シリアスな保守批評家、時田ロルフの批評こそ、ファンタジーだ。
真面目すぎる彼の肩や目線、息吹を感じながら、僕たちは読み込まないとならないが、一方で、あまりに真面目すぎて、どこからか余裕というか笑いが込み上げてくる。
案外、時田ロルフの天才性というのは、西部邁や藤井聡の文体というのは表面にすぎず、実のところ、彼が愛するクレヨンしんちゃんやジャルジャルといったギャグにこそ真価があるのかもしれない。
時田ロルフという人物が書く内容は、あまりに独創的なのだ。
ザックリと批評を分類すると、現代は、真面目か不真面目、あまりに政治的かあまりに脱政治的か、極端に言えば、百田尚樹的な極端な右翼か政治を完全に無視した古市憲寿的な左翼ぐらいしかない。
極端な右翼と極端な左翼しかいず、大きく言えば、どっちもコップの中の嵐、一見対立しているようで、どっちらも自己主張を主観的に過度に要求するミクロすぎる点においては、同様なのかもしれない。
が、時田ロルフの文章は読んでいて、目眩がする…。
え…?誰この人…?
中野剛志なの?それとも東浩紀なの?え…古市…?
全然違うー。
とにかく時田ロルフは時田ロルフなのである。
ハッキリと言えば、今の思想的なブームだとか世論に(一ミリも!)染まっていないから、時田ロルフは時田ロルフだよねと言うしかなくなる。もうちょっと読みやすい方にしてもらいたいものだが、根源的に読みづらいのは当然で、なぜなら、明治憲法を引用しながらも、海外の論者を使ったりと、保守業界ですらこんな広範囲、脈絡のない幅の語彙は読めんのか!?っって思っちゃう。彼の内容を読めば、そこに共通性を発見できるが、従来の学説を真顔で覆す、真顔でぶりぶり〜!っと尻ダンスをする真顔なしんのすけ、成熟したしんのすけがそこにいる。
民主主義とはなんぞや!?
カオスフォレスト路収録の戦前民主主義論は、ロルフ評論の最高傑作の到達点の1つだろう。民主主義とはなんぞや!?こんな当たり前のテーマをひっくり返す!?そこで、身も蓋もないが、戦前を用意した明治時代からあったんだよと逐一エヴィデンスでコツコツ証明していき、
戦前にこそ、民主主義があったんだ!という驚くべき事実、解釈の可能性を提示する。これだよ!これ。これこそ、批評ではなかったか!?読む前と読んだ後で変わるコペルニクス的転回の駒廻り!踊るピンクドラム、踊らされるな!時田ロルフのように自ら踊れ!
とんでもない指摘である。
彼の論文を読んだ後で、読者たちは、いや彼の滔滔としたトークを聞いた者たちは、異物の遺物、異国に巻き込まれた気持ちになるはずだ。どっちがおかしいのか?いや、歴史をしっかりと読み込めない僕たちがおかしいのか…!?
彼は日本版フーコーだ。日本版バルト、いや、日本版トッドだ。
フランス的歴史知識人かのように、日本史の可能性の中心を提示する。
東浩紀や藤井聡、中野剛志のタームで彼の内容を切ることができない。いや、待てよ。そもそもなぜ彼らの言葉で切らないとならないのか?
もしかすると、これは…。
次のパラダイムを提示する新たな言説ではないだろうか?
柄谷行人に近いものを感じる。教科書になっていくような…。
とにかく彼の疾走感ドライヴに僕たちは注目しないとならない。
次はどんな新しい過去を提示してくれるのか?
次はどんな時田ロルフが爆発するのだろうか!?
天才とは、常にスタンダードに古く、そして、だからこそ登場の一瞬は新しいのである。
右翼でも左翼でもなんでもない。
時田ロルフは時田ロルフなのだ!