どうして歌い手のイラストは色彩豊かなのさ…?

 いやぁ意外と脳が焼かれる感じに面白かった残業が。

 カオスフォレストは現在、(マジで本人自称…)の都合のいい逃走により、シナリオアニメ制作開始途端に突然中止になるという本当に最低な事態になっているわけだが、本当に大変なので、一応リーダーだし美術批評に詳しくて平均は絵心のある私が主にイラストレーター探しを行うことになった。

 本当に光る才能は滅多に見つからなくて、図々しい話しだが、1日1000枚以上、1日2ヶ月分以上のイラストを膨大に見るハメになり、現在、頭の中がイラストだらけでクラクラし苦しいぐらいにエキサイティングというわけだ。本を読む時間も奪われて、マトモなイラストを探しまくる日々だ。

  ああ!そして!本当に!「上手い」絵が見つからない!

  疲れるぐらいにムワッとくる膨大な数、数、数!

 なんと1000万くらいの絵があるらしくて、ぶっちゃけ東大よりも競争の激しいのに、ほとんどが陽の目に当たらないとなると改めて超恐ろしく過酷な世界だということが分かる。まあ本人たちが楽しいから全然大丈夫かもしれないけど、絵を描くときに邪推な気持ち、マーケティングの方が強い私としてはこんなに素直に描けないというのが実情だ。

 んで、完璧に上手い絵が中々見つからない!

 っていう意外な事実に気づかされた(もちろんそのレベルは神級で恐れ多いが)。

 これは、かなり細かく言うと、デッサン=オタク的なイラストは意外とたくさん見つかるのだ。

 簡単に説明すると、ベタなアニメオタクの作画主義はちょっと疑わしいということだ。

 オタクたちが言う作画がいいイラストはぶっちゃけ努力すれば結構できますよね、そして、すごいし個人的には好きだけど、かなり競争が意外と激しくて、作家性がないっスよねっていうことになる。

 技巧的にプロモーションが美しい美少女、イケメンの顔の描き方は確かに良いちゃ良いんだけど、イラストが純粋に好きじゃないカオスフォレストメンバーたちや普通の人々にシナリオアニメを流す手前、あまりデッサン=作画主義ではいきたくない。安心はさせるけど、作家性をあまり感じることがないのだ。

 美大生の大半は、写真のようなイラストはほとんどが描けるし、私が美大生かはともかく、私レベルですら描くことが可能だ。どういうことかというと、公式が決まっていて、死ぬほど努力をすれば誰でも到達できるからだ(あくまで公式で証明できる、意識して論理的に説明が可能なのである)。だから、あ、美大でたくさんいますよねー、あ、専門学校でたくさんいますよねーっていうイラストってもうたくさん見てきていて、pixivの人気ランキングで1位クラスはもうそのレベルを超えた別格もいるけど、2~10位クラスで作画がいいのは意外と公式で萌えるアニメオタクにはウケるけど、その先の普遍性には届かないよねっていう感想がコッソリと出てしまう(あ、ここで書いている時点でコッソリじゃあないか…)。具体的に言えば、美大受験のデッサンがもし作画第一主義の萌えキャラを描け、東大受験の筆記がもし作画第一主義の萌えキャラを描けだとしたら、大量生産可能だからだ。もちろん必要だよ!デッサンも作画もだって。だけど、それは偏差値60の話しであって、それはそれで本当に嫌いじゃないし、むしろ大好きな方なんだけど、それこそ閉じたイラストになってしまうのではないか?っていう話しになる(オタク絵の競争の激しさは受験競争に似てね?問題で、意外と権威主義と変わらないかも)。

 んで、かなりさっきから濃すぎる現代イラストレーター批評をしていて、どのレベルの読者を想定しているか分からんのだけど(イラストレーターもいつもの批評フリークも置いてきぼり?)、

