東浩紀や宇野常寛、落合陽一のSNS悲観論は前提が間違えていると思うわけ。(気持ちは分かるが…)

楽に考えろ!

もっとユルく

ダラダラしてればいいぜ。

難しく考える嘘こそ危険だぜ!

 これ、もう、頭良く、SNSって深く考えても埒が明かないと思うんですよね。

 批評系YouTuberをやって、

1000人以上とひたすら

長文コメント返答して

分かった結論。

 頭の良い人が頭良く考えることが、認識バイアスというか、そもそもの前提を間違えていると思うんだな。

 SNSは炎上やヘイトや自粛やらでロクでもないという命題。

 かなーり疑問がつく。いや、オイラもよくやられているけどね…。ただ問題提起がそもそも間違えていることは指摘させていただきたい。

 批評というか頭のいい人はよくSNSはあかんって言うけど、例えば、東浩紀さんや宇野常寛、落合陽一さん、宮台真司さん、堀江貴文などなどなど。

 でも、そもそも論として、SNSでYouTuberをやって分かったのは、彼らSNSの中のノイジー•マイノリティーは悪意があって炎上を起こしたり粘着をしてくるんじゃなくて、

 そもそもとして、

 文章が読めないし、

心が弱すぎるという前提がそもそも修復不可能なレベルだったのだ。

 1、まず文章が読めない

 最近、俺が遊戯としての受験勉強を提唱しているのも、他人へ善悪を振り回すか以前に、読解能力や表現能力が著しく低すぎる方々をよく見受けられた。なので、彼らに個人的にはイライラさせられているが、批評や論理レベルでは複雑な感情で、むしろカオスフォレストの信者たちの方が反転して、邪魔なアンチになったり、勝手なストーリーをでっち上げて、こっちへ依存してきて、そもそもが彼らの妄想のストーリーなのに、後から裏切られた!と逆ギレする事案が度々発生していた。

ケーキを切れない非行少年たちあるいはスノッブ「カオスフォレストは神!哲学の王!」

CF「いやいや…。そもそも相対化の王様みたいなもんだし、信者ビジネスに否定的よ」

ケーキ&スノッブ「キィ〜!なんだ!哲学を愚劣するのか!貴様は!信者的に優しくしないのか!」

CF「え…、初めからそんなこと言ってないし、ルールで書いてるやん、うっわ!重箱の筒を叩くように、メインのルールは全く読んでいないし…」

 ぶっちゃけ、マシなのは、実の所、ケーキを切れない系の方の、単純なIQが低すぎるから、文章が読めないタイプ。彼らは単純な読解能力や数的処理が低いから、読めないのであって、どうしようもないことに変わりないが、彼らには、受験勉強をやろう!や思想徒としてのグルメ、じゃがいもを食べる時にどう頭を使うのか?など基礎トレーニングをまず話しておくしかないのだという結論に落ち着いた。根は素直だから、ちゃんと基礎を言っておけば、彼らは黙々とそこへトライするのだ。いい意味で体育会系の方が素直な分、偏差値30クラスでも地道には伸ばしていくことが可能だ。

 が、本当に厄介なのは、高学歴予備軍?、そんなキャラクターの、哲学用語を多弁しまくるスノッブだ。

 みんながみんなじゃないのは承知だが、彼らは自分にも他人にも嘘をつくから、始末が悪い。

 ケーキを切れない系は、単なる読解能力が低いだけでダルいが、素直に考えたいことが分かるが、後者のスノッブ系は、質問や要求水準が骨董無形で矛盾しているので、彼らの場合は、浅田彰や宮台真司の過剰すぎる明晰すぎる哲学問題をぶつけてやるか、

放置するしかない。

 そもそも、彼ら彼女らは頭が良いから哲学用語を振り回すのではなくて、心があまりに弱すぎて、自己正当化のために、哲学や文学用語を振り回すので、言葉は美しく激しいが、内実のところ、空虚で生産性もない。

 そして、彼ら彼女らが悪質なのは、この綺麗な島宇宙を守りたいけど、本人たちもこのままではまずいと思っていて、「楽したいんですけど、この楽するための哲学文学の洋服を壊さない状態のままで、どうにか、最強の哲学徒になりたいんですけど、どうすれば良いですか?」って聞いてくる。

