無限に本を読む方法

 シンプルに偏りを

無くすしかない。

 例えば、マルクスはもう意味は無くなったように見えるけど、じゃあどうしてそんな理屈上は間違えていたマルクス主義が支持されたのか?を改めて現代では考えないといけない。

 理屈よりも

もっと深いところを

全神経で読まないとならない。

 ハイエクがどうしてリバタリアンの古典なのかも、マルクス主義の影響力があったからであって、当然のところ、権威を相対化するためであって、そのハイエク自体が権威になったら元も子もない。ひろゆきさんこそ理屈すぎて頭が悪くなっているのも、この相対化の罠に近く、哲学史上、ソフィストのジレンマというわけで何度も何度も繰り返されている事案である。

 もちろん本ばかり読んでいるのがいいわけでは、ない。

 お母さんに本ばっか読んでないで!とよく叱られたものだ。あまりに本を読み漁り、本代も馬鹿にならないから、俺はよく本の読みすぎで怒られていた。本ばかり読む暇あるのなら、ゲームをやれ!と。まあそんでゲームばかりやっても怒られるが。

 だが、

これも重要だ。

 他者から見たら、本なぞどうでもいいし、こんな母親に本の理屈が通じるはずがない。黙々と従ったり、逃げるのが最適かもしれないし、アドリブ力が求められて、こんな時にたくさんの本で学んだ知恵を分解し、再統合した上で話す必要が出てくる。

 早朝のホット•コーヒーの煙を啜りながら、デカルトの方法序説を読むときには、実の所、コーヒーの心地よさの方が主役かもしれない。私はよく歩くときに、読んだ本の内容を思い出して、暗記効率をよくしているのだが、あれ?忘れている?ということがコーヒーのせいでよくある。が、どうしてか嬉しい。それくらいデカルトに勝るぐらい愉快だと脳や身体だ思っているというわけだから、デカルトの本を読むのも面白いが、それに勝る喜びを発見できたというわけだ。

 一口に読書といっても、滝に打たれて読むのも面白いし、銭湯で内容を頭の中で30冊ほどスライドさせて、湯の温かさのテンポ、ノリに合わせて、30人に及ぶ作者たちに討論をさせるのも一興だろう。文字データだけをまず脳内で暗記して、それを理屈や歴史経験で合わせる作業はテキストから離れてやればよろしい。

 このように無限に本を読もうと思ったら、息を吸って吐くまで、生きてから死ぬまで、24時間どこでも寝ていても思考することが一番大事なエッセンスだと思われるのだ。

 だから、24時間読書する、環境利用法&脳内読書法をオススメする。