本は生きている。生身の友達を本棚にしなさい。なぜ宮台真司は古田更一に批判されても平気で、古田更一は東浩紀に批判され続けても平気なのか?

 家の本棚は重たいが、

友達という

本棚は

走り去るー。

 是、常識也。

 所謂、友達は軽くて、摑めないからこそ尊いのである。

 ………。

 相対性理論をしっかり勉強しようと思ったならば、謙虚な気持ちになり、理系の友達をしっかり持ちなさいよ。一方でフランス文学を愉しむ為には、仏文科の友達を持ちなさいよ。

 学問を極めんと欲する事が、則ち、

 友愛に達する。

 たかだが勝敗なぞどうでもいい。

 受験勉強はあくまでプラグマティズム、手段にすぎない。

 受験勉強で勝ち過ぎる事こそ浅ましいし、

敗北だ。

 勝ちを価値だと思い込まされてはいけない。兵隊になるだけだぞ。自分だけが勝つと思わされて、内実、モノド、ライプニッツ曰くシステムの安住なる奴隷だとしたら?

 ノマドに

 なれー。

 お互いに潰し合わずに、理文の友達を持てば、自宅に冷めた本棚なぞいらないし、自意識過剰で依存することもないだろう。

 コミュニケーション能力を健やかに伸ばすことがコンテンツ力の増大に繋がる。

 コンテンツ力の増大を健やかに伸ばすことがコミュニケーション能力の増大に繋がる。

 本棚から本を漁るときに、SNSで知識を埋める時に、人間を無視するなよ。

 人と人はいつだってつながっているし、考えることは独りでは出来得ない。

 知っていると思うが、俺は天才だ。

 が、俺の提唱する個性経済学の言う通り、たくさんの天才との対話によって古田更一という天才は生まれたわけで、1か0かで若者潰しをしている場合ではないだろう。

 カオスフォレストを開始したのも、自らの脳内(心内?)における乱雑に拡大を遂げ得る本棚を公開したかったからだ。

 何故独占しないか?

 逆のギャグ。

 知識の独占、自我の煩悩に囚われていることがむしろ大学受験から先の人生における資質を失ってしまう。

 角度、

 強度、

 速度。

 友達は単なるフレンズじゃあない。友に達するか否かだ。

 だから、ただ好きだ!好きだ!とかイチャイチャするのが友愛じゃないし、極限的に言えば100年会わなくても、友は友だ。

 素朴にはSNSは浅く間違えている。

 俺が宮台真司や東浩紀をボロクソに具に詳しく批判したら、おそらく宮台真司はしっかり俺を見て、根源的には敵なのに、いや!だからこそ宮台真司をおっしゃっていない動画を宣伝してくれた、この割りに合わないリスク。そして東浩紀は炎上中にまた発作が始まり、本当に無抵抗だった俺をとばっちりで公開引用処刑し、信者たちで攻撃してきた。

 深いだろう?

 奥が。

 言葉だけを追うな。

 言葉の裏にある背後を貫徹すると、批判が救済を呼び、批判すら見ずに訳のわからぬ顛末だってあろうよ。

 ははは。

 これが批評的な高度すぎるコミュニケーションである。

 一見、宮台真司だけがいい話に見えるが、東浩紀だって負けていない。

 あんなにしょうもないからこそ、魅力的だ。

 敵わないや、小物すぎるのに、本は美しくて。

 友達は難しいし、仲良くなれるわけがないし、況してや、発展系として異性の恋人までくると更に難易度が増大する。

 友達こそが

 読書である。