【正義真論】。【感情の分断】時代。【完全希望】と【理屈ノ終焉】。宮台真司と古田更一、よわい人だけが笑う。なぜひろゆきVS堀江貴文や中野剛志VS藤井聡、落合陽一VS古市憲寿、立花孝志VSdaigoになってしまったのか?

 ひろゆきもも科学者も心が弱いからこうなってしまった。健常者が非健常者になってしまい、非健常者が健常者になってしまった時代。

  もう理性的なフリをする論者こそ

    信用できないー。

 

 コロナ自粛は素晴らしい!

 素晴らしい!素晴らしい!素晴らしい!

 素晴らしい!

 だってだって、人命をたくさん助けることができるんだよう!?

 こんな素晴らしいことないよ!

 だってだって、自粛すればするほど耐えれば耐えるほど、

 命を救うことができるんだぁ!

 少なくとも確率的には命を救うことができる!

 こんな嬉しいことはないよ!

 確率的にいいねが貰えるのなら、

 こんな嬉しいことはないよ!

 希望が溢れている。

 ってわけで、自粛派は素晴らしいのだ。

 一方で反自粛派は自由を訴えている。

 自由!自由!自由!

 でも彼らがワガママといえばそうじゃない。

 むしろアクティブに動くことがないと生きていけないどっちかというと能力値が高いか外に行かないとやっていけない人がこうなっているように感じられる。

 要するに、

 マイケル・サンデルの言う超法規的な正義の選択が今回のコロナ自粛なのである。

 どっちも究極的には正しいし、どっちも究極的には間違えている。

 が、あまりに現実で正義の授業を考えようが起こったため、過剰に科学エヴィデンスデータを投げてビクビク震えて希望に縋ったり反自粛派もキレている。

 要は、どいつもこいつも

社会を宗教的に依存していたのだ。

 ひろゆきでも例外では、ない。

 むしろ教祖が一番心が弱いからこそ、信者に依存するのだ。

 理屈というキャラクターの行き着いた先は、不安、過度な希望を叫ぶことだったのである。

 もちろん心が弱いことを否定しない。

 が、これでは、健常者は結局のところ、神経症なので、過度に何かに依存しないとイカれてしまう非健常者だということがバレてしまったのである。

 むしろ非健常者、ゼロ年代的な引きこもりキャラたちの方がそもそもネットに引きこもっていたので、わざわざ過度にひん曲げたエヴィデンスに依存した科学データを毎日発表して過剰すぎるほど毎日毎秒FAXチャートのように命を救ったという「いいね」を集めなくていいのだし、反自粛派のように社会インフラを使って幸福になろうとする必要はない。

 何も非健常者を褒めているのではない。

 結局のところ、今回のコロナ禍は、強いか弱いか、能力の有無よりも、

 貴方自体が自分の手足で自立しているのか、ということの方が重要だと分かったのだ。

 あんなに凄かったひろゆきですらいいねと嫁、子供、信者に依存しないと生活できないし、堀江貴文も藤井聡も中野剛志も落合陽一もdaigoもイライラするほど、実の所、ぼくたちとある意味では変わらない人間であったということがバレてしまったし、そこの努力を怠っている、もしくは人間である以上、生理的に補えない弱点だったということだ。

 自立は、引きこもっているだとか能力が低いかどうかではない。

 保守の真髄を唸ったバーグの言う通り、後天的貴族というタームを援用したい。

 生まれた能力で強いか弱いかで貴族と判断せず、

 自分の生得性、宿命に「自覚的」で、自覚があった上で、どうするか?どうしないか?しないかのベストを尽くせば、誰もが貴族である。

 周りが言っているからとか周りが言っていないから、という人間たちは全員今回のコロナ禍で不幸になっている。

 反社会的になれと言っているのでもなくて、自分の手足をちゃんと見つめた上で社会へ視座を向けろという当たり前の話である。

 社会は社会だし、いくら社会が凄くなろうと、社会でいくら評価されようと、貴方は貴方だ。

 俺からいくら承認をもうおうともらわないだろうと、貴方は貴方だ。

 逆に言うと、自立こそ自由を意味しない。

 自分でできることはこれか!いやこれなのか…とハッキリと決断していくことは恐怖が伴うし、1日ですぐ出来ることじゃないだろう。

 宮台真司はたくさんの人を褒めて、古田更一はたくさんの人を貶してきた。

 これは、実のところ、両立している。

 自分は熱い人間だけど、他の人は違うよな…と徹底的に悟っているから他人を褒めちぎれるし、

 自分は冷たい人間だけど、他の人は違うよな…と徹底的に悟っているから他人を貶すことができる。

 自分は自分だし、他人がまず分かってくれないだろうなというのが、絶望の始まりにある。

 だからこそ、絶望がハッキリと分かるから、一方の希望を絶望という現実レベルからやるのだという目線が発生するのだ。誤解しないで欲しいが、今でも宮台真司と僕は全くの別人だし、根幹では合うとは思わない。が、たとえ違う人間でもちゃんと敵対しているのかしていないかは両立するのだ。

 今回のコロナ禍は、科学者もいらないし、哲学者もある意味いらない。

 ただ自分のことは自分で、他人は他人だよね、と自分の出張が完全に間違えているだろうな…と他人から見えるだろう諦念がある当たり前のマナーがあるかないか、の方が重要だった。

 むしろマナーがあるからこそ、「プラグマティックに」期待できるし貶すことができるのだ。

 科学者も哲学者もある意味で今回は解けない問題なのは、こんな当たり前の問題で躓くほど彼らが奢っていた、人間関係の視座をどう埋めるかを本質レベルで怠っていたということなのだ。

 改めて言うが、彼らが凄い人間なのは、変わらない。むしろ彼らのことを褒めちぎる動画や解説動画を作ってきたからこそ、ここで彼らを全否定しているというのは勘違いだ。

 が、頭の良い人間でも間違えることはあるし、普通の人間でも生きている価値はちゃんとある。

 今回のコロナ禍はどんな人間でもどんな資質の人間でも、貴方はまともに

社会を社会だとハッキリと峻別し、

個人を個人だとハッキリと峻別できましたか?

という簡単故に頭が良すぎる方が見落としやすい問いだったのである。

 「貴方」は

ちゃんと

「貴方」ですか?