近年の歌い手のイラストレーターは別格だと思うのだー。

 彼ら彼女らのイラストは確かにデッサンも平均以上にできるのだけど、カオスフォレストのメンバーよろしく(表面的には)オタク的にはイラストに興味ないメンバーたちですら、米津は聞くしヨルシカを聞いたり真夜中ぐらいはみんな知っているし、気に入っている。不思議なことに、イラスト自体に興味がないように(表面的に)見えるメンバーたちですら、歌い手のPVのイラストだったら、好きだったり、しっかりと認知がしやすいとのことなのだ。

このイラストに興味ない一般人が好きになるイラスト問題、これこそが、歌い手イラストの謎である。

 うーむ…。ちょっと考えさせてくれ。………。

 …。まず分かることは色彩豊かであり、意味が説明つかない意味合いを感じさせるものが多いということだ。しかし、それが論理や言語では説明がつかなくて、直感的に感じさせるナニカであるということだ。

 そして、両方の要素をバランスよく持っているクラスになると、本当に超一流で、アニメーターで他人のデッサンを真似ながらも、かつ、オリジナリティーのある色菜や造形を抉り出すオリジナル作品を出せるアニメーター上がりの名監督に多いよねっていう印象(ベタな例だと宮崎駿で、ニッチな例だと中村隆太郎だろう)。 

 これがなかなか難しくて、マーケティングだけでは作ることができない(もちろん本当の天才は、どっちも備えているが…。例、ずっと真夜中でいいのにのイラストレーターは構図や論理能力も抜群にあることが分かる、造形、形の描き方が赤なり数学的に構成されている。例えば、PV自体は漫画という形式であり、漫画的な記号の表情で描かれている描写もある。これはデッサンや論理、作画主義の積み重ねではないかとも思える)。

 この色彩の感覚やキャラの配置はなかなか難しくて、デッサンや作画主義とは対立する要素だと思う。

 ただどっちもいいよねってことであり、ぶっちゃけニッチなイラストだけ層に一般受けするのは、デッサンや作画主義だろう。

 ただ音楽や文学、そういった他ジャンルとのリミックスに合っているイラストはもっと余白のあるイラスト、意味合いを解体するイラスト、メッセージがあるようでないようなそんな色彩やメッセージ出した造形意識が求められているように思える。

 ぶっちゃけ評論で説明するのは論理化、言語化の不可能なもの、無意識に訴えてくるものを言語化、意識化しようという話しなのだから無理があり、こんな書き殴った文章を見るよりも、そんなイラストを見てくれとしか言いようがない。

………。

 まあデッサン=作画主義は主義で、努力や論理性、ベタな社会性が必要でこれはこれで難しいし、歌い手の絵師は反社会的なもの、本質的だけど危険なもの、未熟なものをどうやって社会とつなげていく作風、形にしていくかという点でこれはこれで難しいし、生きていけるのか?とも思う。例えば、古い例で申し訳ないが、つげ義春の絵やアウトサイダーアートはこの例に当てはまり、西洋美術史の歴史でいうと、古代の宗教画が当てはまるけど(ウィリアム・ブレイクや竜を殺す騎士?など)、「西洋美術史」という論理的かつ言語ゲーム、実のところモネあたりからそうだと思うけど、あそこからは感覚的、文学、人間の無意識に迫るイラストではなくて、技術や制度の美しさというスタティックな美しさへ向かっていった気がするのだ。

 大半の凡俗は私もそうだが、どっちもの巧い作品を見るだけで終わりにしてしまいたい。物理的な時間的な体力を消耗するデッサン=作画は手や足がダルいし、精神的な本質にグサっとくる色彩豊かなイラストも描くとなると魂を賭けた闘争が必要になって、脳や心が凡俗だと休まらない。作る本人にはどっちにしろ膨大なエネルギーがかかる。

 そして、両方の要素をバランスよく持っているクラスになると、本当に超一流で、アニメーターで他人のデッサンを真似ながらも、かつ、オリジナリティーのある色彩や造形を抉り出すオリジナル作品を出せるアニメーター上がりの名監督に多いよねっていう印象(ベタな例だと宮崎駿で、ニッチな例だと中村隆太郎だろう)。

