【反文学論】批評家の宇野常寛≒柄谷行人はなぜ文学YouTuberより文学センスがあるのか?今こそ母性のディストピアを読み返せ。 ヘーゲル 大塚英志 鬱病キャラ…?

 本当に文学を心から愛している人と

 愛していない人の差だろう。

 文学YouTuberは良いことをやっていると思うが、あまりに舞城王太郎や西尾維新、虚淵玄を持ち上げないのは視野が狭小すぎるだろう。

 ポストモダンにおける吹きさらしで文学をやる意義を改めて考えないとならない。

 落合陽一的詐術はある意味コロナ禍で完全敗北したのである。

 もちろん西部邁や中野剛志はともかく素朴すぎる国家主義こそがマクロにとってはミクロの単なる宗教、需要のないミクロ、ポストモダン的な趣味にすぎないことが露呈した。

 簡単に言よう。

 今の日本には真面目すぎる奴こそ不真面目な偽善が横行しているし、かといって露悪だけではやっていけない。

 具体的に言えば、コロナ禍による自粛4回はマクロ派こそ望んだ結末であって、それ以外はポストモダンの中の趣味、性癖にすぎないことが露呈された。

 今の日本は言葉の弱者に優しい素晴らしいマクロ国家が成立したのである。富国と強兵の結論は端的にこれであって、もし違うなら、負けた思想、現実から目を反らす落合陽一と本質的にはなんら変わらない意匠にすぎないということだ。

 大人ぶって根幹では配慮の精神が根底にないクソガキになるぐらいなら、今の母性社会としっかり絶望するぐらい直視した方がずっといい。

 まあ負けは負けだし、ベタすぎる大人キャラたちこそ今最も間違えていて需要なぞないことを反省すべきだ。反省できないなら、より抑圧されて当然だ。結局、母性的なシステムに依存しながら父性ぶる都合の良い空虚さ程度が左翼やリベラルを冷笑するに見合う実力はない。真のヘーゲルの葛藤、真面目に大人をするなら、本音と建前などという空気に縛られる田吾作はやめて、本音と建前なんぞいう土民の言い訳はもうやめた方がずっといい。

 山本七平はやはり正しい。馬鹿の開き直りは自業自得だ。ただの馬鹿はいいが、哲学ぶりながら、哲学はいらない、心理学だ、は、じゃあ運チャンやってろ心理学やってろ、だ。

 母性のディストピアはそんなに甘くないのだ。

 二流は覚悟、謝罪があって一流になれるが、覚悟なく建前と本音を振りかざす程度の父キャラなぞ母性のシステムに安住し利用されておしまいだろう。今回のコロナ禍は日本のマクロ主義の本音は母性のディストピアであって、建前を演じるポストモダンなピエロこそが落合陽一たちだったというわけなのだ。カチカチしたマッチョなぞもう無理だ。本当にそうなら、オタクもありえないし、リベラルを批判する権利はない。

 舞城王太郎や西尾維新、虚淵玄、恥ずかしいオタク文学こそ今の日本の現像だ。

 太宰も夏目もある種オワコンだし、ベタすぎる歴史主義こそが歴史修正主義だ。

 宇野常寛の母性のディストピアこそ真なる保守思想であって、恥ずかしいマクロをしっかり直視して闘った絶望の記録だ。

 答えはないが、現状は見える。

 オタク文学を膨大に絶望するぐらい勉強する方が、本当の保守だ。

 母性のディストピアをしっかり直視できない父親ぶった様々たる意匠こそ、母性に依存しているからこそ母性にいつも負け続ける自業自得なのである。

 真なる教養を始めよう。