《知識の総量は、時代によって変化しない》村上春樹

 至極その通りだと思う。

 最近、YouTuberフィールドワークをやり続けて早くも半年は経過したが、問題は何も起きていないということが分かった。

 もっと正確に言えば、はじめから頭の悪い人々に発言権を手渡してしまい、マイノリティーの彼ら彼女らの実存が不安定なだけで、SNSで発言力のない単なるアカウントを持たないサラリーマンたちの方が改めてまともだということが再認識されてきた。

 コロナ自粛の文系統計データが読めない人々が多いというよりも、100%のリスクを避けたい不安神経症群を尊重しないといけないぐらい、彼ら彼女らの声がSNSとTVによって大きくなっただけじゃないか。

 まともなやつらは、自粛しようとしまいが、どっちだっていい。マスクに実質効果はないのは自明のことで、今の時代ほど文系が科学だの統計だの経済だの医療だの理系分野で極論を言い振る舞う時代はないと改めて異常な光景だ。

 が、元々こんなもんだったとも思う。

 再三繰り返すが、知識の総量は、変動しない。ただSNSでノイジーマイノリティの声が大きく見えるだけではないか?

 インターネットに完全に期待するのはやめた方がいい。

 単なる道具だし、この世界でインフルエンサーを目指すのは、前記述、個性経済学で申した通り、あまりに不毛すぎる。

 小生はYouTuber批評家だな、登録者10万人の有名人は相次いでたくさん見すぎたが、ほとんどがまぐれかつポルノだ。

 むしろチープな馬鹿馬鹿しさをチャラくやっている方には可能性は感じるが、まあ若い根っこの会だけで人気者、有名人になるのはおおよそ容易になりすぎた。が、ほとんどが相互では有名ではない。

 歴史的な価値観を尊重するゲンロンさんですら登録者は10000人前後しかいない。

 小生が思うに大事なことは、地道なまともなあまりにまともなことをただ細々と言いのけるしかないのではないか?

 ちょっと上の世代がインターネットバブルで過度な露悪的極度関心になり、ちょっと下の世代がSNS炎上によって偽善的無関心になっているのを見ると、

 まともか、まともじゃないか、

 世代うんぬんよりも、

 インターネットとリアルを峻別し、当たり前の自分から動いているかどうか、そのことだけが重要な気がしている。

 ゆっくり考えればいいし、何も気落ちすることではない。インターネットやSNSはあくまで手段であり、あなた自身ではないのだ。

 となると、むしろ自立するということは、自由ではないだろうか?

 登録者数を気にしなくていいし、登録者の声を無視していていい。

 これは何もワガママな個人主義とは違う。

 こうであった自分とこうでなかった自分をしっかりと見分けて、ボソボソと語り合う。場合によっては、友人すらいらない。ワガママな個人主義はひろゆき竹中平蔵よろしく結局のところワガママな言説で注目を集め、登録者と共依存している。さらば、友よ。まともに考えるということは、頼る部分は頼り、頼らない部分はまったく頼らないという悟りではないだろうか?

 SNSの声は表面的には聞き流す必要はあるが、あくまで聞き流すで構わない。そして、アッパー系コミュ障たちとそれに随伴するカリスマキャラたちは沈没船のように不安の絶野をたくさんの淋しさとともに向かっていくしかなくなる。

 さぁ、もう漕ぎ出そう。

 いわゆるまともすぎる王道へ。