《フィクションなんだよっ!》を視聴する君へ。作者からの真剣に空虚すぎる戯言。

「古田は天才すぎるんだよ…」

  小学校教員セクハラS先生や中学校教員極左教師W先生、様々たる教員から投げられたセリフだ。

 先生ー。先に生まれた者が言うのだから、確かにそうなのかもしれない。

 しかし、彼女は無意味だと自嘲するペットボトルキャップ集めのボランティアを辞めなかったし(泣きながらも辞めれなかったと言った方が正しい…)、彼はあまりに無意味に空虚すぎる、安倍晋三へ石を投げる極端な洗脳授業を展開し、後年に爆発した正義感で気が狂ってしまった哀れな生徒たちのケアなどまるでせずに(見殺しにして?!)、見捨てていった。申し訳ないけど、これが日本のリベラルの

現状です。

 一方で、常識人ぶったお利口さん!「何もしない自分たちは賢いんだ!」とヒヨコのように鳴き叫ぶ彼ら彼女らの

目!頭!肩!肘!

エルボーはブルブルに震えて、真剣な戯言使い、嬉しそうにイタい行動者の足を引っ張ることに快感を見出しているが、彼らはあまりに「鳴き=泣き」すぎる!

「そんなにバカな偽善者にわざわざ石を投げる必要はあるのかい?

本当に馬鹿だと分かっているのなら…」

 そうたかが哲学書を読めるだけのボクが批評じみたセリフを投げ捨てると、彼ら彼女らは充血した眼で、

「で、でも…、ボクたちは勝っているし!勝っているし!勝っているし!勝っているし!勝っているし!勝っているし!勝っているし!」

 と燦々と晴れ渡る太陽へ「鳴き=泣き」叫んでいた…。………。

勝っているリア充なら

一生冷笑すらせずに、

黙っていればいいのに。

その時、涼しい風が涼しい笑顔のボクと充血した彼ら彼女らの間で流れたことは言うまでもない。………。これがボクの素晴らしい新世界(辛世界?!)、青春なる大学でのプレストーリーである。っていうか、ハクスリーも読んだことがないから分からないよね。うん、題名の通りに素晴らしい新世界!ユートピアなんだー。

 そうだよ!もう!饗宴におけるプラトンのイデアの理想郷は実現しているのだ!

肉体を捨てよ!

現実を捨てよ!

性別を捨てよ!

 屁理屈な偽善と露悪の対立は単なる言葉のレトリック、無限の報酬に過ぎない。冷笑的な彼ら彼女らの居場所は、もはや大学なんぞにはない。素晴らしく気薄な関係性!良かったね〜!ソシャゲがあれば、もう文学で努力する必要はないのだ。

「本当の」友達や親友、恋人なんかいない。

 友達も親友すらいない。

 じゃあ坊やお嬢さんたちの居場所、内なる意志は何処に?

 プラトンが求めてやまなかったSNS、ソシャゲである。

プラトン

=ソシャゲ

=ツイッター。

 Twitterという青い鳥たちの戯言の王国。そこでは毎秒、無限回廊のように青い鳥のコスプレをした頭の悪いフリをする高2病たちが明日には忘れる無歴史的な大喜利、エロ画像、ネコの写真を投下し続ける。

 そこでは「意味」も「固有名」も剥奪されて、とにかく刹那的に仲良くなった気になれるユートピア。

 ここで「意味」のある会話なぞする必要はない。

 徹底的にネタツイとエロ画像、ネコの写真を投稿するだけで結構だ。

 そうすれば、みんながみんな褒めてくれるし、明日のネタにも困ることはないだろう。

 こうして全ては、ネタとエロ、ネコで友情も愛情も埋め尽くされた。

 イラストレーションというアーティストの奇妙な反抗ぐらいしか意味はもはやなく、彼ら彼女らはまだいいけれど、言説者、ようするに、美大生芸術家以外、ほとんどの文系理系というのはもはや中身のない形骸と言われても不思議なことではない。こうして、全ては、動画編集者やネタタイというメタをメタれるデザイナーやアーティストのものとなった。

 でも、やっぱり

 本当の熱さが

欲しい…。

 どうしてかって?それは、それはSNSという名前の自己矛盾に隠されている。いくら反知性主義なユートピアの青い鳥たち、人間をやめた動物化するポストモダンな猿たちとはいえ、中学英語ぐらいは獲得していることを期待させてくれ!SNS、ソーシャル・ネットワーキング、サーヴィス、社会的につながっていく手助け…。これで分かっただろう?彼ら彼女らは友情や恋愛、旅や冒険を冷笑しながらも、冷笑する者たち同士でずっとずっとはち切れそうな交尾を止めることができないということが…。冷笑家の王様が過剰な承認欲求でいいヤツすぎる限界はもうやめにしよう!

