言っている。よくバズるし、言葉だけなら正論も多いだろう。

 が、だ。

 それはバイト面接や就活面接、転職面接で唐突で喋ってみたらどうだろう?

 確実にほぼ落ちるだろう。

 どうしてインターネットではこんなに弱者に優しい言説がはこびっているのに、リアルの場だと誰も雇ってくれないんだろうか?もちろん私はこういうのを持っていないけど、わざわざこういう弱点が仮にあって話そうと思う空気がないだろう。それぐらい、インターネットの弱者擁護は「弱者を救うべきだ、弱者は差別されている」というあまりに正論が故に、一生現実を変えないし、むしろ現実の吐口としての冷却効果があるのだ。

 誰とは言わないが、広告代理店のお偉いさんが

弱者を俺らはいつも救っている!

 といつも豪語していた。

 この人たちはどうしてこんなに心が弱いんだろうとそのアピールに呆れていたが、彼ら彼女らは自称優しい人なのだ。要するに貧しい子供だったり障害やうつ病のある子供へ支援をわざわざしている私たちは優しいだとのこと。すごい。僕は自分がまず第一なので、その優しさに感動しちゃったのは本当だ。

 が、だ。

 不思議なのは、現実で会った自称優しいボランティアをしているあんなに優秀な人々は確実に社会に存在する。なのに、どうしてTwitterやYouTubeでは不幸な人々が日々に渡って愚痴や吐口を書いているんだろうか?

 答えは、分かりやすい子供は救いたいが、中途半端な健常者と非健常者のグレーゾーンや気持ち悪い40代、50代の障害者やうつ病をまるで彼ら彼女らは救いたいくないのだ。

 だって、可愛くないじゃん。

 キモい。

 たぶんこういったものだと思う。

 だって、美しくない。幼児を助けたらなんかカッコいいし彼ら彼女らは知能がほぼまだ未発達のため、いりもしないレゴブロックやいりもしない音楽や芸術のコンサートを押し付けてしまえば、簡単に助けた気分になれちゃう。

 だけど、仕事で躓いている障害者や鬱病は自我がある分、厄介だ。邪魔。うざい。消えろ。

 僕は思っているかは置いておいて、きっと僕よりも数倍優しいヒーローたちに僕はたくさん会ってきたけれど、ヒーローがヒーローとして助けてくれないのは、きっと成人済みの障害者や鬱病は面倒くさいし助けたところでメリットが少ないのだ。

 ネットでいくらバズっても、何も意味がない。

 リアルでは誰もうつ病も障害者も助けたいとはほぼ思っていないのだから。

 もちろんここで卑下になる話ではない。

 僕の周りにもやや障害やうつ病を感じる人々がいたが、彼ら彼女らはみんな謙虚そうだった。

 とにかくダメな自分をどうにかしなきゃって努力をちゃんとしていた。

 まとめると、ネットのインフルエンサーは何も影響力がない。現実ではもっとたくさんの分かりにくい障害やうつ病の人々が苦しんでいるけど、社会は助ける気がないのだ。第一、そんな分かりやすい障害や鬱病はあまりに悲惨だから助けやすい。が、現実の障害や鬱病はグレーゾーンや個別で個性がたくさんある。現実問題はあまりに複雑だからこそ、誰も助けづらいし助けたところで賞賛を浴びにくいので自称優しい人々、まあ心の弱い助けている事に酔っている彼ら彼女らは助けたくないよってことなのだ。

 ただ悲惨な事ばかりじゃあない。

 だって、リベラル、左翼、文系高学歴と言われている人々こそ、実のところ、鬱病だからだ。

 そう。あまりに健常者すぎたりあまりに高学歴すぎると、不幸になるのだ。

 そもそも大学受験は、合法的差別だ。

 なので、世の中はほどほどで差別したり搾取したりするのが現実だよねという含みがあるのが、世の中だった。それ自体は変えるべきだけど、そんな潔癖症になるのはなるで気持ちが悪い。誰だって嫌いな人は嫌いだし、好きな人は好きだろう。そういった意味でそこに迎合しちゃあいけないけど、多少は差別はあっても仕方ないし、僕が言っているじゃあなくて、社会が大学受験や就活で差別して、その恩恵を君たち自体が欲しがっている時点で、

受験や就活の負け組もうつ病も障害者も皆勝ちたがっている時点で、差別を皆、多少は認めているのだ。

何も暗い話ではない。大体でいいじゃない。世の中って所詮はそんなもんだよねっていう多少はそれぐらいの融通がなければ、社会はあまりに厳しすぎて回らなくなってしまうだろう。結局のよころ、ネットの弱者は、自分だけが勝ち組の元敗北組、勝ち組の障害者、勝ち組の鬱病患者になりたいだけで、自分に似た境遇の人間を本当に助けたい人は稀なのだ。

