社会的なキツさとどう距離を描くか?

 偶然だが、社会的に不遇な目にあっている人が店内にいた。

 大声を叫び、バックをバンバンと落とし、不平不満をベラベラ話す。

 本人がダメなのは自明だが、社会がただダメやんと言うのもまた難しい。

 が、同時に、自業自得だからこそ可哀相だとも思った。

 雰囲気から察するに、ケーキを切れない子供たちよろしく認知能力、情報処理能力が著しく低いのだ。ここまでひどいパターンは見ないが、YouTuberをやっていると、認知能力や情報処理能力、空間把握能力が純粋に欠陥しすぎていて、こんな心身こそが問題であり、東浩紀や哲学書の問題以前じゃねーかって身も蓋もなく思う。

 SNSの問題は哲学や文学のなさというよりも、単に認知能力が低い人々もたくさんいて、

日本語自体がしっかり分からない人々がたくさんいるんだよってことだと思う。

 だから、才能がなくてこうなったかもしれないし、環境がなくてこうなったかもしれない。

 が、そこに甘えた本人も悪いかもしれない。

 ようするに、本人が悪いことは自明だが、環境要因が完全に無視してよいのか?とは思われる。

 だから、強く無視したり、強く距離を空けることが必要だと思う。

 距離を置くのは自明だが、距離の置き方は真剣に考えたほうがいい。

 うむむ。難しい問題だよなぁ…。

 が、難しい問題を難しい問題だよねとハッキリと受け止める作業って案外みんな軽視するのよね。

 だから、難しいことを難しくわざわざ話してみた。

 答え?

 

 ないよ。

 でも、だからこそ、むむむ〜って役に立つことだと思うんだよなぁ…。

 難しいことを難しいって言えるってすごいと思うんだ。