マジで努力する才能がないかもしれない。

 微々たるものだが、批評系YouTuberも30000PVのブログもまったく努力してやろうと思わず、個人の趣味でやり続けていたら、多少はモノになっていた。

 だから、落合陽一さんのように寝不足になるまで24時間働いて会ったこともない赤の他人をお節介に救いたい気持ちもないし時田ロルフさんのようにストレス貯めたり赤の他人をお節介に救いたい気持ちはない。

 大ざっぱには救いたいが、彼らほど睡眠時間を削るほどお節介レベルにまでマクロに社会を動かしたいと思わない。

 きっと自分には努力する才能がないんだと思う。

 福島原発周辺まで行った人災の博物館という動画制作は努力しているように見えるかもしれない。

 が、まったくの勘違いだ。

 頭の中で、時田ロルフが戦前民主主義を語り、古田更一も福島原発周辺にいて、静くんの煌めく動画編集が爆発する。そんな映像を自分だけが見たいなぁと思って作って、どうせ承認や金には困っていないんだしというわけで無償で見せた。

 ただ世界で誰も自分が見たい芸術作品を作ってくれないから作っただけだ。

 批評系YouTuberもそうだ。

 たかだが東浩紀や浅田彰、宇野常寛、落合陽一、大塚英志、柄谷行人、坂口章、鈴木祐、古田更一ノ母、宮台真司、橘玲、中森明夫、中野剛志、中沢新一、藤井聡、古市憲寿なんて確かに天才だけど全部分かって全部読めて当然だし、

 これらを全部大体まとめたメディアがあればいいよなと思っていた。

 wiki的なYouTuber的な要約じゃなく、彼らの肌感を残したまま。

 というわけで、誰もやってないなら、俺がやってしまえ。

 ただそれだけだったのだ。

 だから、苦労をした人生だとかそういったことを自分からやるのは苦痛でできない。

 努力ができる人は本当に凄いと思う。

 自分がただ見たい作品の為だけなら努力できるけど、24時間他人が見たいものの為に無償で努力できる人々って本当に凄いと思う。凄いと思う。

 ただ凄いと思う一方で、そんなに頑張って疲れないのかが気になってしまう。

 頑張らなくても、幸せになれると思うのだけど…。

 努力なんかできなくても、人は生きていけるし、努力をしないことが生きづらいのではなくて、むしろ本質を分かろうとする努力が足りないから、疲れちゃうだけな気もしている。

 東浩紀さんや落合陽一さんを尊敬する一方で本人自体には維持でもなりたくないのは、才能ゆえのリスクを払いたくないからで、逆に言うと、視聴者は改めて楽で楽しいだろう。もちろんそこにあまりに開き直る視聴者は倫理観と飲み込みがかけ過ぎていて、東浩紀も落合陽一も古田更一も使いこなせないと思うが、彼らにはなれなくても別にそれでいいではないかと僕は思う。

 デミリットとメリットは両立するのだ。

 あまりに受け身な視聴者がいくら読書してもYouTuber大学見てもダメなのは、使いこなせるレベルのデミリットすら払いたくないからだ。

 努力ができないからこそ、仕事や困難は僕は意識して努力しようと思っている。

 普段から努力できないと反省することができたら、メリハリをつけて努力できるのだ。

 努力できる人だって愉しく生きてるなら、努力できない人だって愉しく生きて構わない話だ。

 だとしたら、メリハリをつけてどこまで努力するか、リスクを払うか、自分だったら他ジャンルで古田理論を生かせないかを考えるべきだ。

 もしくは、作者が求めているものを読み取り、ただ金にもならないいいねボタンだけじゃない投資で還元するべきだ。批評系YouTuberは批評史という批評家たち全体に対する社会貢献だと僕は本気で思っている。

 努力できる人間以外にも、役割はあるし、デミリットやメリハリを意識するからこそ努力できない人間も頑張れる。僕は東浩紀や落合陽一、時田ロルフほど努力する才能がないけど、彼らに能力で負けると思ったことは1度もないのだ。