 色々のパターンがあるが、例えば…、

【あなたの感想ですよね?パターン】

「マルクス読まないヤツってバカじゃね?価値相対論の根源が分かっていない」

「それはそうだけど、それだけではやっていけないから、浅間山荘事件やソ連の崩壊があったわけでしょう。マルクスは教養としては必須だけど、ベタにやったら危険なことは承知でしょう」

「お前は保守か!マルクスは〜」

「いやいや…。保守もリベラルもクソもない。ここは基礎常識のラインでしょう。歴史修正主義ですか?」

「だ、だから!マルクスは価値相対論を言っているわけだから、資本主義の現代は矛盾しているわけじゃん!」

「それはそうかもしれないが、そんな原理を振りかざしてどうするんですか?そして、そんな原理をいきなり振り回して説得できるとお思いなのでしょうか?」

あくまでマルクスは一つの例だが、これを保守でもポストモダンでも数々当てはめていけば、何度もこのパターンに遭遇した。そもそもが歴史修正主義、歴史的に起こった教科書に書かれているレベルのエヴィデンスですら無視しているのだから、怒りを通りこして、呆れるしかない笑。そもそもこのレベルばかりだから、ぶっちゃけ左翼だろうと右翼だろうとハンバーガー店員だろうと、なんでもいい。とにかく歴史修正がなく、基礎的な議論ができるか否かがイデオロギーよりも重要になってくる。

 が、彼らはケーキを切れない非行少年パターンと異なり、心が弱くて自己正当化、そして、自己催眠化状態にあって、もはや自分の行動に正当な理由づけをでっち上げているため、もはや嘘を嘘と断定することが不可能なのだ。なぜなら、そもそもの動機づけが、弱い自分を強く見せたいという歪んだ、そもそもが間違えているところから出発しているため、自分が間違えていることをなおさら直視することはでき得ない。

 だが、彼らが更にタチが悪いのは、薄々はそのことに気づいているくせに、この自己矛盾の状態のまま、どう本当に考えることだったり、本当の幸せを獲得できるかを聞いてくる。

 が、不可能だ。

 それは都合のいい相対主義であって、大学を批判しながらも、大学の学士が欲しいんですよと悪い意味で都合のいい部分を言っているに過ぎない。

 でも、彼ら彼女らが本当に厄介なのは、幾重にも塗り固められたフィクションだらけで、もはや本人ですらどこまでかフィクションでどこまでがノンフィクションか分からなくなっていき、キメラの怪獣のように、支離滅裂になっているのだが、本人ですら分からなくなっているし、ここまでくると、いよいよ、添削批評するこっちもかなり限界で、どこから修復するのか考えていくと、たかだかYouTubeライブの3時間ぐらいでは不可能だ。少なく見積もっても、5年はかかると思う。

 どこかで言ったが、今問題なのは、内向的なうつ病の被害者よりも、

 外向的な躁鬱病の

加害者の方がむしろ可哀想なのだ。

 いじめられっ子よりもいじめっ子の方が深刻に可哀想になっている。

 なぜなら、うつ病の被害者は、キツいけど、素直に自分が弱かったり、傷ついたことをしっかりと言葉にする力、生命力を案外持っている。これなら、素直だから治すのは大変でも、ゴールがハッキリしている。それに本人も被害者になるのは勘弁だと思っているから、キツくてもどうにか変わろうと思っている。

 が、後者のアッパー系コミュ障は、コミュ障だが、他人へ無作為に加害をすることで、承認を得たり、ポジションを獲得するという厄介な成功体験を噛み締めている。だから、最終的には孤立するし、周りから呆れられていて、本人も薄々とは何かがおかしいのだとは思っているのだが、「悪いのはバカな他人だ!」という前提があるし、権力志向が高いため、どうしても捨てることができない。そして、いつしか嘘が誠になって、初めはジャーゴンの洋服で着ていた学歴や哲学キャラ、文学キャラ、政治キャラを本当に興味があるし、実力があるのだ、と思い込むようになって、自分で自分を忘却させ、世界の在り方自体を変革するキメラじみた、虚構と現実の境が無くなった、言葉の空洞化が発生する。

