なぜ数学ごときは遊戯としての受験勉強なのか?数学オリンピック男と駿台生はなぜ賢いか?

 理系こそ愚鈍です!

  いちいち怯えんなぁ〜!!!

 受験数学程度で優越に浸る頓馬理系も、その程度に抑圧される頓馬文系も、同じ穴の狢です。結局のところ、理系的センスのない頓馬ほど受験参考書程度で文系へマウンティングして、文系的センスのない頓馬ほどたかだか戦後民主主義、近代文学、フランス語、ドイツ語、文系の世界で閉じた世界観へ引きこもって、場合によっては、数三にすら興味がないのに、浅ましく答弁術、屁理屈なる法学的、討論術、言葉の自動機械のみ行使するのです。

 簡単に言いましょうか。

 コロナ自粛での科学者や医者ども、それに共依存する神経症患者たちの慌てぶりを見ていれば分かる話。数式を取り出す必要性すらありません。科学哲学の歴史的な教養がないということ。

 まあたかだか文系未満な算数程度の統計データで、コロナをしっかりと防ぎ切れるか?切れないのか?そんなことは100%は証明不可能です。もしくは、確率論的にコロナ被害者を100%絶対に防ぎ切れることなんて、無理な話。反証主義のポパー、そして、科学相対主義者トマス・クーン、方法論的虚無主義者ファイヤアーベント、科学史家なる村上陽一郎、どの科学哲学者でもいいよ。結局のところ、100%正しいデータがないこと、そして、数学の残酷性、妥協、数学の凄みとはむしろ客観的に恐ろしい結果が出るからこそ、科学なのである。

 あれ?おかしい話ですね?

  本当にお前らの頭には脳が入っていて、目がちゃんとついているの?

  オブセッション、抑圧的不安神経症のボケどもはもの凄く反省してください。少なくとも、あえて表面的な学歴というあえてすら出来ないヘタレなる頓馬です。

 科学こそ、100%正しい答えは出せないし、ましてや、FAXチャートのように、1、2日で100%なる結果が出るわけないのです。

 理系こそその不可能性に数式に忠実として気づくものであり、文系こそ歴史の教訓、まあペストでも科学史でもいいですが、論理による完全記述の不可能性に気づくのが当然の近代教育の最低教養です。エヴィデンスエヴィデンスと小賢しく抜かすのなら、こんなの当たり前の前提です。

 しかし、不安神経症のボケども、まあ理系と文系どっちもですが、ヘタレ理系科学者は、たかだか文系数学程度の統計データをさながらFAXチャートを毎日確認するかの如き、些細な細かい数式を毎日、神官の如き、口元をブルブルと震わせながら発し、算数コンプレックスのあるヘタレ文系は、理系が文系算数程度の統計データのあまりに細かすぎるデータの微細さに一喜一憂するという現状。

 経済が悪くなればなるほど、実質的な間接性、人殺しに勝ることをある意味でやっていることは忘れない方がいいぜ。

 反省してください。

 あえて学歴だったらまだ良かった。

 もはやそれ以前wwwwwwwwwwww.

 が、ここまで教養がなく、そして、理系も文系も両方どっちも頓馬だから不安神経症になるくらいなら、マトモに理系も文系もどっちも大学受験勉強ぐらいは遊戯としてテストうんぬん以前に、実践的に、プラグマティックにどっちも処理すればいい。

 たかだか数多いる高校生が毎年クリアするものです。

 結局のところ、数学も日本史的な暗記で定理は覚えられるし、現代文的なロジスティック、理屈で定理をショートで解くことは可能です。数学オリンピックで名前が載るレベルの親友の親友、つまり戦友は英作文がめちゃくちゃ出来て、学校の日誌によく日本語を使わず、英作文で皮肉を書いていました。こんな難しい英作文は英語から逃げた国語講師ぐらいで解けるのかい!?ってね。そんな彼もそんな彼の弟子だった僕の親友も政治経済に詳しく、中学1年性の僕にマルクスやケインズレベルの知識をつらつらと垂れていた。今の彼は大学数学を極めんと日夜頑張り、本当の数的なアカデミーできっと活躍することでしょう。

 強烈に学問が出来る人に共通しているのは、教養があること。

 理系も文系も所詮は、暗記と理屈の反復にすぎないのだ、と分かっていたこと。

 いちいちジャンルの壁にオブセッション、抑圧される必要はない。

 そして、悪い意味でテストの結果だけに依存するのなら、文系算数の統計をヘタレに消費する科学者キャラ宗教団体と文系ロマンジズムキャラと一緒。

 大体、受験参考書の数学をある程度ザックリと知れば、大学の数学の難しさ、いや、あまりの細かさ、不毛さに気づいて、根源的に役に立つのは、そんなに数学では多くないことはよく分かっている。数オリの彼らも言っていました。自分たちには才能がないのだと。

 まあそんな与太みたいなもんです、本来のところ、数学の遊戯性ってことで。

 数学は遊戯ですー。