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天才なんか
なりたく
ないー。
よく自分は頭が悪いから…とYouTubeライブで言われるとイライラするのは、真剣に彼らが頭が良くなる努力すら怠っているからだ。本当に今は努力さえすれば頭が良い人間なんて簡単になれるのだ。
落合陽一は
頭が悪いよ。
最大の褒め言葉である。
なぜなら、日本の将来がどうこうとか大衆がそもそも自ら現実を直視しないし大衆自体が日本の将来が良くなることをそんなに努力してまで望んていないし、
単なるオナニーのエゴ、偽善であることは否定できないだろう。
あまりに素朴すぎるのだ。
が、ここで単に冷笑もできない。
睡眠時間を一切取らずに馬鹿げたコンパばかり出ているのはハッキリ言って自殺行為であり、が、故にこそ、はじめから彼は寿命を縮めるぐらい大馬鹿だからこそ頭が良いと大衆からは思われているのだ。
逆に言うと、頭が悪いから…と言い訳する連中は、頭が良くなるコストを払いたくないだけであって、
え!?頭が悪くて良かったじゃん!
と言いたくなる。
誇大妄想じみたデジタルネイチャーがなくとも深夜のラーメンの1杯で毎日が幸せだし、日本の将来がどうこうといってもコロナ禍でその大衆がコロナ自粛を選択し自由と経済成長を捨てたので、大衆のことを一番考えていないのは落合陽一本人かもしれない。
高橋祭の自殺も電通側はある意味悪くないと思う。
だってインターンとかしっかりしてれば週7労働などは当たり前だし、身も蓋もないが、
優秀なサラリーマンは、
過剰な理念を持って過剰に毎日働いてくれる人間である。
毎日働けば、
君も今日から
落合陽一になれる。
だから、最強のビジネスマンになりたいなら、熱中するぐらい人生を仕事に努力だけ捧げれば基本的には簡単に落合陽一にも箕輪厚介、堀江貴文にもなれちゃう。
逆に言えば、皆が憧れる天才は努力する凡夫であって、ぶっちゃけ天才の定義によっては、君と何ら変わらない。
僕は彼らのような天才にも憧れるけど、大谷翔平のような生まれつき凄いやつも天才だと思うし、世間から自ら冷遇されにいって一切本を書かないのに超絶に頭の良い浅田彰のような本質を突いた天才も凄いと思っている。
逆に言えば、天才はある意味存在しないし、仕事のできる人間もある意味存在しない。
その場その場の定義で、
変わるのだ。
なので、天才になりたいだとか仕事のできる人間になりたいだとか聞いちゃうと、
えぇ!?本気で言っているの!?と思っちゃう。
僕は落合陽一が凄いと思っても、憧れなんか1ミリも抱かない。憧れって自分もああなりたいな…って感情でしょう?
図々しいにも程があるよ。
僕のはもっとこう…無償の慈愛みたいなもんなんだよ。
落合陽一になろうと思ったら、根源的に努力でなれるが、その代わりに、毎日睡眠不足かつメンヘラ、不毛な大衆たちに嗤われながらも大衆を助けるんだ!みたいな訳のわからぬ徒労な偽善を振り回さないといけなくなる。
ああいう人間は必要だということとなりたいかどうかは別だし、
仕事のできる人間は何かを犠牲にするから仕事ができるのである。
ということは、仕事ができない人間は仕事ができないのではなくて、何かを犠牲にしないで利益、メリットが欲しいとほざいているだけなのだ。
もちろん細かい点では違うが、努力をすれば報われるは甚だ誤解的発想だ。
僕は落合陽一やうごくちゃんが大好きでも1ミリもなりたくないので、自分に才能がないとか言い訳をほざく気が起きない。ああ!なりたくない!と思うからこそ、面白いと思えるのだ。徹底的な絶望こそが希望なんだよ。
メリットを得ることは、デミリットも感受している。
天才か凡夫かダメリーマンかエリートサラリーマンか、そんなことはどっちも等価である。
本当に大事なことは、現実を直視しているかしていないかなのだ。