数学なんて極めても時間の無駄だぜ。 ヴィシュトゲンシュタイン ライプニッツ スピノザ

 僕は冷笑主義者がとことんまで嫌いなのは、結局、冷笑主義者の殆どが、

純愛主義者

だから、だ。

 ココロの奥底でまーだ愛情を求めちゃっているからダメなのよ。足りねぇよ、絶望ガ。

 僕が東大理3へ行けよ、冷笑ぶるのならば、というのはそういうこと。

 つーか、数学の教養がねーのよ。

 全てを証明

できるわけが

ねーだろうが。

 たかだが100年程度しか生きれない人間とその2000年の歴史の証明、

数学史を知っていれば、いまだに数式で全てを証明することは不可能で、大学院や博士ですら世界に数人1つの数式を紐解ける天才がいるかいないか、だ。

 逆に数学をやりまくる事は、自身の無力感に打ちひしがれる

絶望の快感

つーわけなのさ。

 マルクス主義が失敗したように数学も物理学も未だにこの世界そのものを便利な1つの数式で証明することは出来ちゃあいない。

 ってなると、たかだが理屈で冷笑しているのは、

絶望が足りない

証拠だよ。

 …。純愛なんだよ。

甘すぎるぜ。

 本当の本当に考えて考えて絶望していたら、たかだが理屈の限界に気づくもんなんだがなぁ。

 理系が理屈臭いのは間違いで、

 理系こそ理屈の限界を知るからこそ、理系なんだって定義付けした方がスッキリする。

 逆に言えば、理屈なんかにたよらなくても、幸せそうなヤツラだって山のようにいるだろ?

 数学自体が人間の構成した残像、

フィクション

だとしたら?

 世界は解釈することで構成されるとしたら、テメェのレンズが腐ってるから、つまり馬鹿だから自業自得で不幸なんだよ。

 もちろん本当の鬱病は単に遺伝子や環境要因が入るが、気分の鬱病や発達障害は単に知性が足りてねぇけど、そのリスクから反らしたいだけで、理屈もクソもない。彼らに話す言葉はない。

 世の中には、最初から感覚もないし最後から理屈もないし、何もかもなかった。もちろん遺伝子や男女はあるつーわけだが、幸福や理屈、冷笑主義は単なるフィクションだぜ。

 そういう意味じゃあ既に

世界は平和だよ。

 これからもこれからもずっとずっと平和だよ。

 ライプニッツやスピノザの言うモナド的平和は既に完成されているのさ。

 そんな平和は楽しいからこそ、ぶち壊したくなるのさ。

 絶望こそが救いなのに、どうして希望にすがりたいのか僕は生まれてから一度も分からないんだよ。

 解釈や討論に意味がないのだから、

いや意味がないからこそ意味があるからこそ、

意味が分からない事が意味あるかの如くだからこそ、不可解で不可能で不思議ちゃんなんでしょうよ。

 ミステリーがないと

人生と

言えないー。