結論をまとめまくると、1、デッサン=作画第一主義=理系=技術=正常時の努力

           2、耳が痛い系?の音楽や文学向きのイラスト=物語主義=文系=人間観察力=無意識下の努力

ってことになる。まあ凡俗で誰もが薄々雑には思っていることかもしれない。

 もちろんあくまで比較であり、ぶっちゃけ何度も何度も繰り返す通り、本当に上手くなろうと思ったら、最初のうちはどっちも必要な能力だろう。

 身も蓋もないけど、イラスト=才能説は、1の答えが見えているけど、超努力ができるか?というハイパーに社会性のあるリア充か、2の他人が見えないものが見えるけど、下手したら本人のメンタルがやられたり、精神的なタフさが求められるハイパーに社会に必要な反社会的なものを拾ってこられるかということになる(社会の人が分かるレベルまで反社会的を持っていくというこれまた大変な喋れるコミュ障という困難さ…)(実のところイラストレーターの適正検査、就活アドバイス批評でもあったのだ…)。意外とイラストの仕事は2つの仕事があって、全く別ジャンルなのだ。後者はむしろ文学や音楽に近い。

 オタクとTwitterは相性がいいが、実のところ、オタクこそがだからリア充でもあるのである。ネタツイを日夜しているオタクアイコンとか簡単に想像できるだろう(1要素特化型)。むしろ芸術系の方が友達がいないだろう(2要素特化型)。

 もちろん2、大変に喋れるコミュ障、社会の人が分かるレベルに落とし込む、社会に必要範囲の反社会的なコミュニケーションだって、周りからチヤホヤされる。ただ1とは多少異なっていて、論理的に造形的に美少女だよねっていうイラストはパッと見て目がハートになるが、2の場合だと、ジワジワと萌えてくるという感じなのだ。

 こう言うと、女性陣から怒られそうだが、

エロいのか、恋愛なのか

という話しになってくる。いやホントだよ、ホント、ホント。

 やっぱり可愛い女の子が出てくるイラストは基本的に決まった造形で安心して、二次元は二次元でも、あくまで決まった形、そしてバストやお尻、おでこの強調などが起きる(本当にすいません…。あ…あくまで分析であります…)。だから、悪いと言っているのではなくて、三次元のリアル女とそうは違いが本質的にはないんじゃあないか?って思う。

 だけど、後者の恋愛系、歌い手に使われる女の子は、造形的な、そもそもの女の子の形を留めていない。単純な目や形で、デッサンや作画主義で見ると、かなーり手を抜きすぎている。だけど、その分、色彩や意味合いが異常に凝ったものになって、なんだこりゃ!?ってなる。シャフトの作画とかもそうかもしれない(まどマギや化物語)。模造クリスタルもそうだよね。

 形よりも心を表現しようと思ったら、じんわりとくる人外的な表現が問われてくる。

 ずっと真夜中でいいのにの女の子やイドイヴァンデッドのカエルちゃんはいい例で全くと言っていいほど胸がないし無愛想だけど、だからこそ、無愛想だからこそ「超絶に感情的なもの」がワッと溢れてくる。ヨルシカもそうだが、音楽をやめた日はキャラたちに顔の表情すらなかった。だけど、顔を奪っているからこそ、かえって本当の「超絶に感情的なもの」がワッと溢れかえるのかもしれない(実は京アニ=漫画タイムきららの作画は女性が多いじゃないか問題はあるが、あれは女性から女性の造形というまた応用問題なので、これは今回は解説をやめておこう)。

 さっきから何遍も何遍も言うとおり、どっちも大事だ!

 そして、どっちも極めるのはかなり難しい!

 1は東大よりムズイ努力ゲーで、2は戦場よりムズイ精神ゲーだ!

 結局のところ、みんなが直感的に思っていることを深く深く考え抜いただけだったかもしれない。

 まあ批評ってそういうものだから。

 やっぱイラストに近いようで、ちょっと違うよな。

 他人と語り見つめる面白さだからかな…。

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