 後者は本当に、もう無理だ。

 本当のことを何も話してくれないのに、本当なんだよと支離滅裂なことを言うからだ。大変なのは、ひろゆき的な論破をしたところで、こっちが完全に書いてもいない話をでっち上げて、こっちを論破し返してくるということを複数回平気でやってくる。例えば、語っていないAという話題を認めているという話を宣伝したりなど。

 諦めるほかはないが、彼ら彼女らが厄介すぎるのは、

表面やSNSアカウントだと、

彼ら彼女らは頭が良く見えるのだ!

 だが、YouTubeライブで話すとボロが出てくる。

 意外にもTwitter界隈の大半のインテリは、ファッションに過ぎないことがこれらで判明した(なお全員とは言っていない)。

2、心が弱い

 結局のところ、声の大きい強者ぶる奴らこそ、心が弱いから、他人をうつ病へさせるのだ。というわけで、ぶっちゃけた話、心が弱い強者ぶった嘘こそが、そして彼ら彼女らが上へいけるという社会構造自体こそが、問題だったのである。

 だが、別にぶっちゃけこんなことはありふれた話であって、怒ってもしょうがないんじゃないか、こんな奴らの暴走をわざわざSNSの暴走とか抜かしても、ちょっと論点がズレているように思う。

 文章が読めない人が多すぎるのも心が弱い加害者が多すぎるのも、1も2も、どっちも問題ちゃー問題だが、大衆はやっぱり大衆だよねっていう普遍的な問題じゃないかって思っちゃう。わざわざ重大な問題だと、わざわざ哲学用語を振り回したり社会学用語を振り回すよりも芸術用語をビジネス用語を振り回すよりも、

 当たり前の作法と当たり前の幸せが大事じゃね?

フツーに俺たちは普通に真っ当に生きていれば良くね? 

彼ら彼女らはしょうもないし邪魔だが、根幹的には一生負けているし、彼ら彼女ら自身が不満足を抱えているから、カオスフォレストへ相談しに来たり、SNSで悩んだツイートを強者ぶっているのに関わらず、呟いちゃっている。結局のところ、因果応報。こっちから何か報復するまでもなくて、そもそもが卑怯な連中はその程度ということなのである。

 だから、カッカッと彼ら彼女らへ怒って、うつ病になる東浩紀さんのテンションにはちょっとノることができない。気持ちは分かるけど、むしろ彼ら彼女らは真面目な問題だと取り上げられた〜!と大喜びするから、東浩紀さんたちの意識高すぎる反SNS的考えこそ、彼ら彼女らの自意識、強者アピールを助長させちゃっている気がしちゃう。

 ユルく考えよう。

 しょうもない問題にはしょうもなく考えていればいい。

 もっとユルく生きていい!

【追記】

不謹慎系YouTuber坂口章は好きでもないけど、彼へ本気で怒るのは馬鹿馬鹿しいと思うし、

SNSの本質を表したヤツだと思う。

まあ動画すぐ消えるぐらいやる気ないヤツなんだけど、不謹慎野郎のくせにすげーこと言ってた。

「正直、亡くなる方に会ったこともないし、善悪以前にどうでもいいんだよな。

それが普通のことだと思うんだけどなぁ〜…」

とか時折、素になって、とんでもんないことを抜かすから、笑ってしまった。

坂口章は正直どうしようもないヤツなのは自明だが、厳密に言えば、学校のクラスに一人はいる悪ガキであって、本気で怒って不謹慎をしているというよりも、ただすぐに釣れる奴らがたくさんいるから、それを利用する形でやっているだけなのだ。が、そもそもがどうしようもないヤツなので、どうしようもないことをどうしようもないよねと見抜く能力だけは鋭い。というより、目が曇っていない。

 彼自体は一ミリも会いたくないし、好きでもないのだが、坂口章という人間の素直な問いかけは、SNS悲観論の過大評価をよく表していると思う。