「1億人国家」の誕生と終焉

戦時中、我が国では戦意高揚のスローガンとして「1億玉砕」といった表現が使われていた。
現在の日本の人口が大体1.2億人だから、1億という数字そのものは比較的馴染み深いものだろう。しかし、戦時中からずっと日本の人口が1億人台だったわけではないのだ。
明治以降の日本(内地)の人口の推移を見ると、明治5年が約3500万人で、1940年に約7200万人まで増えている。
7200万を四捨五入して1億と見做すのは流石に無理があるが、当時の日本は朝鮮や台湾などの植民地を抱えていたため、これらの地域の人口を含めれば、総人口は約1億人だった。つまり、戦時中の「1億」とは、日本列島だけでなく帝国全体の人口を指していた。

無論、敗戦によって日本は植民地を喪失したため、敗戦直後は「1億人」の国家ではなくなった。
しかし、当時はまだ出生率が高かったこともあり、人口の増加は戦後も60年ほど続いていた。1948年には8000万人を突破し、1964年の東京オリンピックの頃には約9700万人となっていた。そして、1967年には遂に1億人台に達し、現在とあまり変わらない水準となった。
したがって、日本列島の人口が1億人となったのは、比較的最近の話なのだ。

しかしながら、人口が増え続ける一方で、出生率は着実に落ちていった。合計特殊出生率(女性1人が生涯で産む子供の人数)は、敗戦直後の時点で4以上だったが、昭和後期には2弱まで下がり、平成元年(1989年)には1.57だった。これが、いわゆる少子化である。
1組のカップルから平均的には2人以上の子供が生まれないと、人口は維持できないため、平成元年の基準では将来的な人口減少が進むことは明らかだった。そして、その後も出生率は好転せず、現在では人口減少が始まっている。

それでは、日本の人口はどこまで減るのだろうか?また、そもそも少子化の原因とは何だろうか?
日本の将来の人口については現時点でも様々な予測が存在するが、国連の予測では2100年の時点で約7500万人、ワシントン大学の研究チームの予測では今世紀末に5300万人以下になると言われている。
いずれも大幅な減少だが、今後80年でだいたい5000万〜7000万の水準まで減少すると言えるだろう。なお、途中で出生率が好転すれば、多少はマシな減少幅となる可能性もある。
こうした少子化の原因として、日本が子育てに不便な環境だということが、よく挙げられる。しかし、仮に日本の子育て支援が貧弱だとしても、これは主な理由ではない。
意外なことに、夫婦1組あたりの子供の数(完結出生児数)は近年でもあまり減っておらず、2前後で推移している。少子化の最たる要因は、非婚化なのだ。生涯未婚率は、昭和と比べても大幅に上がっている。
子育てがしづらい環境だから子供が生まれないのではなく、そもそも子育ての心配以前に結婚できない(あるいは、しない)層が増えたから少子化になっているのが、日本の現状なのだ。

以上のように、我が国の人口は、明治から平成にかけて激増し、そしてこれから100年近くの間で激減すると予測されている。そして、その原因は子育て支援の不足ではなく、非婚化だ。
20世紀は、人口増加と経済成長によって日本社会が大きく変わった時代だったが、21世紀はその逆の変化が起こる時代だろう。順調な発展を経験した世代と違って、現在の若者は「撤退戦」を強いられる世代となる。
とは言え、撤退戦には撤退戦なりの戦い方がある。現在の人口を2100年の時点でも維持することはおそらく不可能だが、若いカップルの結婚を支援して出生率を増やすなどの政策によって、人口減少が止まる時期を「早める」ことは可能だろう。また、政府支出を積極的に増やしてインフラや技術開発などに投資すれば、人口が減少する時代であっても一人当たりのGDP≒生産力を上げていくことは可能だ。

そもそも、ヨーロッパの主要先進国(イギリス、フランス、ドイツなど)と比べれば、人口が8000万人や6000万人になったとしても、少なすぎるということはない。今のところ、ほぼ全ての先進国は合計特殊出生率が2未満であり、近代化を経験した国々は、程度の差はあれど少子化と人口減少も経験することになる。伝統的な宗教と共同体の影響が色濃く残るイスラム圏でも、少子化自体は進んでいる。
現在、人類は世界的な人口増加を経験しているが、その裏では着々と少子化も進みつつあり、いずれ人口減少の世紀を迎えることになるだろう。
したがって、先述したように、人口減少が止まる時期を「早める」ことは可能だが、それは近い将来の話ではないし、その先も人口が大きく増えることは当分ないだろう。少なくとも、私はそう考える。

よりミクロな(個人レベルの)話をすると、生涯未婚率が上がる時代において結婚したいのであれば、能動的に行動を起こすべきだろう。昔の社会であれば、親族や会社などの共同体がお見合いの場をセッティングするなどして世話を焼いてくれたが、今の時代はそうした共同体も希薄なものとなってしまった。特に男性は、自分の子供が欲しければ、若いうちに恋愛等への積極性を身につけることが必須だ。
無論、今後の社会において共同体の価値が再評価される可能性は皆無ではないが、今後数十年はその可能性も低いだろう。自由恋愛がほぼ唯一の結婚へのルートとなっている以上は、絶望的であってもそこで戦うか、結婚自体を諦めるか、の2つがメインの選択肢となる。
私としては、共同体がお見合い結婚などを支える社会の方が望ましいと考えているが、そうした理想とは別に、今の時点でどうするべきかを個人レベルの問題として考える必要はあるだろう。

いずれにせよ、これからの時代は、日本が「1億人国家」だった頃とは異なる政策や生き方が求められる。重要なのは、こうした超長期の予測を多くの人が共有した上で、実現可能なビジョンを生み出していくことだ。
多くの人にとって、人口が半減する未来など考えたくもないだろう。しかし、そうした悲観的な予測を一度受け入れない限り、建設的かつ現実的なビジョンが生まれることも不可能だろう。

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