 だから、言っているだろう?冷笑している場合じゃないって。

 不思議なのは、そんなにネットで冷笑ばかりしているのだったら、熱く他と喧嘩したり熱くボランティアでも今からすればいいのだ。なのに、冷たく冷笑して世の中はどうせこんなもんだと弱者である自分に酔っている人々が高学歴でたまに拝見される。彼ら彼女らは本当に助けたいのではなくて、助けなくてもいい自分という免罪符が欲しいだけなのだ。自分よりも世間はゴミだから冷笑して行動しない自分はマシだよねっと。だけど、そんなのはまやかしなので、彼ら彼女らがただ高学歴でぬるま湯に浸かりながら行動しないっていう気持ちの劣等生という事は薄々彼ら彼女らも分かっているので、彼ら彼女らのツイートはいつも暗いトーンで悪い意味での冷笑になるのだ。冷笑自体は大いにやるべきだが、まともな冷笑とダメな冷笑は注意して観察する事が重要だ。 

 だから、ボランティアを偽善的にやりすぎる人間もあまりに過度に冷笑する人間も、どっちも左翼やリベラルに多い。

 彼らは心が弱すぎるのだ。

 能力だけはたくさんあるのに、自己本能の欲求に耐えきれず、自己の欺瞞さを避けたいが為に、嘘の偽善や露悪の物語で自己を正当化しないと精神を保つ事ができない。

 僕は高卒や理工系大学卒業でも、幸せに暮らしている大人たちにたくさん会ったことがある。彼ら彼女らは家族もちゃんといて節約もしていて仕事もちゃんとしていて週に1回はゴルフに行っていた。

 障害者や鬱病といった分かりやすいけど、何か抽象的すぎるふわふわした弱者じゃなくて、数は少ないかもしれないが、自分の友達だったり自分の職場だったり、自分の家族は彼ら彼女らは救っていたのだ。

 自分の周りの友達や同僚、家族を救う事がちっぽけな事だろうか?

 確かに彼ら彼女らはネットに書き込まない。しかも、高学歴リベラルのように現実空間で自分は人を助けてますよ!って苦しそうにアピールしない。

 だけど、いつも充実していそうだ。

 だから、鬱病や障害者の人々、健常者の負け組はわざわざ分かりやすい感じで成功してますよ!っていう偽善者たちにそんなに怒る必要もない。本当のリア充はそもそももっと弱いし影響力が少ないからだ。拍子抜けするだろう。

 鬱病や障害者の人々はまだ他人や生まれのせいにできる加害性があるけれど、高額歴リベラルは勝者という呪いを背負ってゲームで恩恵を得ている。なので、その分、勝者であるアピールをずっと演じ続けないと精神の弱さを保っていられないのだ。

 なりたい?

 俺はなりたくない。だから、彼ら彼女らをあまりに叩くのも問題だ。だって、大した連中じゃないから。可哀想な人々だから。

 そう思うと、成功って何だろうねっていう疑問が残る。

 身も蓋もないけど、仕事の大半は、受験勉強や部活の延長線だ。小手先のテクニックは基本的に必要がない。先輩の言う事を聞く、暗記する、理屈にしてパターン理解する、反復する、朝早く起きる。全部、基本的な事でしかない。

 もちろんこんな事ができたからと言ってそれが人生の喜びかと言えば、また別だろう。鬼滅の刃の作者の方がそこらへんの仕事をやっている人よりもカッコいい。GANTZの作者の方がカッコいい。

だから、仕事やSNSの評価なんて、それ以上のそれ以下でもない。

単なるあったらいいけど、まあ過度にハマりすぎると危険だよねという品物でしかないのだ。YouTubeは無料で動画投稿をしても悪口やストーカー被害にあうし、彼ら彼女らみたいな性格の悪い人々を褒めながら社畜のようにしないと基本的なトップにはなれない。本気でYouTuberでベタに成功したくないのだ。

 働き方は「自分」で決めろ。

 鬱病や障害があるのなら、休んでいてもよし。デミリットはあるだろうが、結局のところ、全てはどれもメリットがあればデミリットがあって、どれを妥協しどれを選択するかというベネフィットの問題でしかない。

 極端な理想と冷笑ばかりがはこびるネットには本当はない。

 一方でしょうもないかもしれないけど、リアルの高学歴や社会制度を見れば、ああこんな人々にならなくて良かったって安心もできちゃう。

 というわけで、個別でやっていくしかないのだ。普遍命題は存在しない。性格の悪いうつ病もいると思うし、一方で性格のいい高学歴リベラルだって個別ではいるかもしれない。

 ただそれだけだ。