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学術語はある時から必ず原典でパラパラと読んだほうが頭に刺さりやすい。
だから、英語ができなくてもフランス語ができなくてもドイツ語ができなくても
原典から読むべきなのだ。
大事なことは、ニュアンスを掴み取り、直感レベルや動機づけとして頭に叩き込むことが重要だ。理屈だけで分かっても、それは分かった気にすぎない。
今はググれば、簡単に表面的な情報だけは手に入るから、わざわざ文系大学へ表面的には行く価値はなくなっている。
が、それでも文系学問に価値があるとしたら、根幹で理解させられる授業や雰囲気を自分なりにガムシャラに4年間の間に見つけることが重要だ。
ウィリアム・ジェイムズの心理学は、心理学本の中でほぼ最古の心理学であり、心理学の祖の部分である。当然、今の科学では役に立たない部分も多い。
が、悲しいから泣くのではない。
泣くから悲しいのだー。
これはジェイムズ心理学のコピーライトだが、これは今の心理学に足りない目線ではなかろうか?
身も蓋もないが、環境のせいで泣くことはあるけれど、だったら先に無根拠にも笑えば嬉しいことは後からプラグマティズムに根拠づけられることを認知心理学の実験から証明していた。
あまりに身も蓋もないが、いい意味のニヒリズムというか、誰でも実践できるが故に、表面的な鬱病キャラ(申請が貰える本当の鬱病とは違う)にとってはキツい自業自得を暴いてしまう救済だろう(要は、自分だけ助かりたい、自分は自己中キャラだ、自分は不幸キャラと自分で妄想的に思い込むから余計に不幸になることを科学的に証明した。もちろんガチすぎる鬱病には効かない可能性があるが、YouTubeライブ程度にはこのレベルで十分だ)。
古典が古典足らしめているのは、それが役に立つからだ。が、荻生徂徠の古文辞学よろしく読解力ない方々によってその役に立つ理由は忘却されていく。
さて、なぜ英文でウィリアムジェイムズの心理学をパラパラでも読むべきか。
正直、私がパラフレーズし要約した部分が最も役に立つ部分で(意識の流れも役には立つが)、他は古すぎる部分も多い。
が、頭にしみわたるようにジェイムズと対話しようと思ったら、顔写真は見るべきだし彼の激しすぎる生き様(画家志望→医者志望→探検家志望→心理学発明→アメリカ哲学発明→宗教学発明→…)は正にプラグマティックな意識の流れを象徴するだろう。
今会えないとなれば、当然だが、英文まで読んで損はない。翻訳できるというが、細かいニュアンスは分からないのだ。
だが、なにも受験英語の合否に固執する必要はない。
いくら英文だからフランス語、ドイツ語より簡単と言えども、昔かつ専門書のしかも文学的センスに溢れたジェイムズ独特の話し方だ。
めちゃくちゃ理屈だけなら難しい。
が、英語を勉強したいなら、英語をそのままやればいい。我々がやっているのは、英語自体ではなくて、ジェイムズ自体を知る動機づけや直感的理解である。
言語化できない前提でニュアンスを掴み取ること、行間を読み取ることが重要で、英語を使ってジェイムズを勉強するは、誰もが分からないなりにやった方がいいのだ。
わからないを前提にやることこそが、ジェイムズを深く深く分かるようになるコツなのだ。