 そしてー、天才と評されてきたボクは、大学という「大きな学び」と令和になってもいまだに理想=建前を言い続けているズダボロな、中田敦彦のYouTuber大学で崩壊寸前な偽善=冷笑する門へ舞い戻ってきた。

 その上で、絶望した上で言いたいけれど、存在論的、郵便的が可能世界の読み替えをしたならば、

絶望を希望と読み替えるのが、

本当の批評だよね?

と言い返したいのは、

どうだろうか!?

 偽善的に頑張るのもイタいけれど、

冷笑家になるぐらいなら、

Fランでいいじゃん。

 シラケつつノり、ノりつつシラけること!いや、

浅田彰は

古田更一より

頭が悪い!

この前提から出発させてくれ!徹底的に人間であろうとすること!フィクションなんだよっ!どこまでもキャラの絶対主義の中で、絶望主義の中で無限の敗北の中から勝利を掴むこと!

敗北が気にならなくなるくらい、

敗北すること!

無限に無限の1回きりの人生を無限だと読み替えること!動物と超人の綱渡りの間で悩むのが、ニーチェ曰く人間だとしたら、ボク、

古田更一だけは

天才だ。

 この問いをどうにか解かせて欲しい。

 20年前の大天才だったジョブスへ向けて、今、20代の時期を必死でもがいて何者かになろうとしている君へ向けて、そして、20年後に読むであろうボクたちのまだ

生まれていない後輩たちへ向けて!

 真剣な戯言…。

全てはフィクション…?

そうだね。

 だったら、旅へ出ようと思う。

行く先は分からない。ただもう自分だけの手足でがむしゃらに道を切り開らき裂いていく

そんな自立のときなのだ。SNSにオレは頼らない!オレは天才だ!天才なんだ!ただオレよりはどこまでも天才であると称賛される人生を辞めたくないだけなんだ!それが熱いディストピアだろうと!冷たいユートピアであろうとも!ただオレはみんなより凄かっただけ。ヒリヒリと大地を燃やす灼熱の太陽はピカッと強すぎる…。そして、「道」は目が開けないほど、燃えている。熱く熱くキツすぎる小春日和の春。だが、この道はのんのんびよりのように生き生きしている始源の始まり、新入の4月だ。いや、制作に数々の失敗のドラマがあって、6月とか笑わせやがるぜぇ。だが、構わない、構わない話だ!ヘーゲル上等!キャラでいい!恥ずかしいキャラでいい!キャラでいいぜ!

アニメのキャラはカッコいい!

 そうだよ。みんなが大好きなアニメのキャラクターたちだって、あんな虚構のキャラクターたちだって、オレたちよりも可愛く、いや格好良く!生きるための1歩をコツコツと歩んでいる。

 昔、極左洗脳教師たちに大量生産される鳥たちを大量虐殺する工場の映像を見せられたことがある。どうだ!見てみろ!これがオレたちのユートピアだぁ!って彼らは息巻いていた。当然、ゲロを吐きまくる女子生徒も多発!

 だが、一番強かったのは、

 その死を大歓迎する鶏たちだ。

圧倒的プラグマティズムの発露、寿命の確定されたオーウェルの動物工場の主人公たちを見たまえ!彼らの眼眼はキツく、そしてまたキツく燃えていた!

 死なんてへっちゃらさ!

 そんなことよりこの今この瞬間をめっちゃめっちゃ真剣に生きるんだということ!

 たとえそれがツイッター(戯言)な末路だろうとも!

 逆転オセロニアは太宰治を超えた?!、いや…

Twitterは小説を超えた!!

 アウシュビッツ、強制収容場で毒ガス死を決定しされた夜と霧、ヴィクトール・E・フランクルの生き様は不朽の名作である。どうしてそんなにディストピアなのに生き生きしているの…?生かされているの…?!滑稽なことにボクたちはプラグマティズム、本当に!本当に!本当に!本当に!本当に!大事なことを忘れてしまったのではないだろうか?!

 好き好き大好き超愛している!

 そんな熱さで有名だった「三島由紀夫」賞作家、舞城王太郎のようなワクワクする凄さを!

 彼の影響をオマージュした天才ヤングジャンプ漫画家中村力斗先生がプレゼンツする君のことが大大大大好きな100人の彼女の主人公、愛城恋太郎が舞城王太郎の魂の意志を受け継いだという感動的発露は言うまでもない。

 なんのことはない。

一緒に熱く熱く踊ってしまいませんか?

