仕事はソシャゲじゃん(笑)〜マルクスの間違い〜落合陽一の神本『デジタルネイチャー』をプラグマティックに実践応用してみた(笑)

 仕事は愉しい。

 え?もう一度言おうか?

 仕事は愉しい。

 もう一度言おうか。

 仕事は愉しい。

 冗談抜きでそう思う。仕事は愉しいのだ。

 一体どういう事だろうか?マルクスの言う通り資本主義は搾取があるし仕事が辛いからプロ奢られやーえらいてんちょう、ひろゆき、レンタルなんにもしない人が成立する。つまり、仕事は辛くて当たり前であると。

 が、最近、落合陽一が前から指摘している通りになっている気がする。

 端的に要約すると、マルクスの労働時間価値説は現代の情報社会ではもはや時代遅れなのだ。

 簡単に言い換えれば、仕事が時間量で金銭をくれる事はある意味で時間量働けば確実におかねを貰えて楽だし、一方で質による労働はそもそも時間を奪わないしデータは残るので無限に信用創造できるという事だ。

 分かりやすく噛み砕いていこう。

 マルクスは労働した時間分だけ人はお金をもらえるし、仕事は時給制が主だよねと指摘した。

 本当だろうか?

 YouTuberの動画は、1動画たった5分もあるし、質が高い動画なら何度でもウチの浅田彰と落合陽一動画のように消費され続けられる。YouTubeライブでただ喋るだけでもコンテンツになる。wikiよりも更に分かりやすいYouTube講義が無料で見れる。お金自体は貰えなくても、お金で計れない価値ある情報は無限に安く手に入るのだ。落合陽一や古市憲寿、宮台真司の無料講義動画もたくさんある。それらを噛み砕いた古田の講義すらある。こんなに情報機械のユートピアは存在しないのだ。

 が、情報を消費する側は楽でも、情報を生産する方は大変だ。

 なぜなら、無限に宮台真司や落合陽一の動画は残るし、彼らのシンパによる動画も残るからである。これではメディアのマーケティング的にはYouTubeで金を稼ごうにも質でも量でも構わない。

 ようは、対時間労働よりも対情報労働、量よりも質といったセンスを問う仕事が増えるのが、インターネットの特徴である。東大に入るよりもYouTuberで稼ぐ方が難しいのだ。漫画家はまだ才能だろう。が、YouTuberは本当に運もある。いくらシバターやヒカキンが平均より才能があると言っても100000円で1つの動画を見たい人がいるだろうか?昔、松本人志クラスがオンラインサロンをやったが人の入りが悪くてやめたという話を岡田斗司夫が言っていた。本当に実力があるのなら、お金を払ってでも見たいものだ。これがメディアの魔法である。

 落合陽一や限界費用ゼロ社会のジェスキンはマルクスの労働価値説から労働は質、センスの時代へと変化したと提唱する。情報はどんどん無料になるしイノベーションはべき乗で進歩するので、どんどんOSは質が高く安くなるからだ。

 消費者として宮台真司の無料動画や宮台真司を解説した無料動画はたくさん見れて元は最高レベルまで取れる現代だが、一方で、金銭自体、クリエイターとして後から入るのは厳しい時代になっていく。

 こうなると、落合陽一も多少は間違えていた。まあマルクスも間違えいた。

 そう、マルクスの労働価値説の量による労働こそ楽になるのだ。

 現代人は物に溢れて情報にも溢れている。

 こうなると、働いた時間分だけ確実にリターンをくれるサラリーマンや公務員の方が搾取されているようには見えなくなる。なぜなら、YouTuberと違い、確実に賃金が働いた時間だけ貰えるからだ。もちろん資本家はいるだろうが、彼らはもうホリエモンだ。

 いつもダサそうな服を着て、メスイキやら野菜やらタクシーやらイジられる。

 悪平等こそがインターネットだ。インターネットの発達はインフルエンサーをその実はいじられキャラとして働かせていく質こそが社畜なのだ。

 YouTubeのインフルエンサーは大変だ。

 毎日会ったこともない他人からパワハラやセクハラをされて毎日投稿かつ最初は無料でかつアイデアを思いつかないといけない。冗談じゃないと思う。YouTuberで成功は目指していけないのだ。

 YouTuberの方がやりがい搾取的で、普通の労働の方が確実に働いた分だけお金をくれる。

 今僕らはこの変わったパラダイムに生きて暮らしているのだ。