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現状分析止まりで永遠に止まってしまうという中途半端さ。
躁鬱的美少女には救いを感じるけど、鬱的美少女には救いを感じない。
って何の話しだ?これ。
哲学系でも、仲間のはずなのに、仲間じゃないんだよなぁ〜っていっつもため息が出る。
ツイッターっていうブルーバード、青い小鳥の戯言じみた村を探索していると、同業的なものなのか、よく、フォロワーのいいねやRTによって、二次元美少女アイコンの加速主義者(暗いことばかり言っている人たち)たちのネタツイじみているけど、深刻すぎるブラックジョークがよく回ってくる(個人的にマトモな人々、健全な加速主義者はフォローしているので、対象外です。素直にブラックジュークしていると思うから。あくまでインフルエンサーたちの話しです)。
問題なのは、フォロワーが10000人以上規模で難解な哲学ジャーゴンを交えながら、就活や社会システムを批判する人々のことだ。
本来は、二次元アイコンだし、哲学用語を話すんだから、仲間のような気もするが、中々に賛同できる加速主義者と、全く賛同できない加速主義者の2つに分かれているように思われる。
単純に、社会に問題があることは分かるが、それをウダウダと毎年言っていて、
この人たちは解決する気あんのかぁ〜…って思うのかもしれない…。
「健全な」加速主義者たち(ツイッタールサンチマン美少女アイコンたち)は、ネタツイに振り切っている分、社会のダメさと自分のダメさを両方断罪する分、スッキリといい意味で中身のないツイートと中身のあるツイートが分かりやすい印象。だから、あっ…ネタツイだね!あっ…マジレスだね!ってハッキリと分かりやすくて、勉強になる。

が、YouTubeライブもそうだけど、ウダウダと中途半端にネタツイだし中途半端にマジレスな感じで、分かった気になったしたり顔のツイートばかりしていて、一見コスパいいように見えるけど、
この人たち、毎年、
似たこと呟いているよね…?
むしろコスパ悪くねぇーか…?
って冷静に思ってしまう。

現状分析止まりで永遠に止まってしまうという中途半端さ。
一見すると安易に答えをくれるツイートは役に立つように見えちゃうけど、ただ共感と分かりやすさばかり狙っていて、一生ロジックの繰り返しで、僕なんかは超飽きている(大体、言説は難しいけど、煙に巻きすぎて、悪い意味で吉本吉本しちゃってる…)。僕は本当に役に立つものにしか関心がないから、毎年毎年愚痴愚痴と言っているインフルエンサーのしたり顔悟りツイートが毎度流れてくると、ああ、本当にどうでもいいよなぁ…っていう気持ちが展開される。
もちろん哲学がよくないと言っているわけでもなくて、スノッブを批判しているわけでもないし、社会批判自体は正しいことを言っていると思うんだけど、現状がひどいよねって話しは分かるんだけど、そこでうんうん…って納得したところでそんな基礎的なことは皆分かっているので、もうそんなことより代案の話しはしていきましょうよって思ってしまう。
もちろん健全な加速主義者っていうのもいて、確かに悲しい雰囲気は同じなんだけど、何だろうな…。
どこかで自分を笑える余裕のある
ユーモアっていうのが
背中越しから見える
ツイートばっかなんだよね。

この違いってけっこう重要で、イェイ!もうどうにでもなれい〜!っていうポジティブな悲しさと
いや世の中はダメですよね…っていうネガティブな悲しさって似ているようで全然違うと思う。
悲しいし、社会批判がどっちもあるちゃーあるんだけど、ミイラ取りがミイラというか、バカバカしい状況をバカバカしいと批判する以上は、どこかにバカバカしい状態を笑っちゃう要素だって入ってくるのが当然だと思うのよね。
ハッキリと要約すると、結局、どっちも病んでいるんだと思うけど、その病みを抱えた上でできる限り治っていくには、前者だと思うんだよね。後者を徹底的にやるのなら、ツイッターはやめてブログか三次元的でやらないとならない。後者の問題点はリアルを追求するフリをしつつ、結局のところ、二次元美少女アイコンでツイートしちゃっているってことだと思う。
前者の方までくると、もはや、キッシュなツイッターのセカイなんだから、どうせネタツイのような強度しかここには存在しないのだから、徹底的にネタツイをやろうや!っていうニューアカ的なノリを感じちゃう。
もちろん皆が皆そうではないし、僕だってどっちもの要素があるのが健全なもので完全に病んでいない人間なんて大抵いなくて、だから、バランスの問題だよねってことだと思う。
だけど、インフルエンサーまでくると、いささか病気だし、過大評価っていうものを大きく感じてしまう。
が、YouTubeと違い、Twitterは「言語」っていう一見高尚めいたロジックで武装されているから、論破しようにも、しづらいところがある。
加速するのなら素直にやっていてもらいたいわけだしってだけなのかもしれない。
(追記)
受験浪人ネタツイアカもぶっちゃけ似たもんだから、結局のところ、哲学用語やビジネス用語でやるのか、数学用語、受験用語を使うのかっていう表面的な違いだけに過ぎないように感じられる。
ちなみに暗黒啓蒙や加速主義は、落合陽一やマルクスガブリエルのネガにすぎなくて、彼らがポスト・モダン哲学をファッションとして振り回す感じとかは乗れないけど、どこかで同時代性はかなり感じるよなぁって思いながらも、根幹では乗れねーよなぁって思う次第です。だって、疲れそうやん!