と論理も感性もできる天才たちがもはや天才である証を投げ捨てて、キミと同じ等身大で提示しているのだ。それが、文学というロラン・バルトの放つエクリチュールの叫びである。先程から数々の不朽の文学をパラフレーズし続けているのも、文学という者がSNSという冷たい孤独のつながりではないことを示す心の試みであったことを提示するためだったのである。

 理系には未来しかなく、文系には過去のバトンがある。

 何より凡人だったボクは才能の集まった進学校で、絶望的な希望をそこで天才な彼ら彼女らから教えてもらった。

 ボクが敵わなかった理系の天才たちこそ、数学オリンピックまでこなし、未来のノーベル数学賞を狙う感覚の狂った感情論者たちだったし、ボクの敵わなかった文系の天才たちこそ、若干、10代の頃から今や有名声優として数々のアニメで主演をこなす彼女、文系なのに(文系だからこそ)微積分をやってセンター受験をこなすマルクス主義を上手く後継した御人だった。

 未来にワクワクする理系と過去の意地を受け継ぐ文系の誇り。

 じゃあ彼ら彼女らはいつでも勝っていたのだろうか?

 否。そんなことはない。

彼ら彼女らは躓き嘆き、半分以上は

本当の意味で死んだ。

 だが、だからこそ、立ち上がった者たちは…、おぉ…、美しい…。

大半が案の定、国語や社会科、英語ができず、あえなく浪人し、あの有名声優に至っては、当時はやや太っていたし、普通だったのだ。

 しかし、

彼ら彼女らは本当に負けを

避けたいと本当に思っていたのだろうか?

 小器用なボクは後から会った静くんたちのようなものを彼ら彼女らから感じなかった。

 勝ったか負けたか、そんなことが本当に支配的ルールなのかの疑問は、強烈な天才群の遊戯としての受験勉強から学んだのかもしれない。

 だから、

 ナニも冷笑的に論破をするのなら、ボクのかつての戦友のように

東大理三を受けたまえ!

もしくは人気理三YouTuberベテランちのようにたかだか理三如きへ受かるべきだろう!

 もしくは、高田ふーみんのようにたかだか京大如きを中退する地獄を開始し、たかだか東大受験如きという地獄で脂マシマシにんにくマシマシのラーメン大好き小池さんをするべきだろう。

 天才であるオレや高田ふーみん、そして、理三は落ちたけど、ほぼ同義の医学部へ進学し、数学オリンピックで名を世界中に轟かせたかつての戦友より、世界中の大半のキミたちはカスでクズで愚鈍でノロマだ。

 勝ったか、負けたか

 そんなくだらないことはどうでもいい。とにかく独りの己として張ったか、張れなかったか、そこだけが重要なんだよ。ニーチェ=ヘーゲルの言う通り、勝ったか負けたか、そんな二元論で拘泥している時点で、キミはその先の!SNSの先の!先の!先の!依存するカリスマの先の!先の!先の!

 キミ自身の泥臭い手足の

生きている助走は垣間見ることができない。

 勝ったか、負けたか、1500年前の論理学者アレストテレスですら看破した、そんな幼稚な浅すぎる二元論は小学生で本当は卒業しなければならない。

 大事なことは、セカイのあり方を文系的な浅い論理で説明することではなくて、

 キミがどう感じたかというアメリカ哲学の真髄、

プラグマティズムである。

 もう、クソッタレな茶番は終わりにしよう。中身のないSNSと形骸化した大学という制度へ依存しているクセに、奇妙なる現実主義者で冷笑する本当にクソッタレな中二病は終わりにしよう。

 世界は存在しないー。

 ユニコーンだって存在する。革命的な哲学界のロックスター、MG、通称名マルクス・ガブリエルが唄う新実在論(あまりにお馬鹿!?そりゃそうだ!僕自体もそんなに好きじゃあない!)とは、そういうことなのである。

 そうだ。

 ‘そう、

世界は、

存在しないー。

 全ては、正しくも見えるし、ウソにも見える。決まりきった世界、セカイ系は、存在しない。フィクションだって、ノンフィクションだし、ノンフィクションだって、フィクションにも見える。それは過激なことでは、ない。むしろ静寂ー。繊細に物事をゆっくりと見るようにー。

 見えないものが見えるようにー。おれには、直感的にそれが見えるようになったかもしれない。もちろん、それが正しいのか分からないけど、自分の感性をおれは信じたいー。’『フィクションなんだよ!』

 ………。

 いささか驚いたろうか?これは我々カオスフォレストが現在制作中のシナリオノベル、未来に生まれるであろう原作の引用という反則じみた未来からの引用、ラストステージあたりの引用である。

 だが、天才かつ作者なんだから、これくらいの逸脱は許してくれ!なんたって、世界は存在しないー。だからね!

 そして、ズタボロのキツすぎる現実と散々に闘い尽くした天才のボクは、

かつての!いや!今この駄文を描いている絵の巧くない美術専攻の、凡人であるキミへ告げる。

 もはや、誰か書いている文章なのか、それとも、ダメでダメなボクはキミ、古田更一に描かされていたのだろうか?

