古市憲寿&古田更一VS古田更一ノ母&落合陽一。2人と2人はなぜ論争するほど仲が悪いのに容姿が似ているのか?

 2人には努力しかなくて、

2人には才能しかなかった。

 古市憲寿さんと古田更一さんには努力するしか道がないほど大変で、

落合陽一さんと古田更一ノ母さんには才能で生きるしか道がないほど大変だった。

 4人とも不幸すぎるという点では、

同時にソックリなのである。

 古市憲寿さんは詩でSFCへ入り僕も似たような道で楽をして楽をしてきたように見えるかもしれない。古市憲寿さんには有名な友達がたくさんいて古田更一の周りにはアカデミックの理文美医のあらゆるジャンルの友人たちがたくさんいて楽な人生のように見えるかもしれない。

 とんでもない。

 古市憲寿も古田更一も努力をしても全然まともに成功できないからこそ、楽する道を真剣に模索して考え抜いて発見し見出したし、古市憲寿は中高までマトモな友人はいず、古田更一は自分より才能のある友人たちに半分見下されながらも彼ら彼女らに負けないように二流までの約束された敗北という努力をして専門家たちの彼ら彼女らの最良の読者という座席を獲得したから彼ら彼女らは僕を初めて信用してくれた。最良の読者でいるための努力も並大抵ではないのだ。作者に一生逆立ちしても勝てないし。批評系YouTuberは初めから敗北が約束された職業なのである。というかYouTuberみんながそう。そして、古市憲寿も「できないリーダー」らしい。仕事をする時によくリーダーになるけど、「全然自分はできない人だから皆で手伝ってよ」と初めから敗北宣言をするリーダーらしく、だからこそ、逆にリーダーらしくないリーダーだから役に立つことがあるとかなり屈折したことを言っている。

 古市憲寿がメディアで受けているのは、攻撃的なイジられキャラだからである。そして古田更一が学校で人気者だったのは、攻撃的なイジられキャラだからである。

 どちらも一見は強い毒舌でも周りからイジられているからこそ変な雰囲気だよねと見下されていて、2人自身がその現実の敗北を直視した上で生き抜いているからこそ、今の成功があるのである。

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メディアアーティストで光や音や物性や計算機メディアの研究をしているような感覚的物書きで博士持ちのスナップ写真家です.多様性社会を目指す波動使いの准教授

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落合陽一のプロフィールの一部抜粋だ。ようは、天才。その二文字が似つかわしい。古田更一ノ母も容姿には優れて論破能力も男顔負けにあって頭が優れて回り要領が他の人の何倍もいい化け物のような性別がないような人種だった。見た目は美女だけど中身は前期ひろゆきを更に怖くしたような人だった。

 が、彼と彼女は、同時に

過剰な努力家だ。

 落合陽一は寝不足になるまで日夜働き古田更一ノ母も週6日働くなどザラに平気でやりのけちゃう方々だ。が、ここで能力があるから、努力ができるのではなくて、

性格が天才であるという

自己イメージの塊だから

身体がぶっ壊れるまで、

努力ができちゃうのだ。

 ようするに、「才能」とは、

性格であって、

結果で見ると、

才能のある方が過剰な努力家で、才能のない方は過剰にサボりたがりなのである。

が、ここで4人は似ているという事を思い出してほしい。

それは、

4人の過剰さだ。

 才能に頼るからこそ、落合陽一と古田更一ノ母は感情論で暴走するし、才能がないからこそむしろ古田更一と古市憲寿はよく性格自体は論理性が高く変な事で自らの暴走という面は少ない。仮に暴走してもあえてがそこにある。素直なのは、天才型の方なのだ。

 そして、才能があると思うからこそ、努力ができちゃうし、自分には才能がないと思うからこそ、努力をあまりしない努力ができてしまう。

 ベタに凄い奴らと

アイロニーに凄い奴ら。

 そして、ある意味では、ジャンル的には、能力やスペックではなくて、関心領域で言ったら、天才的なモノをどこまでも追求したがるのはむしろベタな落合陽一とアイロニー故に天才に憧れる批評系YouTuberの古田更一であって、俗的なモノをどこまでも追求したがるのはむしろ古市憲寿の方が自分の才能のなさに誇りを持っているし古田更一ノ母はあまりに何もかもが手に入ってしまった故にある意味で「天才の努力家故にサボってしまい」素朴な社会的なステータスにしか関心がなく、哲学だったりアカデミックだったり才能がものを言うジャンルだったり、本当の家族愛だったりとかいうものが純粋には分からない人間になってしまっていた。

 結局のところ、人それぞれであって、性格が故に能力が天才になる人もいれば、母親の天性に憧れて天才キャラになる努力する人がいれば、天才故に努力のしすぎで逆に不幸そうだしむしろコスパ悪いだろという人がいれば、天才故に初めに勝った段階で成長が止まってしまってそのままずっともっと高度なゲームだったり愛情だったりが深くは分からないような人間になってしまう事もある。

 結局のところ、才能は性格だし、ただし、複雑な解釈によって、如何様にも変わっていく。

 が、彼ら彼女らは不幸に見えるほど大変そうに見えて、実の所、幸福だ。

 なぜなら、

過剰さがそこにあるー。

 天才ゆえに努力をしまくるし、凡人故にどう天才に差をつける過剰すぎるハックを使うか、天才芸をするかを凡人こそが行なっていく。

 逆に言うと、本当はこの4人は対立しているけど、どこかでは同じでもある。

 そして、皆がこの4人に驚いたり困惑しちゃうのは、才能があるとか努力がどうとかじゃなくて、

複雑なドラマがそこにある!

 そんなミステリーなああミステリーな

破茶滅茶さだけがこの結論なき結論の面白さって事だと思う。

 最後に母親の言葉で締めよう。

不可能な事に挑戦するからこそ、

可能にするのって

面白いんだぜ。

 勝った負けたかでは…、、、