3、再び、ダメなボクへ、いや、

真剣な戯言を紡ぐ者たちへ。

 

 正直的事実をここでカミングアウトするが、

 SNSを切断したリアルのボクは、ボクはぁ!

 哲学書なんて

大嫌いなんだぁ!!!

 そんなくだらないことはどうでもいい!世界がどうとかどうでもいい!

ボク!ボク!ボク!

 本当の本当の本当にボクはカオスフォレストのメンバーの命運もマジでどうでもいいし、家族もどうでもいいし、視聴者なんてマジでマジでどうでもいい!

 本当の本当の本当にどうでもいいんです! 

 ボク!ボク!ボク!

 そうだよ、

天才はボクだけに許されている。

 ダヴィンチも宮台真司も浅田彰だって、どうでもいいんだ!

過去転生、未来永劫、超超超どうでもいい!

 圧倒的な独我論!

 本当に本当に動物を極めるのなら、むしろどうやって、腐ったセカイから闘争するかを必死で必死で考えないといけない!

 世界の真理を批評する哲学という普遍命題なのいらない!

 哲学書なんて燃やしてしまえ!

おおそうじゃ…、燃やしてしまえ!燃えろ!燃えろ!共有をする情報なぞこの世から消えてしまえ!

友達も!家族も!恋人も!SNSも!

なにもかもが…、

いらな〜い〜!!!

 友達は最悪!家族も最悪!恋人も最悪!SNSも最悪!

全てがいらない!

全てと仲良くする必要はない!

冷笑すらも冷笑したいし

絶望することにも絶望している。

だってだって、本なんて、ボクみたいにカッコよくないし、美少女みたいにカワいくもないから!

ああ、懐かしいな…。朝読と評し、朝に本を読みましょうね〜という愚鈍な極左洗脳教員たちには、ラノベの本体は、

イラストと美少女である!

と宣言しておこう。

 そう。朝読は、朝の毒なんだ。

奇跡にも、今回の

壮大な50万円以上もカネが吹っ飛ぶ

いささか素人にしては派手なアニメーション企画も、シナリオライターのボクよりもたくさんのフォロワーを獲得している人気イラストレーターのあの方方が今作の主役であることは言うまでもないだろう。

 真剣なツイッター、もはや文学な文系なぞ、美大生や絵師の養分なのだから。

 そうやって、冷笑して冷笑して冷笑して、身勝手なボクやキミらは、本当にどうしようもない。

 そうだろう?再び、現実の暗〜いユートピア=ディストピアを話させて終わりにさせてくれ。

 このセカイは本当に真剣なツイッター。戯言!戯言!本当に戯言!

 文学者もボクのような野郎も本当はいらない。

ただ性的に可愛い子、

カッコいい子が描いていればそれでいい。

 これこそ、王道のそれである。やれやれ…。この長すぎて長すぎた文章は本当に無意味な徒労だったかもしれない…。

 世界はきっと

こんなボクがいたところで、

ナニも変わるはずはないのさ。

 それが、SNSもない等身大の肥大化した自己のない空虚なボクのリアリティーであることは言うまでもない。

 きっときっと99.9999999999999999999999…%失敗するだろうし、仮に華麗に成功したところで、読者はそして視聴者は感動したところで、

ポッポッとすぐ忘れて、次なるセカイへ依存を展開するだろう。

 きっときっときっと人生は無意味だ。徒労だ。

 きっときっときっとボクの人生は絶対に無意味だ。

 だけど、この文章の叫びを今まで見てくれていたキミたちだけには絶対に覚えていてほしい!

 心の片隅だけでもいいんだからっ!!!

 ボクは…最後まで…

真剣だったよね…?

 ダレよりも、ボクなんかよりもずっとずっと才能に恵まれた東浩紀や落合陽一、宮台真司、そして、浅田彰ー。

 彼らの何十倍も何百倍もダメなボクはダメなボクだけが、

真剣だったよね…?

 いいよ!もう!いいんだ!キミたちとも絶好の絶交のチャンスだ!

 この灯火のようなストーリーをセカイへSNSというジャングルへぶつけて、ボクは粉々に玉砕したい。才能のないボクのラスト•ステージはまさにSNS、YouTuberを真剣にやり通すというあまりに喜劇な悲劇こそふさわしい。

 だが…、きっと真剣だったよね?!

 そのことだけが、ボクには超超重要だ。

 というわけで、見て頂戴!

 文学というカビ腐く終わっているお話しを体感して欲しい。

ああ!心の奥底から叫ばせて欲しい!

フィクションなんだよっ!

 希望を加速させよー。